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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
忙しすぎて更新ままならず・・すいません

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★今週末も新宿で

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 ◆仕事柄、小暇はちょいちょいあるものの、まとまったオフタイムがなかなか取れないのは悲しい。この10年、泊りがけの旅行は皆無に近いし、なにかの集まりに所属して活動したくとも、これまた不可能なものがある。
 それでも数ヶ月前からある集まりに顔を出すことになった。これとて数年前から誘われていて、ずっと断わっていたもの。

 今週末はその集まりで新宿へ。大学教授やら、よく見りゃ雑誌の対談によく出てる御方などがゾロゾロ。知識人の集まりに私はひたすら隅っこでおとなしくしている。午後いっぱいさして広くもないホールで過ごすので、空気は悪いし偏頭痛を起しそうになる。しかし和気あいあいの雰囲気なのでいつも夢中の数時間。

 以前世話になった方がアメリカから一時帰国していて、偶然隣席だったのでいろいろしゃべる。
 戦前の某覆面芸術家の正体が最近ひょんなとこから判明して、研究が一気に動き出した某教授の報告話はヒジョーにおもしろかった。

 年会費に毎回参加費も払うのでなるべく休まずに思っている。いまやこのブログとともに、普段仕事に小突き回される自分の気持ちの均衡をとるための、大切なひとときとなりつつある。

 でも、会場内おじいさまたちだらけなのが・・ちょっとネ(笑)

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◆集まり終了後は、ひとり夕刻の新宿をぶらぶら。すごい人出。小腹も空いているので西口小田急ハルク裏のラーメン店「萬来(ばんらい)」へ。ラーメンブーム以前からの知られた名店である。建替え中で別位置に仮店舗を出していたのだが、そこは違うラーメン屋になっていた。本来の萬来の位置へ行ってみると、ビルは完成していたが店はなかった。なんと東高円寺へ移転したと張り紙。さすがにそこまでは行けないので、仮店舗後にオープンした「ほりうち」へ入る。
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◆どうやら萬来系のラーメンのよう。やや平たい麺、あっさり系スープ、そして量の多さはほぼ萬来そのもの。画像はつけ麺。
 隣席のにいちゃんが「チャーシューつけ麺」を食べていたが、萬来のチャーシュー麺は、巨大な肉塊が麺上に鎮座していることで有名。自分は数年前から食べきれなくなったので注文はやめていた。でも、ほりうちは量控え目らしい。横目でチラ見してこれなら食べきれそうだと思った。

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イメージ 2◆潤む灯にもどこか春の色を感じる週末は新宿で呑みでした。3ヶ月も前からの誘いに、ようやく都合がついての待ち合わせ。日も落ちなくて明るい夕刻5時の新宿駅の雑踏をかきわけて、向うは「うおや一丁新宿西口店」 西口改札からほん数分です。

 「うおや一丁」は10年以上ぶりにノレンをくぐりました。東京に進出しはじめた90年代に池袋の店(現在は閉店)などをよく利用していました。突き出しの量が多く、これでしっかりビール一本空いてしまうとこが受けていつも混んでいたように思います。北海道地盤の居酒屋で、札幌へでかけたときにもしっかり寄ってきました。

 落ち着いた店内には琴の音が流れています。以前よく利用したころは学生などの姿も多かったのですが、久しぶりに来たここ新宿の店は年配層が多かったです。
 
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【ほっけ】北海道直送でびっくりするほどでかいです。ごはんがほしくなります。
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【刺身3点盛り】新鮮で文句なしのおいしさ。日本酒呑みたかったですが、今回はビールでがまん。
 2時間ほどいて、それからカラオケへ移動。カラオケは「UGA」がいいですね。70年〜80年代が充実していて(笑)

 ●うおや一丁新宿西口店
 新宿区西新宿1−8−1(新宿ビル地下3階)
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■用事があって上野から根津をぬけて千駄木へ。そして谷中を歩いて日暮里駅への道をたどりました。
 考えてみるとこの地へ来たのはほぼ20年ぶり。用事先以外はどこへも寄ることなく歩きぬけただけですが、道すがらちょこちょこと撮影だけしました。
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イメージ 3■かつて千駄木に学生時代の友人が短い期間暮らしていました。細い路地を奥深く入ったどんずまりのアパートでした。レトロ趣味なんぞなかったはずなので、おそらくは実家へ乗換え無しに帰れる利便性からこの地を選んだように思います。

 友人宅へ行くときはいつも日暮里駅で下車し、石段を下りて谷中銀座をぬけ、よみせ通りを歩いていました。雑多な店屋が建ち並んで、今も覚えているのは石段上の古風な佃煮屋と、よみせ通りにあったおでん種の店。よみせ通りを千駄木に向う左側の店だったと記憶しているのですが、今回歩いてみたら見当たりませんでした。右側に小奇麗なおでん種の店があったのですが、ここではなかったような気がするのです。でも記憶違いかも知れません・・

 友人は古いながらも間取りや環境に恵まれた部屋を見つけるのが得意で、学生時代のアパートも東南角部屋日当りばっちりでしたし、千駄木では南向き窓の向こうは小さい公園の植え込みでした。このあと千駄木から練馬へ引越しましたが、ここも3階の見晴らしの優れた部屋で、そのセンスのよさに感心したものです。大学時代の仲間にはもう誰にも会いたくないようなニュアンスを常々匂わせていたので、練馬から実家へ引っ込むときに荷物をまとめる手伝いをしたのが顔を見た最後です。それからもう10数年が経ちますが、さて現在は元気にやっているのかどうか・・
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■古い建物が多いわけではありませんが、この界隈を歩いて心地よいのは家並みがどこまでも連なっているためだと思います。空地がなく道に面した家が軒を連ねている景観・・川越はこういう景観の消滅が激しいですね。町家が壊されると道に面して車庫のスペースが設けられ、新しい家は奥に引っ込んでしまう。蔵造りの通り以外は何十年後かには郊外住宅地の景観になってしまうのではと思ったりします。
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■つい最近まで営業していたようです。
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■【谷中銀座】観光客にも地元客にも利用される商店街。何軒かある惣菜屋が元気。
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■【谷中銀座】路地を曲ってきたバイクをよける男性の格好が味わいありますなー。
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■コロッケ1個30円とあっては、だまってやり過ごすことができません!1個でもいやな顔ひとつせず、紙にはさんで渡してくれます。30円ということで中身は最後の一口まで純粋なポテトコロッケなのであります。

★七草おじや

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 「人日(じんじつ)の節句」「七草の節句」とも言われる1月7日。邪気を払い無病息災を祈るため七草粥を食するようになったのは平安時代だという。

 いまやコンビニでも七草粥を並べているが、我が家で7日の朝につくるのは粥ではなく「おじや」である。七草と呼ばれるものはほとんど入らない。大根・にんじん・ごぽう・サトイモ・小松菜に唯一「せり」が刻みこまれ、味付けは醤油である。近くに田んぼは無いのでどこか田園地帯からせりを採ってくるらしい。いつも前夜に刻んだ野菜と汁を入れた鍋が用意され、当日朝すぐ作れるようにしている。

 「テレビ見ているとみんなお粥だね」と母親は言う。川越郊外の母親の里も「おじや」だそうだから、川越周辺農村地帯は「おじや」なのかもしれない。
 そこで手元にある「聞書埼玉の食事」を見ると、入間台地農村(取材地は入間市)は「七草おじや」となっていた。

 同書には川越商家の四季の食事内容も採集されていて、取材商家の七草粥は味噌仕立てとある。
 地域・各戸によって七草粥もさまざまなバリエーションがあるようだ。ただし同書は昭和初年の食事を紹介したものなので、現在「七草おじや」を作る家はどのくらいあるのかはわからない。

 ちなみに子供の頃は、この七草おじやはあまり好きではなかった。おじやだと他におかずがいらないから、つまらなかったのかも知れない。
 
 【聞書埼玉の食事】 農山漁村文化協会 1992年
  *埼玉をいくつかの地域に分け、昭和初年頃の食事を季節毎に聞き書きと豊富な料理写真とともに構成した本。都道府県別にシリーズ編纂された。
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あけましておめでとうございます

 今年もへっぽこ携帯カメラで、川越のさまざまな画像を紹介していきたいと思っております。古い街並みはもちろんですが、このブログの本当の目的である古い街並み以外の川越の表情、とりわけ郊外地区の風景をできるだけアップして、川越はこんなところなんだジョーとマイペースでやっていきたいと思う新年の夜明けでござります。

 どうぞ、本年もよろしくです!
 
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