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■旧本庄商業銀行煉瓦倉庫 国登録有形文化財
明治27年建築の旧本庄商業銀行の煉瓦造倉庫です。
右側の駐車場スペースには、かつて平屋建ての銀行営業場の建物がありました。
長い間、ローヤル洋菓子店として使われていましたが昨年閉店し、現在は本庄市が管理し、建物の再生の道を探っているとのことです。
目をひくりっぱな建物だけに、保存再生の道が開けるこを願うばかりです。
洋菓子店時代に取り付けられたプレートがそのままに。
倉庫脇の小路
煉瓦倉庫と中山道 明治頃の倉庫前は道路に面して柵があり、内側に樹木が植えられていました。 |
埼玉県
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詳細
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群馬の小さな城下町小幡へ行ってみようと思ったのですが、もう少し暖かくなってからにしました。早春の半日旅はおもいつきで本庄市へ向かうことに。同じ埼玉なのに今まで訪れたことが無いのです。平野の川越に住んでいると、どうしても地形に変化あるとこに興味ひかれやすく、秩父や信州方面へ嗜好が偏っています。また鉄道を使うとなると川越から県北へはアクセスがちょっと面倒なんですね。大宮へ出て高崎線で行きましたけど、1時間半(乗り換え時間含)ほどかかりました。
本庄駅前。地方小都市の景観です。なんの下調べもせずにや
ってきたので、駅に観光パンフでもないかなと期待していたので
すが・・・ありません。江戸時代中山道の大きな宿場町であったこ
と、近代は生糸で栄え製糸工場がたくさんあった町であったくらい
の知識のみ。駅前の大雑把な地図板で見どころチェックして、さあ
街歩き!
駅前通りはすぐにのどかの景観になってしまいます。人も車も
少なし。
いいですねぇ昭和の香り。ひなびた町には理容店が不思議と多いように思います。このあと歩いているとあちこちにありました。
理容店の筋向いあたりには、字の形もまたいい「大衆食堂」の黄色い看板が。廃業されたようですが、駅が現在よりも重要性を持っていた時代には、きっと駅前通りで流行ったんでしょう。
中山道へ出て左折、本庄のかつての中心部へ。
こういうのどかなやさしい雰囲気は川越には無いですね。
このお宅は背後に土蔵などがずらりとあってすごい。
かつてのメインストリートもシャッター商店や空地が目立ちます。
今や買物は自動車で郊外への時代。川越もジワジワとその波が
押し寄せている気がします。
これはコンビニの跡っぽい。そういえぱ本庄でコンビニ経営をして
いた方のたいへんな苦労話をどこかで聞いたことを思い出しまし
た。今や街中の立地もたいへんらしいです。
あっ残念!仲町郵便局修復工事中でした。昭和初年のモダンな建築なんですが・・
建築当初の写真はこちら↓当時は本庄郵便局
これは昭和10年頃の本庄市街。右が郵便局です。左の「赤か
んばん」は熊谷に本店のあった衣料品店です。
さて、たどり着いたのは「本庄市立民俗資料館」 この素晴らしい洋館は「旧本庄警察署」として明治16年に建てられたものです。明治10年代の洋館なんて川越にも残っていません。入館は無料です。スリッパに履き替えて内部へ入るとなんとも懐かしい匂い。昔の川越市立図書館の雰囲気を思い出しました。外観は建築当初の姿に修復されています。見学を終えて出るときに、入れ違いで若い母子が中へ入っていきました。
往時の写真もアップしましょう。
個人蔵の写真です。資料館でもらったリーフレットに建物外観の変遷図が出ていたので、照らしあわせて見ると、塀や樹木で判別がむつかしいのですが、一階右側の窓がひとつなので大改修される明治44年以前撮影のようです。*画像は実際の写真よりかなりトリミングしてあります。
資料館敷地にあるこの建物は、警察へ面会に来た人の待合室
に利用されたもの。
資料館から北へ5分ほど歩いたところにあるこちらは結婚式場
でしょうか?ここにはかつて「五州園」という施設がありました。
町の人が憩う園地だったようです。
明治頃の五州園がこちらの画像↓
個人蔵写真*実際の写真よりかなりトリミングしてあります。
五州園跡脇の坂道を下ると小さな流れがあって、寺坂橋という古い橋が架かっています。画像ではわかりませんが石組みの素敵な橋です。 明治末期頃の同じ場所はこんな感じでした↓
個人蔵写真です*実際の写真よりかなりトリミングしてあります。
のんびり本庄散策、まだ続きます!! |
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■飯能の蔵造り 店蔵絹甚(みせぐらきぬじん)
10月に撮影した画像です。秋らしい晴れた日に用事で小平方面へでかけたのですが、あっけなく用事が済んでしまい、そのあとの川越での用事までに膨大な空き時間ができてしまいしまた。川越に戻ろうとしたのですが、なんとなく所沢で下車してしまい、飯能行き西武電車に乗り換えてしまったのです。あてもなく飯能の町を歩いていたところ、飯能市指定有形文化財「店蔵絹甚」が公開されていました。中に見学者の姿が見えたのでつられて、午後の陽射しが差し込む店へ入ってみたのです。
明治37年に建てられた蔵造りで、当時絹織物・生糸・繭・蚕種などを商っていた篠原家の店蔵でした。修理前は入口に土戸がはめられていましたが、以前に飯能を訪れたときにそれを見たのを覚えています。
中では常駐の女性係員が見学者に説明をしていたので、なにげなく一緒に聞かせてもらいました。
見世から表の通りを望んだもの。中央の通り土間はそのまま建物をぬけて裏手へ出られる構造です。
蔵造りの建物裏手に接続して木造建物があります。
居宅だった部分ですが、一間しかありません。
昔のガラス戸は深い味わいがありますね。
居宅部分から昔ながらの急な階段をあがると広い板の間があり、そこから蔵造り部分の座敷へ入ることができます。入ってすぐのところが格子状になっていますが、かつてはこれを外して荷物の上げ下げを行ったりしていました。(写っている方は案内係りの女性)
蔵の中は床の間などが設けられた座敷。
取引先の横浜方面からの顧客を迎えることもたびたびあったため、泊めたりする客間などに使われたそうです。
←戸棚の装飾
二階座敷から。 防火のために設けられた「う
だつ」は、飯能ではこの絹甚の店蔵にのみに施さ
れていたとのこと。
毎日の公開ではないので、訪れる際は飯能市HPなどでご確認ください。
外観はいつでも見ることができます。
飯能駅・東飯能駅から歩いても10分ほど。かつての中心街だった大通りにあります。
絹甚以外にも、昔の飯能の面影を残すレトロな建物が通り沿いにあります。
絹甚前で撮影された記念生写真(個人蔵)
戦前撮影と思ったのですが、ルーペで細部を見ると「市制」と判読できる文字があることから、昭和29年の市制施行当時の撮影と推定されます。
●参考資料 店蔵絹甚リーフレット 埼玉県飯能市教育委員会発行
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