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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
忙しすぎて更新ままならず・・すいません

書庫川越風景(古い町並み)

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連休中の一番街

 三連休中は忙しくて川越時間を楽しむどころじゃありませんでした。それでも2日に用事で旧市内へ出たついでのほんのわずかの時間一番街を歩きました。
 人と自動車だらけですさまじい有様でした。「自動車が怖くてゆっくり見学できないね」と言いながら歩いてる人の多いこと!
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小林家住宅文庫蔵見学会

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 見たいものがあって服部民俗資料館に寄ったところ、埼玉りそな銀行隣の川越市指定文化財小林家住宅文庫蔵が公開されていると、散策客がしゃべっているのを耳にして行ってみました。
 去年も一昨年も見学しているのですが、様々な道具が仕舞われたままの蔵の中は何度見ても興味深いものです。
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一番街の面した店蔵(和菓子店がテナント営業中)脇の通路を奥に行くと小さい文庫蔵があります。明治16年建築で川越大火の類焼をまぬがれた蔵です。
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商売道具から日用品に至る様々なものが大切にしまってあります。画像は受付前に展示されていた雑誌附録の写真帖。兵隊慰問用です。表紙は女優轟夕起子(とどろきゆきこ) 宝塚から映画界入りした明るい顔立ちの美女。しかし戦後まもなくに体型に変化?がおきて、戦前作品未見の私は恰幅のいい轟さんしか拝見したことがないのです。「あいつと私(1960年)」のコミカルな美容家や、「女中っ子(1955年)」の末っ子にどこか無関心な母親役が印象に残ってます。

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★菓子屋横丁のある日

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 江戸の終わりから明治のはじめにかけて、近くの大連寺門前にできた数軒の菓子屋が菓子屋横丁のはじまりだという。現在の菓子屋横丁の道は養寿院の墓参用の道だったが、次第にここにノレン分けした菓子屋が集まりだした。仕入れをする人たちからは一ヶ所で済むと好評で、そのため他所に構えていた菓子屋も移転してきて繁盛するようになった。北は寄居・松山、南は所沢や青梅あたりまでを卸売りの範囲とし、青梅の奥の氷川からは夜をついて馬力や荷車で仕入れに来たという。

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 【参考資料】
 ●武蔵野ペン第1巻第2号「菓子屋横丁の今昔」 1975年

★おねり

 突然の囃子の音色に一番街の通りへ出ると・・

 養寿院の路地のほうから艶やかな彩りが華やかに!

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 市内の温泉ランドにやってきた劇団一座の「おねり」なのでした。

 時の鐘前での記念撮影に居合わせた観光客は大喜び。

 撮影が終わるとマイクロバスがやってきて、一座は脱兎のごとく消えました。

 このあとすぐ公演だったらしいです。


 *10月4日撮影

★更けゆく秋の夜

 ☆川越まつりも近いので、定番の一番街あたりの画像アップ! 

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▲あらら時の鐘が闇夜のカラス状態で、ライトアップ部分のみ判別可能・・苦笑
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★引き子

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▲行伝寺前にて

 女性の引き子さんははじめて見ました。
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