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■大黒柱の記憶 長瀞町郷土資料館に移築保存されている旧新井家住宅に足を踏み入れたとき、すぐに大黒柱が目に飛び込んできた。長い歳月へ経て黒光りしている大黒柱を見て懐かしい気持ちになった。 幼少を過ごした家は江戸時代に建てられたものだった。旧新井家に比べれば規模も設備も貧弱なあばら家である。それでもちゃんと大黒柱があり、子どもの目からもたいへんりっぱな柱を何気なしによく撫でたものだった。我が家の大黒柱は家屋の中心にあるのではなく玄関脇にあって外部に露出していた。言い伝えによると、かつては外廊下と中廊下を持つ大きい家屋だったが、事情があって南側半分と東側部分を取り壊してしまった。そのため大黒柱が外に露出しているのだという。大黒柱には他の柱を組み込んでいたと思われる凹部分があり、家屋西側には壁から半間離れて柱が数本羅列しており廊下の痕跡にも思えた。なにぶん子ども時の検分であるからあてにはならないのだが・・ 名主の家と交換したという伝えのほか、仏壇に抜きんでてりっぱな位牌がひとつあり、菩提寺で見てもらったところ戒名もりっぱで、なにかの役職でもしたのではないかとの話だった。家に関する文書類は一切失われているのでなにをした人かは不明だが、その頃に大きい家屋だったのかも知れない。さらに大きい家屋があったことを推察させる地名もかつて存在していた。 外に露出した大黒柱の上部には地番整理前の古い番地表示と夜間照明用の電灯があった。玄関内部に垂れ下がった長い紐を引っ張るとパチッと灯が点く。その音をよく覚えている。大黒柱上の軒下に氷柱がさがった冬もあった。 小学生の頃に見ていたドラマで、森光子が夫婦喧嘩のあげく大黒柱にノコギリを当てようとするシーンを今でも鮮烈に覚えているが、これはやはり自宅に大黒柱があったからだと思う。ドラマのタイトルは思い出せない。 |
私事
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詳細
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10代から20代にかけての頃、川越市内でよく見かける人がいた。名前も住んでいるところも知らない男性で、おそらく40歳前後だったと思う。その最初がいつだったかはまったく覚えていない。 中学校の写生大会で初雁公園に来たことがあった。生徒の大半が本丸御殿を題材に選んでいたのに、自分が選んだのは↑画像の場所である。当時は道幅も狭く、道灌まんじゅうさんも小さな店であり、右側の美術館と博物館のところはグランドで旧商業学校時代の木造校舎が一棟残っていた。左側は現在駐車場だが当時はテニスコートで、このときはママさんテニスでにぎやかだった。道路端に座って絵筆をにぎり、なんのおもしろみもない風景を描いていたところ、むこうから自転車でやってきたのがその男性だった。自分に一瞥をくれて去って行ったのを覚えている。 あっあのおじさんだと驚いた記憶があるから、このときすでに何度か見かけていたのだろう。図書館で見かけたことも何度かあった。熱心に分厚い本に目を落としていたが、なにを読んでいるのか気になり背後を通ってのぞいたら六法全書であった。 極めつけは出かけるために自宅の玄関を出たところ、自宅前の往来をその男性が歩いていたことである。 あれから長い歳月が過ぎたけれども、いったいどこのどなただったのだろう。不思議だったなと時々ふと思い出すのである。
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