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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
忙しすぎて更新ままならず・・すいません

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★夜祭行き 後編

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 師走の忙しさで、文章を付けるブログ記事アップの時間がなく、紅葉画像アップ連打でやり過ごしてきたけれども、ようやく後編のお届け。すでに祭りから一週間が過ぎて、旬は彼方となっている点ご勘弁!!!
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                         蕎麦を食べ終えて、戸外に出ると急速に日暮れ
           てきた。雨も強くなって先行き不安。屋台の巡行
           が始まる19時に秩父神社へ行くことにして、秩父
           駅と御花畑駅間の市街地をあっちへ行ったり、こ
           っちに行ったりぶらぶら。屋台の通る道筋はみな
           2階の窓を開放して巡行見物に備えていた。
 
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 矢尾デパート近くで、秩父神社方面に向かう屋台に遭遇。ゆっくり進んでくる姿が優雅。有名な祭礼とはいえ川越まつりほどの雑踏では無いのでゆっくり見られた。
 
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           矢尾デパート脇の広場。イスが置かれて周囲を
           テント張りの露店が囲んで大にぎわい。
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 広場で催されていたのが「上町屋台芝居」
 秩父歌舞伎正和会による「青砥縞花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)浜松屋見世先之場」を上演中。しばらく見物したものの、どんな話かはさっばり。あとでパンフを見たら弁天小僧の話で、画像は美しい娘に化けた弁天小僧が本性を現した場面だったらしい。ちなみに歌舞伎は高校時代に学校行事の一環で国立劇場観劇をしただけのお粗末さ。
 
 雨もあがって、吹く風は生暖かくまるで春先のような陽気。
 
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           裏道や路地を歩いているうちに、番場通りへ出て
          味噌漬け肉で知られる安田屋前に来ると、なにやら
          大鍋で煮られてた。右がモツ煮、左がイノシシ鍋。
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           いのししを選択。一杯500円。味噌仕立てだが、
           スープはもっと濃いほうがいいかも。
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 番場通りの雑踏を北上して秩父神社へ。
 神社前は巡行を待つ人でいっぱい。境内へはまだ入れるが、一度入ったら屋台が出発するまで出られないとのこと。屋台の巡行出発を見たかったので境内へ。人だらけだったが、立錐の余地が無いとかの混雑ではなかった。19時になって巡行開始の合図がされると、境内に暖かな拍手が鳴り響いて、けっこう感動する。屋台は間近で見られ、川越まつりの時のような警備の殺気だった制止もなかった。一台の屋台のあとを、本町交差点まで付いて行った。
 このときの画像は 12月4日のブログ記事「秩父夜祭へ」に掲載してあるので、そちらをご参照のほどを。
 
 風がとても強くなって、急速に冷え込んできた。雨も時折思い出したように落ちてくる。こうなるとトイレが近くなって困った。
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           トイレは御花畑駅の公衆トイレを利用。屋台の通
           る団子坂に通じている西武秩父駅への連絡通路
           が祭礼中は通行止めになっているため、ここの
           トイレはいつ来ても空いていた。塞がれた通路の
           板塀の隙間から、団子坂を駆け上がる屋台を見
           物する人もいた。
 
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 屋台について歩いていると、花火の炸裂音が。
 路地をつたって秩父鉄道の踏切を渡り、市役所までいく。
 風が強くあまりに寒いのでワンカップ「武甲正宗」の熱燗を飲みながら冬の花火見物。周囲は大勢が花火を楽しんでいた。
 強風のためか撮影した花火は、みな横にブレてしまった。連続して打ち上げられたあと、しばらく間が空いてしまうのがちょっと残念。羊山公園の2ヵ所で打ち上げるので、それほど高層の建物が無い秩父市街地のあちこちで、夜空にひらく艶やかな色彩を見ることができる。スーパーベルク前の広場でもたくさんのイスとテーブルが用意されて、飲食しながら見物できた。
 このあとも秩父駅まで戻って、また御花畑駅付近まで歩いてきたりと、寒い中とにかく歩いていた。なぜか喫茶店などで休息することを思いつかなかった。
 
 そんなわけで胃袋は順調に空腹状態へ。
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 やってきたのは重要文化財に指定されているレトロな建物の食堂「パリー」
 モダンな店名は創業時カフェーだったため。
 ここも秩父へ来るたびに気になっていた店。
 でもやはり祭りのときなんぞに入る店ではなかった。祭りの気分を味わいながら食事をするには程遠い場末のお粗末さ。
イメージ 6 高校の教室にいるような喧騒と、その間に漂うけだるい空気。普段もこうなのだろうか・・
 祭りなので、前金システムでメニューはラーメンとソースカツ丼など数種類のみ。みんなラーメンを注文している。
 頼んだソースカツ丼は、すぐに運ばれてきた。揚げざましとはいえ肉が分厚くとても柔らかかったのだが・・・あとでたまたま11月にここで食事された方のブログ記事を見たら、肉に隠れてごはんが見えない!! 漬物もタクアンと白菜。値段も違うし、あらやはり祭り特別仕様&価格だったのね。ラーメンにしときゃよかったかも。
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      昭和12年発行の冊子「秩父小唄と秩父音頭」に掲載された広告。
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 食事を終えると、四辻で西武秩父駅から都内へ戻る同僚と別れた。寒風が体当たりしてくる中、秩父駅へ歩く。駅の物産売場は営業中でにぎわっていた。
 21時台は電車が増発されていた。ホームで始発の40分発を待つ。座席に座るとどっと眠気が襲ってきた。満員で発車。みな熊谷あたりへ帰るかと思ったら、近在の人が多く小駅に停まるたびに降りて、長瀞あたりでずいぶんと空いた。寄居で東上線に乗り換えた人もわずか。22時36分発の小川町行は発車までに、秩父電車の臨時2本の乗客を受けたが、これも少なかった。
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            川越駅着23時半。
           歩き疲れて翌日からどっと疲労が・・・・・・・・
           食べすぎで翌日から必死の節制・・・・・・・・・ふぅ
 
   祭り見物が食いまくりツアーとなってしまったが、じつはまだまだあって・・・

            今回の秩父夜祭でいちばんおいしかったのはコレ
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                  鶏皮ギョーザ
  
            鶏皮に餃子のアンを包んで焼いた一品。「秘伝
           のタレ」と「にんにくマヨネーズ」のどちらかお好み
           で。
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            醤油ペースの秘伝のタレ選択。タレをかけて
           キムチをのせてくれるが、キムチは無くてもいい
           ような。
             これがいちばんおいしかった。B級グルメと
            あったが、どこの地域のものだろう?
 
           スーパーで鶏皮を売っているのを見つけたので
           自宅で作るのも可能たが、中身を作るのが面倒
           くさい・・
 
 
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★夜祭行き 前編

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 ▲寄居駅構内から秩父方面を望む 
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 東上線終点寄居でおりた一握りの乗客は、みな秩父鉄道の切符売場に並んだ。
 帰りのわずらわしさを考えれば、往復乗車券の購入が便利。臨時電車時刻表ももらう。予定では終電で川越帰宅の考え。
  やがて到着した四両の秩父電車は祭り見物の人でにぎやか。ドア脇に立って、冬らしい柔らかな日差しをまともに受ける。
 見物客でふくらんだ電車はきしみながら揺れながら、野上、長瀞と初冬の秩父路をゆっくり走った。
 
 
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 寄居を出てすぐの樋口で蒸気機関車と交換待ち。
 今年最後の運転とか。熊谷行きの汽車はガラガラ。
 いっぺん乗ってみたいもの。
 
 
 
 
 
 
 
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            40分あまりで秩父駅着。蒼い武甲の山容が迎え
           てくれる。乗客の大半がここで下車。改札への
           通路が渋滞しているので、しばらくホームで待つ。
            気温も高く爽やかな秩父。
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           ようやく駅頭に出ると威勢のよい太鼓の響き。
            ここで都内から西武線でやってきた勤務先の
           同僚と合流。同僚も自分も秩父夜祭ははじめて。
           有休消化が今回の突然の夜祭行きとなった。
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 まずは駅からすぐの秩父神社へ。混雑で正面に廻るのが面倒で、露店の脇から細い通路を境内へ。
 境内は参拝客が列をなしている。秩父の雨上がりは遅かったのだろうか。境内が泥濘化して歩きづらい。
 中町の屋台が夜間の巡行に向けて準備中。19時の出発にはまだ何時間もあるのに、境内の主だった場所には、もう待っている人が大勢いた。
 祭り予定表を見ると、昼の屋台などの曳き廻しは終了してしまっているようだ。
 
 
 
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 ▲木工製品の露店。川越あたりの祭りでは見かけない気がする。
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 とりあえず遅い昼食をとることにして、秩父神社を出た。
 神社前からのびる黒門通りを歩く。平行する番場通りに比べたら歩く人は少ないので、このあと市内をあちこち移動するのに何度も歩いた。
 
 
 
 
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            やってきたのは本町の通りにある天狗屋。
           秩父に来るたびに気になっていた蕎麦屋。
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 混んでいたが運良く席があった。入ったところが客溜り。衝立隔てて木机が置かれ勘定場になっている。
 まっすぐ奥に通路がのび、右手にテーブルが配置されている。入口左手が厨房。電燈は暗めですすけた雰囲気の店内。壁には今年のではない夜祭のポスターが貼られたまま。地元相手の店なのである。店の人たちの接客はとても丁寧で好感が持てた。祭り日なのであらかじめ食券購入のシステム。うどんもあるが、やはりここは蕎麦だろうということで、天ぷら蕎麦を頼んだ。相席の老夫婦のざる蕎麦が少なめだったので、予想はしていたが運ばれてきた天ぷら蕎麦はやや小ぶりの丼。小さい海老天・ナルト・ほうれん草・かまぼこが彩りよくのってちんまりとまとまっている。蕎麦はやはり少なめ。食むと多少粉っぽさが残っている。祭りではない普段の日に訪れたほうがいいかも。でも汁がとても美味しかった。
 
 遅い昼食だったが、量が少なかったことと、巡行開始まで時間があったこと、とにかくあちこち歩き回って、随時ほどよく空腹を覚えたことから、このあと思いがけなく?の食べまくりツアーに変貌してしまうのであった(笑)
 
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         さっそく焼き鳥を1本。外で食べるせいか妙にうまし。
 
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            天狗屋前で準備中の屋台。
           雲行きが怪しくなって、ひとつふたつ水滴が頬を
           打った。これはやばいかも。
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               冬の日は急速に暮れてきた。
 
  (つづく)
 
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★秩父夜祭へ

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 三百年の歴史を誇る「秩父夜祭」
その起源は秩父地方で開かれた絹市に、遠くからやってきた人々をもてなすために始められたと言われ、「蚕祭り」との呼名もありました。笠鉾と屋台が絢爛に町を巡行する秩父夜祭は、京都祇園祭り・飛騨高山祭りとともに日本三大曳山祭りのひとつになっています。
 埼玉県を代表する祭りを、初めて見にでかけました。川越から電車で2時間で、川越祭りとは違う雰囲気にあふれた優雅な祭礼を楽しむことができます。御旅所へ向かう屋台が団子坂の傾斜を駆け上がるクライマックスは、混雑で断念せざるを得ませんでしたが、全国的にも珍しい冬の打ち上げ花火とともに、山間の町の歴史ある祭礼の片鱗に触れてきました。
 19時に秩父神社をスタートした屋台牽引の画像を中心にどうぞ!!
 
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■昔の玩具「大宮みやげ ベースボール」
 
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 ひもの付いた竹を操作すると、全身でバットを振る他愛ない玩具だが、可愛らしく懐かしさがあふれている。
 
 ボール紙製の箱には「大宮みやげ ベースボール」とシールが貼られている。考案者は郷土玩具研究の大家として有名だった有坂興太郎氏。大宮にちなんだ郷土玩具五点のうちのひとつ。
 
 昭和9年に大宮球場が完成し、その記念に全日本軍と全米選抜軍の野球試合が開催され、野球の神様といわれたベーブ・ルースが来日して大きな話題となったが、この玩具もそのあたりから題材を得たのかもしれない。
 
 戦前の雑誌「郷土玩具」の口絵にこの「ベースボール」が掲載されていることから、戦前の品にほぼ間違いないと思われるが、他の玩具には昭和32年の青焼き設計図が存在するため、戦後の製作であることも考えられる。
 またお土産品として販売されたのかも、資料がなく不明である。
 
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 表情が可愛らしい。
 
 戦前の川越でも郷土玩具が作られたことがあった。石原町観音寺の祭事「ささら獅子舞」を題材にした獅子の玩具で、10数年前にあるお宅で実物を見せてもらう機会があった。残念なことに壊れていたが、小さくて愛嬌のある玩具だった。たしか試作の印があったから、これも販売はされなかったのかもしれない。
 
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 ▲昭和10年頃の大宮球場  現在の球場は同じ場所に改築されたもの。
 
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■旧黒須銀行と日本基督教団武蔵豊岡教会(入間市)
 
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  旧石川組製糸西洋館の公開とあわせて、歩いて10分ほど離れたところにある入間市指定文化財「旧黒須銀行」も公開されていました。
 西洋館を出ると霞川に沿って旧黒須銀行へ向かいましたが、その途中にあるのが「日本基督教団武蔵豊岡教会」です。この地域では石川製糸創業者石川幾太郎の弟和助が信者となって布教活動を行い、明治28年に教会堂が設置されました。
 現在ある教会の建物は、石川幾太郎が土地と建設費用一万円を寄付し、大正12年に完成したものです。
 
 黒須銀行を早く見たくて、撮影を済ますとさっさと立去ってしまったのですが、あとで調べてみるとこの建物、ウィリアム・メレル・ヴォーリスの設計によるものでした。つい先日、近江八幡市へ旅したおりにヴォーリスの建築の数々を見てきたばかりだけに驚きました。設計主要建物リストには掲載されていませんでしたし、石川組西洋館でもらったリーフレットの教会紹介のところにも設計者の記述はなく、見学前に気づいていればもっと丁寧に見たのにと悔やまれました。
 
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 入間市宮前町にある旧黒須銀行の建物です。明治33年設立で、役員のひとりには発智庄平(川越の人)がいます。顧問のひとりは渋沢栄一でした。
 建物は木造土蔵造りで明治42年に竣工したものです。
 
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 ▲店内の様子 銀行時代のカウンターが残っていますが、黒須銀行時代のものかは不明。
 成績優秀な銀行でしたが経営が悪化し、大正11年に武州銀行に合併されました。その後埼玉銀行支店となり、銀行が移転したあとは平成6年まで郷土民芸館として利用されてきました。
 
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 黒須銀行は明治44年に川越支店を設置しています。
 場所は川越南町(現幸町)で、現在ある埼玉りそな銀行川越支店よりやや北にありました。武州銀行と合併すると同行川越南町支店となりました。
 
 左の画像は、大正5年発行「川越案内」に掲載された広告です。
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ▲旧黒須銀行に隣接してある「繁田醤油」
  この地方では有名な醤油醸造業者で、当時の広告類を見ると埼玉県下ももちろんのこと、都内や神奈川などに販路を持っていました。
 
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▲明治時代の繁田醤油
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           ▲繁田醤油の売り出し広告
 
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▲さらに道路向かい側には、お茶製造の「繁田園」があります。戦前は山形市などに販売店があり、美人をモデルにしてお茶の宣伝を行ったりしました。
 
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            ▲秋田の繁田園売り出し広告 大正期
 
 :見学を終えると古刹蓮花院に寄り、西武線狭山市駅まで三キロ弱を歩いて川越へ。革靴だったんで、これはちょっときつかったですね。

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