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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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     ▲川越市立博物館
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 博物館には多くの市民から寄贈された資料があり、毎年様々なテーマを設けてそれらを公開している。この夏開かれている収蔵品展は、近代の学校教材に関する内容。猛暑の中でかけてみた。
 
 目をひいたのは明治初年に使用された3本の掛図。一本は「暗射埼玉県全図」 地名などの表記がないことを暗射と言うのだそうだ。あと2本は「博物図 菓物類」「鳥類一覧」 どちらも鮮やかな色彩を施して、かぼちゃや瓜、鴨や鳩などが精密に描かれている。
 明治から現在に至る教科書類も陳列されていて、見覚えのある表紙もいくつかあって懐かしかった。
 
 子どもの頃、物置の棚に叔母が使用した昭和初年の教科書・参考書が紐で束ねてあった。父親に言いつけられてそれをドラム缶で燃やしたが、大事に使ったらしくとても状態がよかった。ちぎって火にくべながらもったいない気持ちがした。今も残してあれば、貴重な資料になったかもしれない。
 
 第20回収蔵品展「学びの移り変わり〜教材教具のいま・むかし〜」は9月20日(月)まで。
 

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           【明治初年の卒業証書(未使用)】
           並木学校は現在の南古谷小の前身のひとつ。「卒業」と
              記されているが、このころは「進級」のことを意味した。
 
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               【児童文集 ぎんなん(昭和6年)】
                 川越尋常高等小学校は現在の川越第一小学校
                 内容や表現に対する先生のコメントがつけらている
                 。小学校の文集には、当時の川越の様子が書かれ
                 ていることが多く貴重である。
                 
 
 
       *掲載の資料画像は博物館の展示資料ではありません。 

 
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★春の特別企画
 桜の名所むかしむかし
 東京・埼玉の戦前の桜の名所ご堪能下さい〜
 
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▲東京・小金井(明治末〜大正初年頃)
 
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▲東京・葛飾柴又(大正頃)
 
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▲東京・荒川堤(明治末年頃)
 現在の足立区江北あたりで今はありませんが、再び桜を植樹しようとの計画があるとの記事が先日の新聞に出ていました。
 
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▲東京・向島(大正頃)
 
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東京・多摩川(大正末〜昭和初年頃)
 京王閣付近のお花見風景
 
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▲埼玉・熊谷堤(大正頃)
 高崎線の線路南側に沿ってあった旧堤。現在の堤とは違う。
 
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▲埼玉・幸手権現堂堤(昭和初年頃)
 
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▲埼玉・川越喜多院(大正頃)
 境内から北参道・成田山方向を望んだもの。手前左側に現在多宝塔がある。
 
 *個人所蔵の古写真を借りて掲載しました。

★9月1日

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▲関東大震災(大正12年9月1日)

 ■9月1日
 一昨日の昼前、御茶ノ水駅ホームにいたとき揺れを感じた。地震!と思ったが、ホームを離れたばかりの電車の振動かとも思い判断がつかなかった。あとで地震だったとわかったけれど、歩いたりしているときはなかなかわかりづらい。8月にも何度か揺れがあったが、早朝に揺れたときは熟睡中で気づかなかったという人が職場に数人いた。

 過ぎてしまったが1日は震災記念日。始業式の日でもあるが、私の小学生時代は始業式の挨拶で校長先生が必ず自身の関東大震災体験談を話した。
 埼玉県における関東大震災の被害は県東部に集中した。粕壁町(春日部市)の目抜きの建物が軒並み崩壊している当時の写真を見ると、かなりひどかったことがわかる。
 川越は大きい被害もなく、東京からの避難者を手厚く保護するなどの対策に徹することが出来たようである。それでも壁に亀裂が入ったなどの被害は相当あったに違いない。私の家も壁がすべて崩れたとの話が伝わっている。今も市内各々の家には当時の逸話が伝わっているのではないだろうか。
 目立った被害はなかったものの、帝都が壊滅したこともあって川越もいろいろと自粛したらしい。川越で開催される予定だった全国山林大会は翌年に延期された。川越商工会が出した「年末年始二際シテ」というビラを見ると、門松を地味にすること、年賀状・年始挨拶回り・お歳暮を差し控えること、さらには無駄遣いをやめて貯金をすることを全市民に訴えている。

 学生時代の友人は昭和50年代の伊豆半島沖地震のときに、書店内で崩れた棚の下敷きになった経験を持っていて、聞かされたときはずいぶん驚いた。
 私がよく覚えているのは旅行先の北海道で遭遇した地震。札幌グランドホテルに宿泊してたのだが、友人のいる隣室へ行こうと廊下に出たとたんに大きい揺れに襲われた。釧路あたりが震源で札幌は震度4くらいだったが、空港が閉鎖されたりして旅先であることが余計に不安にさせた。

★静かなブーム

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 ▲半月ばかり前に一番街を通りかかると、蔵造り店舗のギャラリーの『小林かいち 幻の木版画展』の案内が目に留まりました。川越ではずいぶん珍しい展示だと思い、短い時間でしたが立ち寄ってきました。

 小林かいちは、えはがき・封筒などのデザインを手掛けた画家で、京都さくら井屋より発行された作品の全貌はもとよりどんな人だったのか経歴さえ不詳の人でした。作品を集めた本が刊行されたり、関西で展示会が開催されて話題になってましたが、これらのことがきっかけで遺族の方が名乗り出て、ベールに包まれていた多くの事柄が判明しました。昨年たまたまこの過程報告を研究者の方から聴く機会があり、頭の片隅に小林かいちの名前はなんとなく刻まれています。

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▲これはギャラリーの展示品ではなく、個人蔵の小林かいちデザインの便箋です。つい数日前にも小林かいちの封筒などを都内で見せてもらう機会に恵まれましたが、便箋は珍しいかもしれません。左下に「小林嘉一」と印字されています。
 個人的には余り小林かいちのデザインを好みませんが、戦前の女学生などにはずいぶん人気があったようです。谷崎潤一郎「卍(まんじ)」に、女性同士が派手な封筒や便箋で熱い想い?を交わす場面が描かれているのを思い出したのですが、他の資料を読んでいたらこれはやはりさくら井屋小林かいち作品をさしているようです。

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▲昭和10年頃の川越高等女学校関西修学旅行の記念写真です。京都嵐山で撮影されたものでしょうか。今よりも情報の少ない時代にもかかわらず、当時の女学生たちは京都さくら井屋のことをよく知っていたようです。この川越の女学生たちも修学旅行中に立ち寄って封筒やレターペーパーを買い求めたかもしれませんね。
 手作り木版画封筒・便箋の「さくら井屋」は、今も京都新京極に盛業中です。


 *「小林かいち 幻の木版画展」は終了しています。

★百年前の女の子

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 川越の某旧家に大切に残されているアルバムに貼られてある1枚。人形と遊ぶ幼い女の子です。おそらくはこの旧家の血筋の人物なのでしょう。アルバムには川越風景の他に、大磯や鬼怒川・奥多摩の風景や博覧会などの写真が貼られてあり、明治末期から大正時代にかけての撮影と推定されます。個人がカメラを持つことが珍しかった時代ですから、わずか数葉とはいえ川越風景の写真もかなり貴重といえます。
 

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