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■少女マンモスYUKA
百万灯夏まつりの川越をあとにして
やってきたのは横浜みなとみらい。
頬を撫ぜる海風もむなしく蒸し暑い。
ハマへやってきたワケはこちら↓
パシフィコ横浜で開催されている特別展「マンモスYUKA」
2010年にシベリアの永久凍土の中から発見された3万9000年前の冷凍マンモスが、世界に先
駆けて日本で公開・・・これはぜひ見てみたいと川越から直通電車に1時間半揺られてやってき
たのです。
夏休み突入で親子連れ多し。
しかし内部はゆったりと見学できました。入場料は大人2200円
ですが、友人が特別展HPから割引チケットを印刷してきてくれ
たので200円引きに。
展示の目玉の冷凍マンモスYUKAちゃんにたどり着くまでにはお約束の様々なコーナーが。
別のコーナーで骨や毛に触れることができます。骨はすべすべでした。
マンモスの骨や他の動物の毛皮などで作られた石器人の住居。
狩猟した食べたあとの骨と拾った骨で構成されているとのこと。実際は床にも骨が何層も敷きつめられていたそうです。
冷凍マンモスYUKAが公開されているコーナー。残念ながらここは撮影禁止。
YUKAはメスの10歳で、シベリアのサハ共和国のユカギルという場所で発見されたことから「YUKA」と名付けられています。このコーナーの直前では、発見された時の様子などの映像が公開されていて、脳まで残っていたことや、シベリアの荒涼とした風景映像に圧倒されます。中身を取り出した脳も展示されていましたが、とても写真に撮る気にはなれず・・・
他にサイの一種「ケサイ」の冷凍保存も公開されています。
出口のグッズコーナーで買ったマンモスの牙入り携帯ストラッ
プとYUKAのポストカード。体毛が残っているのがわかると思い
ます。展示はうつ伏した形状なので、写真のような立体感はあり
ません。体毛は棕櫚(シュロ)を思い浮かべます。
こちら馬の化石。
石になっていなくとも化石なのだそうです。だから冷凍マンモスも
化石なのです。糞の化石も展示されていました。
3万9000年前の冷凍マンモスが見れたことは感動でしたが、発見
された理由のひとつに地球温暖化があることが気になります。Y
UKA以降も冷凍マンモスが発見されているのだそうです。
特別展「マンモスYUKA」は9月16日まで。
友人が言うにはダイオウイカなどの深海生物が展示されている上野
国立科学博物館で開催中の「深海」もお薦めとのこと。
帰りがけに最近みなとみらい駅に隣接してオープンした商業
施設「MARK IS」のタリーズコーヒーでひと休み。
人気らしくどの階も買物客であふれていました。食材にこだわっ
た「むかしみらいごはん 六本木農園」には通路側に様々な食材
が展示されていて川越の松本醤油の「はつかり」がありました。
マンモスといえばやはり「はじめ人間ギャートルズ」ですね。
会場の出口にはしっかりグッズコーナーや軽食コーナーがありましたが、ギャートルズを描いた園山俊二の原画コーナーもありました。
子どもの頃にアニメ見てましたけど、あのマンモスの肉がとてもおいしそうで・・・笑
骨付き肉のほうは数年前に駄菓子で再現されたり、軽食コーナーのメニューにもありました(ただしマンモスの肉じゃありませんと断り書き付き)が、自分は輪切りのほうの肉に惹かれましたね。味はややしょっぱいのではと想像していました。
You Tubeにある「はじめ人間ギャートルズオープニング曲」をアップしようと思ったのですが、なぜかアイドル画像が挟みこまれているので、肉ばかり食べているシーンを集めたこちらを。とてもうまそうです。
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博物館・資料館など
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■てっぱくへ
多忙の峠は越えたはずなのに、なぜか忙しい。
ブログ更新も週末のみになってしまった。
いくつかの用事が流れて、ポッカリと暇のできた週末。
さてどうしようと思っているところへ知人A氏から電話。
昼過ぎに電車で大宮へ。
構内でA氏と合流。
A氏とはいろんなところで顔を合わせるけど、プライベートで会うのは久しぶり。
地方出版社刊行の資料本を持ってきてくれた。ありがたや。
神保町の地方出版物専門店が無くなってから、地方で出された本はなかなか情報が入ってこない。
A氏は鉄道史研究家で著作も高い評価を受けている。
蓄積された知識と綿密な調査力にはただただ驚くばかり。
東口で食事を済ませてから、向かったのは「てっぱく」こと「鉄道博物館」
鉄道博物館へはオープン前の内覧会へ行った以来だとのこと。
自分はまったくはじめて。いつも埼京線の車内から眺めていただけ。
大宮駅西口から乗った初乗車のニューシャトル。
改札を出るとすぐ鉄道博物館。
週末なので混んでいるかと思ったら空いていた。
家族連れとカップルが多い。
東北本線を走っていた特急「ひばり」
学生時代に授業の一環で東北へ行った帰りに乗ったことがあった。車両はこれよりも新しいタイプだったはず。
東北新幹線開業直後だったが、まだ在来線に特急が走っていた。新幹線に乗りたい気持ちをあきらめ安い 特急を選び、仙台から大宮まで四時間近くかけて帰ってきた。仲間ら食堂車とカレーライスを食べた。大宮 からはまだ電化されておらず1時間に一本くらいの川越線で川越へ戻った。 新幹線にはじめて乗ったのは中学の修学旅行。
でもほとんど記憶になし。車窓から浜名湖見たのと、京都駅ホ
−ムの売店で新聞を立ち読みして怒られたことだけ(笑)
寝台特急「あさかぜ」は博多まで乗った。
瀬戸内の夜明けの素晴らしさとビュッフェの朝食がバイキン
グだったことを覚えている。
昔のディーゼルカー。
川越線の初期のディーゼルカーもこのタイプだったという。
本物の車両がたくさん展示されていたが、ひととおり見ると特急
車両内の座席でくつろいで、お互いかつて周遊券で各地を旅行
した話で盛り上がって時間を忘れた。
【おまけ】
大正初年頃の大宮駅(鉄道院大宮写真帖 大正3年刊より)
大宮駅機関車庫 (鉄道院大宮写真帖 大正3年刊より)
大宮工場鉄道参考品陳列場
戦前の大宮にあったもので、鉄道工場で製作している部品や
車両のしくみなどを紹介した施設。
のちにここの陳列品の一部が東京の鉄道博物館へ移された。 |
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24日から市立博物館企画展開催
一ヶ月近く川越市内のどこへも行っていないので川越画像ネタ切れ中。このところはまもなく始まる市立博物館企画展に勝手に便乗して、建築家保岡勝也の作品「旧山吉デパート」「旧第八十五銀行」「川越貯蓄銀行(現存せず)」を、過去画像を使って紹介してきました。もうひとつ「旧山崎家別邸」があるのですが、画像も資料も無いので割愛します(苦笑)
そのかわりと言ってはなんですが、東京都内に残る保岡勝也設計による邸宅を紹介しましょう。
■平野邸(旧麻田駒之助邸)
東京都文京区西片にある平野邸は、保岡勝也設計によるもので大正11年(洋館)同12年(和館)に完成。その当時は中央公論社初代社長麻田駒之助邸であった。現在、国の登録重要文化財に指定されている。
ネットで得た知識は以上がせいぜいだったが、たまたま見つけた「東京人(1998年4月号)」の『特集残したい建築大集合』に内部の写真とともに、現在住んでいらっしゃる方のインタビューも出ているではないか。
写真頁を見ると内部もたいへん落ち着いて素晴らしい造り。住み込みのお手伝いさんがいることを前提にした造りのため、夫婦ふたり住まいでは、雨戸の開け閉ても苦労なんだそうである。
子どもの頃は自宅の雨戸をよく閉めたけれど、板戸だったのでたしかに大変だった。軽いスチール製になったときはびっくりしたものである。
東京大学に近い閑静なお屋敷町エリア。個人のお宅なので、歩きがてら美しい外観を堪能するだけ。お屋敷町だけあって、防犯の文字が入った大きな提灯があちこちに。不審な動きはできません(笑)
丸の内線後楽園駅から歩いて15分ほど。途中「石坂」という急カープの傾斜を上がってまもなく。
歩いていて見かけた石油の移動販売車がなんか珍しかった。 |
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川越市立博物館企画展
川越には、長い歳月の間に消えてしまった保岡勝也設計の建築もある。
この建物は保岡勝也設計による「川越貯蓄銀行」 同行は明治29年に第八十五国立銀行の役員及び行員によって設立された。長く同じ建物内で営業していたが、大正4年に独立した店舗を建てたのである。場所は八十五銀行本店のすぐ東側。請負入札で落札したのは印藤順造。翌年には八十五銀行本店の新店舗建築が始まるので、矢継ぎ早に保岡作品が登場することになった。
さらに川越貯蓄銀行は昭和8年に、再度保岡勝也設計による新店舗を第八十五銀行北側南町通りに面して新築した。
左が川越貯蓄銀行。地下一階・地上三階で中二階があり、重油燃焼蒸気暖房を備えていた。川越貯蓄銀行は戦時中に解散するが、戦後は「埼銀ビル」の名称で貸しビルとなり証券会社や教育委員会が入っていたという。昭和30年代に市内の映画愛好者たちで結成された映画サークルの本部もこの建物内に置かれていた。
この建物が完成したときには、旧店舗はまだあったはずであるから、山崎家別邸とともに四棟の保岡作品が存在していた。旧店舗の取り壊し時期は不明だが、昭和11年の山吉デパート完成時にもまだあったならば五作品が同時に存在していたことになる。南町鍛冶町通りにあった主要近代建築はみな保岡勝也設計によるものであった。 |
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川越市立博物館企画展
保岡勝也設計による川越を代表する洋館建築。大正7年竣工。建築工事請負者印藤順造をはじめとして、建築には多くの川越の人がかかわっている。材料の調達の多くも川越の業者が請け負い、煉瓦の一部は平方(現上尾市)で焼かれたものである。この大きな西洋建築が完成したとき、川越の人々の反応はどんなものだったのだろう。
銀行の創立は明治11年。埼玉県唯一の国立銀行として認可され、地域に密着した営業で発展した。川越大火後は長く平屋のみすぼらしい建物だったが、創立40年を迎えるにあたって新社屋を建てたのである。相当離れたところからもこの建物は目立ったという。
昭和18年に、武州銀行・忍商業銀行・飯能銀行と合併し埼玉銀行が発足、現在は埼玉りそな銀行となっている。
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