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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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★旧高沢橋の名残り

保存されている旧高沢橋の親柱(おやばしら)

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■蔵造りの街並みあたりへ行くときはたいてい自転車。市役所などへの用事のついでにブログネタを見つけて撮影しています。ズボラなので自転車にまたがったまま撮影しています。
 たまには歩いてみようと、蔵造りの一番街から菓子屋横丁へ。するとやはり目にとまるものが違うんです。
 菓子屋横丁の雑踏を逃れて赤間川畔へ出ると、高沢橋のたもとで思いがけないものを見つけました。
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■「高沢橋」と彫られた石柱です。案内標かと思いましたが、かなり古びています。目立たなく置かれているのもちょっとヘンでした。もしやこれは!と思いしっかり撮影。近くの店で聞いてみよかと思いましたが、あたりの店はみな休業中。帰宅してから高沢橋を写した古写真を見るとやはり推察は当たりました。

 これは旧高沢橋の「親柱」のひとつなのです。親柱は橋の両側にあって、橋名や架橋年月日を彫りこんだ柱のこと。

 木橋だった高沢橋は、明治中期に埼玉県でも珍しい石橋になりました。ふたつのアーチが川面に映る姿から「眼鏡橋」の別名をつけられ、川越の人にこよなく親しまれた橋でした。残念なことにこの橋は明治43年の未曾有の大洪水で流されてしまいます。
 そして川越地方での陸軍特別大演習に間に合わせて、大正元年新しい高沢橋が完成しました。小さな鉄橋でしたが、眼鏡橋とは違った控えめな美しいデザインは、周囲の景観によく馴染んでいました。昭和42年に現在の橋に架け替えられるまで長く使われましたが、残された親柱はこの鉄橋時代のものなのです。
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 ■鉄橋時代の高沢橋(大正末年〜昭和初年) 左寄りに親柱が見える。
■平安時代末期から鎌倉時代にかけての館址である「河越氏館址」は、歴史上においても重要なことから国指定の文化財になっている。

 各時代の庶民の生活には興味があるけれど、武将の争いにはほとんど惹かれるものが無い。高校時代に何十巻にも及ぶ山岡荘八の時代ものを読破している友人がいたが、自分には無理だった。大河ドラマもほとんど見たことが無い。

 よって、この場所に立つと何百年も遥か彼方の遺構がこうして残っていることを、単純にスゴイなとただただ感心するだけ。(画像は8月16日撮影)
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◇上戸常楽寺周囲に残る土塁
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境内大師堂が引越し中の川越成田山

■炎天下のもと成田山川越別院本行院の大師堂がゆっくり移動作業中。門を入って左手売店脇にあったのが、右手の境内隅に移動するそうです。

●昼の休息タイムで作業の方達はみな大師堂の下にもぐり込んで昼寝をしていました。
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●寺の前を通りかかって、門のすぐ向こうに大屋根があるのでびっくりしました。今だけの景観です。
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●以前、木造校舎を移動している写真を見たことがあります。校舎内ではもちろん授業が行われていました。川越では川越駅西口を区画整理したときこの方法で移動した家屋があったことを思い出しました。
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●本堂から見た境内。千葉の成田山の別院としては全国で最初の歴史があります。広い境内ではもう30年近くも骨董市が毎月開かれ、駅から遠いにもかかわらずにぎわいます。着物・布・陶器類の店が多いことで知られています。
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■百万灯夏まつり初日の28日、蓮馨寺境内には午後の日盛りを避けてくつろぐ人が大勢いた。この界隈で夏の強い日差しを遮るまとまった木立があるのは、ここがいちばんと思う。桜の枝が四方にのびて天井のようになっている本堂前はかなり涼しい。
 秋の川越祭りと比べれば数は少ないが、境内には露店も並んで客寄せに余念が無い。中央通りの方角からはお囃子が心地よく境内に届いてきた。

◆蓮馨寺参道の露店。暑いのでふらふら〜とかき氷を食べてしまった。シロップが2種類選べるということで、イチゴとコーラにした。
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◆祭りなんて関係ないよと本堂脇でひたすら昼寝をむさぼるニャンコ様。動物は涼しい場所をよく知ってますね。
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◆いきなり鐘が鳴り響いた。いい音色である。時計を見たらずいぶん半端な時間だった。自由に突いてよかったのかも知れない。明治26年の川越大火による焼失をまぬがれた歴史ある鐘楼。
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喜多院本堂裏にある松平大和守家墓所


◆墓所入口
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◆墓所を守る亀イメージ 2
■川越百万灯夏まつりは、川越藩主松平斉典公逝去を悲しんだ家臣三田村源八の娘魚子(ななこ)が、家の軒先に切子灯篭をかかげて冥福を祈ったことがはじまり。
 松平斉典(まつだいらなりつね)は目安箱の設置、水害再発防止策、藩校開校など地域の繁栄に尽くした殿様。川越藩最高の石高17万石は斉典公時代であり、現在も残る川越城本丸御殿の建築もこの時代に行われた。
 喜多院本堂裏手に松平大和守墓所がある。川越で亡くなった五人の殿様の墓があり、門を入ると正面に並んだ四つの墓のいちばん左が斉典公である。石門をくぐると大きな五輪塔と頒徳碑がある。
 祭り当日、お参りする人でもあるのんと思ったらそのような気配は無し。日差しを遮る樹木の中の墓所は、セミ時雨の中でひんやりとした空気に包まれていた。

◆五輪塔と頒徳碑
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◆墓所から見た喜多院本堂裏側
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◆とんぼがたくさん飛んでいました。
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【参考資料】
 川越市の文化財 川越市文化財研究会 昭和47年
 川越大辞典 川越大辞典編纂会 昭和63年
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