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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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書庫川越・旧山吉デパート

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 ■久々に(多分今年はじめて)このブログ登場の「旧山吉(やまきち)デパート」の建物。修復工事は継続中のようですが、春に1階に歯科が開業し、修復された正面の一部が見られます。
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◆↓昭和9年の山吉広告(川越商工人名録掲載)イメージ 2
 ■夕刻に灯りがつくと、玄関上のステンドグラスの美しさが一際映えます。玄関前だと庇が邪魔となり、道路向いからでは携帯カメラの望遠は役立たず。残念ながら全景画像ですが、入口ドア上にステンドグラスがあるのがわかるでしょうか?

 70年の風雪に晒されて傷んだステンドグラスは、国会議事堂や三越、旧古河邸、川上貞奴邸など多くの貴重な建物等の修復を手がけた都内のステンドグラス会社によって、建築当初の姿にもどりました。

 玄関上欄間のステンドグラスの絵は「イングリッシュガーデン」で、当時流行したデザインだそうです。玄関の両脇のショーウインドー上は「孔雀と椰子」のデザインですが、現時点では見ることができません。

 江戸時代からの呉服店山吉は、山田屋もしくは渡辺呉服店ともいい、大正12年に木造洋館(現存せず)を建てて百貨店方式の店舗となりました。秩父の矢尾呉服店よりもわずかに早かったため、埼玉県最初のデパートと言われています。昭和初年には株式組織となって正式に百貨店を名乗りました。

 修復中の鉄筋コンクリートの建物は、昭和11年に木造洋館に増築されたものです。東京のデパートには規模・内容とも遠く及びませんが、呉服・洋服の他、洋品雑貨・玩具・文具・漆器・箪笥・食料品等を扱い、屋上には庭園を設けるなど川越名所として有名なデパートでした。

 戦後に閉店しましたが、その後は当時飯能市に本店のあった丸広デパートがテナントとなり、昭和39年に新富町に移転するまで営業したことを、まだ覚えている方も大勢いると思います。

◆修復前のステンドグラス 噴水と庭園が描かれています。
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 耐震補強及び復元工事中の、旧山吉(やまきち)デパートの建物を覆っている囲いが一部外されていた。工事前まではホワイトだった外壁が濃い目のクリーム色となり、色あせていた窓枠は鮮やかな水色になっている。復元工事であるから、建築当初の色はクリームだったのだろう。うかつにも最初からホワイトだと思いこんでいた。

 増築の形で建設されたこの鉄筋コンクリート3階建てのビルが竣工し、華々しく新装オープンしたのは昭和11年(1936)の12月のこと。今年はそれから丁度70年である。それ以前は蔵造り店舗で、裏手に木造モルタル3階の洋館を建築して、呉服店から百貨店方式に変換したのが大正時代。昭和に入ると株式会社組織となって名実ともに百貨店となった。そして一番街の通りに面した蔵造り店舗を取り壊して、裏手の洋館に増築する形で、今残るこの建物を建てたのである。

 増築によって木造洋館部分に新たに階段室と化粧室が造られた。当時の概要には食堂の記載もあるが、お得意様には近くの料亭に手配して食事を提供したというサロンのことなのだろう。婚礼衣装見立て場も新設されたが、当時を知る方の話しによれば、呉服売場に畳敷きで区切った部分があったそうだからそこかも知れない。

 この建物が出来た翌年に、甲府市最初のデパートとして開店した松林軒(しょうりんけん)デパートの建物は、戦火で焼かれながらも戦後も活用され戦争遺跡としても知られていたが、最近取り壊された。甲府商業の象徴として惜しむ声もあったが、老朽化には勝てなかったらしい。
 地方小都市のデパート建築である川越の旧山吉デパートは正面増築部分のみながらも、来年あたりには往時の姿に戻って保存再生の道を歩み始める。

山吉デパート(其の一)

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                     写真上・山吉ビル正面
                     写真中・復元工事完成図
                     写真下・山吉ビル背後

川越市仲町の蔵造りの建ち並ぶ一番街通りにある「山吉(やまきち)ビル」は、戦前の埼玉県において最初といわれ、また川越唯一だったデパートの跡。
「近世復興式」のデザインを施した鉄筋コンクリート3階建ての建物は、建築家保岡勝也の設計になるもので昭和11年(1936)に竣工した。昭和58年(1983)に背後の木造部分が取り壊されたあと、正面部分はずっと風雨にさらされたまま歳月を重ねてきたが、このほど保存再生への道を歩みだした。うれしいことである。

 一月下旬に一番街を通りかかって工事の準備を知り、数日後カメラを手に訪れた。このとき1階軒下部分の木造の覆いが除去されていることに気付いた。内側からしか見られなかったステンドグラスが道路側から見えるようになり、隠されていた正面両側の曲線の窓枠デザインが露わになって、この建物全体の印象を違うものにしていることに驚いた。
木造の覆いはおそらく戦後まもなく、丸木百貨店(現丸広)がテナントになるときに付けられたものと思う。じつに50数年振りに曲線部分は姿を現したのである。これまでは円柱の柱や、三階窓下のレリーフが山吉ビルのデザイン価値を語っていたが、この曲線が更にこのビルの美しさを際立たせ価値を高めている。優しい曲線はデパートの持つ華やかさ・楽しさ・高級感を感じさせてくれる。当時の小学生が、山吉デパートに行く楽しみを文集に書いた気持ちがよく理解できる。この覆いがなかったら、山吉ビルの価値ももっと早くから検討されたのではないか。
道路隔てて山吉ビルを見ていると、完成当時にいささか古風と言われていた鍛治町南町通りの景観に、相当斬新なものを与えたのではないだろうかと想像するのである。

 二月中旬にも撮影のため訪れた。保存再生ということは消えてしまう旧状もある。特に山吉ビルの場合、吹きさらし状態の背後部分は塞がれてしまうはずだから、写真に残しておかねばならない。20年前に木造部分を壊したときには確認できた、階段部分の壁の色もすっかり退色している。2階・3階にはシャッターがあるが、これは建築当初の防火設備のはずである。エレベーターの痕跡(実際には取り付けられなかった)。ステンドグラスと当時のままと推定される1階天井部分も撮影した。1階南隅は3階まで吹きぬけになっているが、これはキャバレー時代に取り付けた階段跡で百貨店時代のものではない。撮影させてもらいながら、市から派遣されて調査していた人と少し会話をした。
 ビル前を「あら工事してる。保存するのかしら?」「昔は3階まであがれたのよね」と二人の老婦人が話しながら通り過ぎた。
 シャッター切りながら、10年ほど前にビルの持ち主の方に、お話をうかがったことを思い出した。
 
 昨年、愛知県西尾市の大正時代の旧百貨店建築が保存の声もむなしく取り壊された。函館の旧森屋百貨店も、現役でがんばっていた丸井今井デパート小樽支店の建物もすでに無い。函館十字街の旧丸井今井デパートは市役所分室でまだ残存していると思う。いずれにしろ戦前の百貨店建築はそう多くないはずである。川越織物市場の建物が市場建築として全国唯一に近い稀少価値ならば、山吉ビルも戦前地方百貨店建築としての稀少価値は高いはずである。
 蔵造り建築がかつての川越商人の経済力を示すものならば、この山吉ビルは戦前の川越が百貨店を必要とするほど、商業力が大きかったことを示すものなのである。

 山吉ビルの耐震補強工事及復元工事の完成が待ち遠しい。

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