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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
忙しすぎて更新ままならず・・すいません

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★よこみちよのすけ

■よこみちよのすけ
 
  仕事帰りの電車内で吉田修一の小説「横道世之介」を少しずつ読んでいる。読みはじめて一ヶ月以上が過ぎたが、このところ最後の数頁を未読のままカバンに入れて放置してある。
 2月に映画が公開されたが、作品を鑑賞したブロ友あけみさんの記事を読み、映画を見に行く時間が確保できないので、とりあえずは原作を読もうと思ったのである。1987年の東京を舞台に横道世之介の大学生活を描いた作品。自分の学生生活は80年代前半だが、学生の日常なんていつの時代もそう変化はないから、読んでいてあっこんなこと自分にもあったと思わずニヤけてしまう場面があったし、世之介が住んでいる西武新宿線花小金井はかつて馴染みがあったところなので懐かしかった
 世之介がガールフレンドとその母親と新宿三越裏の天ぷら屋へ行くが、船橋屋だろうか?つな八だろうか?友人がつな八の大衆価格&ボリュームに文句なしの定食を見つけたのがたしか1987年。勝手につな八と決めて読んでしまった。数えきれぬほどこの店に通ったが、最近はすっかり足が遠のいてしまっている。
 世之介の彼女は、自分はぜったい拒否のタイプなのだが、こういう子を好きになるのが世之介のいいところなのだろう。世之介をめぐる人たちの20年後がところどころに挟まるが、世之介があこがれた年上美女が彼を思い出せないのがツライ。
 吉田作品はこれまでに「最後の息子」と「長崎乱楽坂」を読んでいて、誘われて講演を聴きに行ったことがある。
 
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 読んでいたら大学時代のサークル後輩の顔が浮かんだ。ほんわかしたところが横道世之介に似ていた。世之介は長崎出身だが、後輩は真逆の北海道の人口数千人の町出身。東京に着いてタクシーに乗ったとき「●●さんちへお願いします」とアパートの大家の名前を言って運転手を唖然とさせたエピソードを持つ
 アパートは古く、靴を脱いで狭い階段を上がると裸電球のぶらさがった廊下の両側に部屋が並び、入口は板戸。開けるとすぐ畳の六畳間。隅に流しがあって高橋留美子「めぞん一刻」の住人たちの部屋みたいだった。のちになぜか大家が隣室をぶちぬいて六畳ふた間を縦に繋げた長細い部屋になった。家賃はそのままだったのだろうか?たしか15000円。
 「電報ですよぉー!起きてくださーい!」と真夜中にみんなで夜襲をかけてたたき起こしたりした。「蛾が嫌いなんですよ」と真夏でも窓を開けなかった。万年床の枕元に一升瓶と高校の卒業アルバムがいつもあったのが強く印象に残っている。「酒はたしなむ程度です」とすっとぼけていたが自室でかなり飲んでいたらしい。
 学園祭の準備作業中に煮詰まったのか、突然手首を掴まれて小指を噛まれてぶったまげたことがあった。食べ物の好き嫌いが激しくて合宿中に先輩に叱られたり、ちょっと髪が伸びていただけで合宿所のおばさんに女性と勘違いされたり・・思い出すときりがない。
 卒業後は他の大学の講座を受けて小学校教員の免状と取り北海道へ帰った。早春の道東へ旅行したおり赴任先だった北見を訪ねて泊めてもらった。網走刑務所・能取岬・美幌峠・屈斜路湖や映画「挽歌」の冒頭で久我美子が歩く硫黄山などを案内してくれた。「●●宅前」という個人名の入ったバス停を見たのもこのとき。
 僻地教育に情熱をそそぎ知床半島に赴任したが、体調を崩して40歳そこそこであっけなく向こう岸へ渡ってしまった。その数年前に別の後輩の結婚式会場で会ったのが最後だった。春に亡くなったが、暮れに届いた喪中葉書ではじめて知り呆然とした。まもなく七年になる。

★手作りの御守り

 
 
  身内がただ今入院中。ガタのきた体を今のうちにちょっと治しておきましょうということで、
 生命に関わる内容ではないのて゜周囲も気持ちが多少楽なのが助かる。
 
  他の部屋にいる小学二年生の男の子が、車椅子であちこちの部屋へ現れては愛嬌をふりまいて、
 しゃべっているのを聴いていると非常にかしこい印象。ただし新参者にはなかなか懐かないで、話し
 かけてもスルーされちゃうと言っていた。
 
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                ある日ベッド脇にこれが置いてあったので尋ねたら、手術が
               成功しますようにと男の子が持ってきてくれた手作りの御守り
               とのこと。
                身内は大部屋にいるが、ほがらかな人たちばかりですぐに懇意
               となり、朝から晩まで女子会状態?とか(笑) 最初に希望していた
               少人数部屋に空がでましたと、看護師が案内に来ててくれたけれど
               、みなさんいい人たちなのでとこのまま大部屋でいいですというこ
               とに。
                少しでも楽しい気持ちで過ごせる環境にひと安心。
 
                いろいろあって田園地帯にあるこの病院には昨年も頻繁に来てい
               るのだが、今回はじめてカフェテリアを利用した。
                 ちょうどランチタイムがはじまったときで、ランチメニューはなかな
               か豊富。職員や一般向けのせいか揚げ物類がけっこう多い。通常
               メニューには麺類・珈琲や弁当・おにぎり・パンもあり。
 
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 選んだのは「若鶏の塩麹辛味噌焼き」
 別段辛くはなくて、ちょうどいい味付け。
 肉がうまい!
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 もちろんごはんと味噌汁もついて、たしか680円だったか。
 東京清瀬の国立病院の食堂の500円ンランチもよかったけれど、
 ここもなかなかの実力。
 次に利用する機会があれば他のメニューを。
 でも面会時間は午後からなので、なかなかランチタイムに行けないのです。
           

★区立図書館

 ■区立図書館
 
  歴史系?同好会みたいのに所属して数年。大学教授や各方面で活躍するなかなかのメンツ揃いで、本人は隠しているが若き日に芸能活動していたらしき異色人も。もちろん自分のようなフツー人も大勢。会報を年に数回出しているが、自分は一度投稿しただけ。気分が乗らないと原稿なんて面倒で面倒で。それに著作がある人が多いので、もう畏れ多くて。しかし魔の手は伸びてきた(笑) 編集の女性はたぶん少し年上か?見た目30代で大学生の息子がいるとは思えない。チャキチャキっとした性格で、月一の集まりに西日本から新幹線でやってくる。交通費自腹、えらい。会合で隣席になったらほがらかな声で「会報になにか書いてよーー」攻撃が。
 たまにはなにか書かないと、風向きも悪くなりそうなので、物色したらおあつらえのテーマが見つかった。で、仕事の合間に資料探し。しかしこれが捗らない。なにしろ80年あまり前のことなのだから。それでもネットの普及で便利になった。都内の図書館の蔵書検索を進めると、いくつかヒットした。いちばんほしい資料は浦和の県立図書館の蔵書にあった。こんな地味な資料があるなんてさすが老舗図書館。閉架書庫にあったが貸し出し可能だったので、自宅でゆっくり読めた。知りたいことがすべて記載されており、他の細々とした原資料とあわせて、自分なりの切り口で一応原稿は完成。現在ひたすら推敲中。
 でも浦和の図書館はそうちょくちょくは行かれない。今回けっこう役立って馴染んだのが豊島区立図書館だった。
 
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 池袋駅東口から歩いて10分弱。サンシャインのすぐ近く。高層ビルの4階5階にあり、夜遅くまで開館していて通勤に池袋駅を使う身にとっては便利。びっくりしたのは、以前に都立図書館で閉架書庫から出してもらって見たある資料復刻本が、ここの開架書庫に並んでいたこと。貸し出しは禁止だが、10万くらいするこの資料本がいつでも見放題とは。それもフロア中央にコピー機があって、著作規定内で自由に有料コピーできるようになっている。さっそく必要部分だけコピーした。こんな本があるくらいだから、他にもいろいろありそうである。埼玉県民も利用登録できるので、さっそく貸し出し証を作った。図書館の貸し出し証作るなんて数十年ぶり。それから一週間に一度の割合で寄っている。もっぱら電車内での読書用。本屋で買った本だといつでも読めるからと、そのままにしてしまったりするが、図書館本は返却期限までに読まなきゃという気持ちが働いて、最近は車内睡眠が減ってせっせと読書に励んでいる。なんて、けな気(笑)

★巳年

■巳年     ¤ˤۤó\֥���¼ ÃϰèÀ¸³è¡ʳ¹¡Ë ¡­ØÅì\֥��� Àî¡Þ۾ðÊó¤Ø
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 昨年末は慌しくて、年賀状も晦日近くに投函。友人のひとりに差し出すのをうっかりして、年明けに「年賀状が来ないぞー!」と携帯で小言をもらう始末。
 それでも自宅用年賀状は優先で書き上げた。印刷が間に合わないのでロフトで買い求めたが、母親からヘビの絵柄じゃないものをとの注文だったので、無難な柄をみつくろった。父親の名前と住所のスタンプを出してもらったら、何十年も前にこしらえたもので字体も古風だし、父親の肩書きがこれまた江戸か明治みたいな表記で笑ってしまった。でも現在ではかえってオシャレに見えるからフシギである。
 
 宛名を書いている横で、母親はヘビは見るのもいやなのよと言い出したが、数十年前に居間からふと庭を見たら、門から大きい青大将がするすると入ってくるところで、家には誰もいないしあれほど恐い気持ちを味わったことはなかったと言うのである。そのころは我が家のあたりにも当たり前にヘビがいた。幼い頃に玄関内にヘビが侵入してきたことは今でもよく覚えているし、裏庭の焚き火用の雑木を積んだ中には白い抜け殻がよくあった。近所の民家に大きい青大将が現れて、その家の主婦がデパートへ引き取ってくれと電話をかけたこともあった(夏休みに世界のヘビ昆虫展をよくやっていたかららしい。もちろんデパートからは断られた 笑)
 
 母親はいろいろとヘビのいやな思い出をしゃべっていたが、またあの話をするのかなと思っていたらドンピシャであの話が始まった。
 
 小学生のときと言うから終戦前後の頃らしい。実家は川越郊外の小さな集落で、小学校までは田園地帯を数キロ歩いて行くのであるが、遮るものもなく米軍機が現れたときは恐ろしかったという。いつも近所のA子ちゃんとつるんでお転婆していたが、その日も一緒だった。途中に荒川に通じる流れがあって木製の冠水橋が架かっていた。橋上には大きい穴が開いていて、その傍らで青大将がとぐろを巻いていたそうな(母親はヘビが昼寝していたと言う) A子ちゃんがそこらから棒切れを拾ってきて、えんやこらと青大将を穴から下の流れに突き落としたところ、橋下からギャーーーと叫び声がした。びっくりして橋下へ行くと、近所の「おまっさん」という女性が顔色を失って立ちすくんでいた。川で洗濯をしていたおまっさんは、突然目の前に青大将がドボーンと落ちてきてぶったまげたのである。「なんだよぉーあんたたちはー!」とおまっさんは怒ったが、子ども二人は腹をかかえて笑いたいのをガマンするのがたいへんだったという。
 
 唯一笑いながら母親がしゃべるヘビの話なのである。
 
 ちなみに洗濯が出来るくらい当時の川はきれいで、ウナギとナマズがたくさんいたそうである。母親の母(私の祖母)が病弱で、兄や弟がせっせとウナギ捕りをしては滋養のために食べさせていたという。
 なんで橋の真ん中に穴が開いていたんだろうと母親は言うが、おそらく戦時中の資材不足で修理が放置されていたんじゃないだろうか。
 私が子どもの頃はまだ木橋だった。雨で増水すると橋は水面下になったが、水が引くと橋上にフナなどが跳ねていた。20年近く母親の実家へは行っていないが、今はおそらくコンクリート橋になっていると思う。
 
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 ▲木橋(イメージ写真)
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 ▲元気な子どもたち(明治末期頃の手彩色写真)
 
 
  明けましておめでとうございます。
 いつもご覧いただき感謝しております。
 今年も「川越スケッチブック」をよろしくお願いいたします。
 
                      ゛ぶろぐぬし あーるにーごーよん
 
                               2013年 新春
 
    数年ぶりに電車内で年越しとなりました。
    東上線ふじみ野駅付近でした。
    川越駅に着いて歩き出すと、新富町西雲寺の除夜の鐘と、新宿町雀の森氷川神社のお囃子
    が寒気の中聞こえてきました。夜空は星がまたたき、元旦は晴れそうです。
    いつもは真夜中の喜多院などへ詣でるのですが、今年はやめてもう寝ます(笑)
    初詣はどこへ行こうか思案中です。
    今年もあっというまに過ぎていくような気がしますが、ブログもマイペースで続けてみようと思いま    す。
      みなさま、よいお正月をお過ごしください。
                                           R254
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