|
「営業之栞」は川越最初の百貨店「山吉(やまきち)」が呉服店時代に発行したPR誌。様々な読み物や商品の案内などを載せた内容でお得意様に無料配布したものである。
これまでに私が確認したいちばん古いものは明治40年発行版だったが、一昨年市立博物館に同39年発行版が収蔵されているのを知り、今年になって同38年発行版を確認した。
呉服店PR誌の先駆けは明治32年に三井呉服店(三越の前身)が発行した「花ごろも」である。大都市における有名呉服店のPR誌創刊は、高島屋(35年)、白木屋(37年)、大阪そごう(38年)、名古屋松坂屋(39年)、大丸(40年)であるから、山吉のPR誌発行が迅速であったことがわかる。この明治39年版は12月の発行で40頁仕立。冒頭挨拶を読むと、前年より同業者(川越エリアか?)との話し合いで「盆暮れの売り出し」を廃止したが明年からは任意となった。売り出しはお客様には好評だが、夜明け前から深夜まで休憩食事も取れないほど混雑をきわめ、店員は疲労困憊となり終了後に健康を害する者もいるため、山吉では新年の売り出しは行わず、年間通してお客様に喜んでもらえる価格の勉強ぶりで納得していただきたいと書かれていてちょっとおもしろい。
「営業之栞」は盆暮れの年2回発行されたが、巻数表示がないためいつ創刊されたか不明である。この39年12月版にも発刊の辞のようなことは一切無いので、これよりもまだ遡るのかもしれない。
明治40年代になると挿絵や汽車馬車時刻表頁が登場し、大正期には商品が写真で紹介されるようになって体裁も内容も華やかさを増していく。
終刊時期も不明だが大正8年版までは確認している。山吉が蔵造り店舗裏手に木造洋館3階建てを建築して百貨店方式になったのは大正12年である。
*参考資料
|
川越・旧山吉デパート
-
詳細
コメント(2)
|
■新築記念の塗り盆
富士山が描かれたお盆です。
「新館落成記念 渡辺呉服店」と名入れしてありますが、渡辺呉服店は現在川越市仲町にビルが残る旧山吉デパートの前身です。
山吉では大正12年と昭和11年に店舗を建築していますが、この盆は渡辺呉服店となっていることからおそらく大正12年の新館建築時に記念品として配った品と思われます。新館竣工時には数百名を招いて新築披露をしました。
大正末期〜昭和初期頃の写真(一部を拡大したもの)
左の大きな洋館が大正12年に作られた渡辺呉服店の新館。鍛治町通りに面した蔵造り店舗裏手にあり、買物客は大きいショーウィンドーのある蔵造り店舗からこの新館へ入りました。当時はまだ東京の三越などは履物を脱いで店内に入る方式でしたから、渡辺呉服店も下足預かり制だったと推定されます。新館南側は窓が多いのですが北側は少ないのが画像からわかります。一階は昼間から電灯を灯し、二階三階は暮れてから灯したそうです。建物内奥中央に階段があり、数段上ると踊り場があって、左右に階段が分かれて二階へあがりました。二階から三階へは右寄りに階段があったそうです。
ちなみに画像の鍛治町通りに面してある小さい洋館は、現在市指定文化財になっている田中家住宅で、当時は桜井鉄砲店でした。遠方の大屋根は蓮馨寺です。
|
|
■朝日を浴びる旧山吉デパート
朝早くに一番街を通りかかったら、旧山吉デパートと隣接田中家住宅の洋館が朝日に照らされていました。いつも影になってしまう午後しかここを通ることが無いので、思わず撮影してしまいました。 国内の百貨店の誕生は明治37年(1904)の三越が最初ですが、大正時代になると松屋(8年)・高島屋(8年)・そごう(8年)・大丸(9年)など、大都市の呉服店の百貨店化が相次ぎました。このような動きは、江戸時代からの川越屈指の呉服店であり、現金正札販売・通販カタログ誌の刊行・自動車での訪問販売など、積極的な経営を行ってきた山吉に多大な影響を与え、百貨店化を促すきっかけのひとつになったのではないかと推測します。 表通りに面した店舗が瓦屋根の蔵造りという、当時としても珍しい百貨店でしたが、昭和になると株式会社組織となり、昭和11年(1936)春に蔵造り店舗を壊して、裏手の木造洋館に増築の形で造られたのが、今日に残る鉄筋の洋館です。 川越の山吉デパートの店内もおそらくこのような雰囲気だったと思われます。 |
|
夜に通りかかったところ、灯が輝いて美しかったので撮影したのですが・・見事にピンボケでした。 最近はこの建物「旧山吉デパート」として紹介されることが多く、それはもちろん正しいことですが、実際の山吉時代を知る人は少なくなり、川越に昔から住む50代以上の人には「元の丸広デパート」というほうが馴染みがあるように思います。 諸般の事情で昭和26年に「山吉」は百貨店を廃業しました。同年秋にこのビルのテナントとなったのが飯能市に本店を持つ「丸木百貨店」で、現在の丸広百貨店の前身です。 「川越市制三十年誌(昭和27年)」の口絵写真に丸木百貨店当時の店内写真が掲載されているので、ここに紹介しましょう。 着物関連の売場の様子です。一階に婦人紳士洋品・既製服、二階が呉服・服地売場だったそうですから、この写真は現在は失われた木造洋館二階部分と思われます。「おつとめ品」という表現がなんとも古風に感じます。百貨店といってもたいへん規模は小さく、狭い売場にぎっしりと商品が陳列されていて、衣料品の他に毛糸や化粧品、当時新登場したテレビも販売したそうです。当時の外観写真を見ると「丸木の衣料品」「既製服」などの看板が掲げられています。戦前は東京の大百貨店でも既製服売場はほんのわずかだったようですが、戦後は既製服売場の占める割合が次第に増えたようです。 丸木百貨店から「丸広百貨店」へ社名変更をしたのは昭和31年でした。
|




