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☆半日暇が出来たので思いつきで長瀞を歩いてきました。 もっとも今年1月に訪れたばかりなので、今回は上長瀞と長瀞の間をぶらぶら散策しただけです。写真もそんなに撮影しなかったのですが、数回に分けて掲載してみます。 川越を昼の電車に乗って終点寄居に着いたのは一時間後。すぐに接続する秩父鉄道を見送って駅前へ。今井屋のかつ丼を食べるためです。駅から徒歩3分ほどの今井屋は昨年1月以来の訪問。午後一時過ぎの店内は四つのテーブルがほぼ満席、奥の座敷にもお客さんがいました。注文はもちろん名物のかつ丼(800円)。揚げたてのカツを甘い醤油のタレにくぐらせてご飯に載せたものです。タレは甘いながらもあっさりしているので、まったくしつこくありません。他のお客さんは、カツライスのひとりをのぞいて全員かつ丼を食べていました。地元の常連さんやライダーが多いようです。一年半ぶりに再会した味は満足この上なし。ここはたしか日祭日が定休で、営業時間は11時〜14時と17時〜18時(!)です。おばさんのしゃべり方がとても丁寧で好感が持てます。 |
埼玉県
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■窓硝子の数字 秩父の芦ヶ久保小学校が過疎による児童の減少で閉校と決まり、今日が最後の卒業式だと新聞で読んだ。画像はその芦ヶ久保小学校で、今年1月に秩父へ向かう電車内から木造校舎に懐古を覚えてカメラを向けたもの。 私は小学校低学年時と中学一年二年をこのような木造校舎で過ごした。昭和40年代の川越市内の学校は木造校舎が大半だったと思う。小学校入学時の校舎は戦前の建築でこげ茶色だった。ボロ校舎と呼ばれた教室の机は2人共用タイプで、机上部分が蓋になっていて中にノートや筆記具を仕舞うようになっていた。この机でひらいた「しゃかい」の教科書には「むらにはよろづやというみせがあります」などと書かれていた。 中学校の校舎は戦後の建築だったが、骨組みを組んだ段階でなんらかの事情で工事が長期ストップしたという伝えがあって、そのせいか私が通学した昭和50年代には相当傷んでいた。2階で生徒が走り回ると階下には塵がパラパラ落ちてきたし、昇降口の庇に戯れにぶら下がったところ崩れ落ちたという事件もあった。技術科の教諭が暇なときに傷んだ箇所にベニヤ板を打ち付けていた。 トイレは屋外でもちろんお釣り式。天井から蝿取り紙がたくさんぶらさがり、女子トイレからのすさまじい悲鳴に駆けつけてみれば、落下した蝿取り紙が女生徒の頭にべったり絡み付いていた珍事件もあった。 ある時、昇降口の窓硝子の一枚に数字が入っているのに気づいた。よく見ると他にも数枚あった。卒業生である父親に聞いたところそれは学校の名前だと言った。戦後まもなく新制中学校として開校した川越旧市内の中学校は第一・第二(初雁)・第三(富士見)・第四(城南)中学校の名称だったそうで、硝子にその数字が刷られていたのである。当時は物資の無い時代。刷り込まれた数字は盗難よけのためだったという。
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