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■懐かしい扇風機 今年は節電対策で扇風機がよく売れているという。量販店の前を通ったら、店頭にコーナーができていた。うちには数台あるので新たに買う必要はないが、問題は西日。強烈な西日の影響と風通しのよくない家屋の造りは毎夏地獄である。裏口を開ければ夜風で一気に涼しくなるのだが、防犯上そうもいかない。近所の庭先に不審者が潜んで、深夜の大捕物が繰り広げられたのはつい数年前のこと。どこもかしこも開け放して眠れた夜はもはや彼方のことになってしまった。
夜間はクーラーが使えると思うが、西側にゴーヤか朝顔を這わせようかこのところ悩んでいる。植えるとしたらもうやらないといけないのだが、すぼらで億劫な性格が・・・
アンティークショップ店頭に飾られた懐かしい型の扇風機。これに似た型はかつて我が家にもあった。ランニングシャツとパンツ姿の幼い自分が、サイダーを注いだコップを畳において、扇風機の傍らでなにやら遊んでいるスナップ写真がアルバムにコーナーで留められている。(コーナーも今は使わなくなった。古くは「飾り紙」と称したと最近知った) 回る扇風機に顔を地近づけて「あーー」と声を出したのも懐かしい。
戦前の扇風機販売広告。「電気扇」の呼称が今となっては斬新な響き。当時は有名メーカーの品を電力会社も販売していたことがわかる。「事局の影響を受けて在庫僅少」とあるから、戦争の足音が近づいた昭和10年代前半頃の広告と思われる。
「東京電燈」は、今や毎日その名を聞かぬ日はない東京電力の前身会社。川越は明治末期に埼玉県で最初に電燈がともったところ。町の有力者たちによって設立され火力発電であった。町に電燈をともし、川越ー大宮間に電気鉄道を運行した。他の電力会社と合併などで社名を何度か変更したのち、東京電燈と合併し支社となった。終戦頃は関東配電、そして東京電力である。大正はじめの武蔵水電時代には、秩父の発電所から小川町などを経て送電したが、先頃の地震による計画停電時間帯が川越は小鹿野や小川と同じで、武蔵水電時代のエリアをほぼ踏襲しているらしいことに気づいた。(*広告ビラはアンティークショップにあったものではありません) アンティークショップ店頭にあった、広告ビラと
ほぼ同じ型の電気扇。
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川越の資料
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▲昭和10年代の川越高等女学校 屋根や地面の白いのは降雪によるもの(川女卒業アルバムより)
■川越汁
川越高等女学校では、昭和8年9月から「栄養給食」が始まった。給食といっても今日のものとは違っていて、生徒が持参した弁当などの副食物としての位置づけであった。
夏休み中に校内の元うどん食堂を改造して調理室とし、800人分の琺瑯食器や業務用鍋等の器具を購入した。炊事夫一人に補助の女性二人が朝8時頃から調理を始め、昼食時間に間に合わせた。
給食開始月の献立を見ると、主な品目は次のとおりである。
「白和え」「旨煮」「カレー煮」「野菜豆」「卯の花」「鉄火味噌」「キントンとロース煮」「煮豆とフライポテト」「利休すいとん」「トマト煮」「煮豆とキンピラ」「吉野汁」「スチュー(*シチュー)」「呉汁」 等
汁物が多いのはたくさんの材料を入れることができて栄養面に万全であること、家庭からの弁当の携行に汁物が適していないからでもあった。いずれも材料が記されているが、調味料類は省かれているので味付けがよくわからないものもある。それでも亀甲萬醤油や太白ザラメなどが廉価に使用できて味付けは好評だったようだ。
女生徒に多くみられた偏食の是正と、みんなが同じものを食べることによって、蓋で弁当を隠して食べる行為の減少に効果が見られたという。家庭からの注目も高く献立を書き写す生徒もいた。市内で操業していた石川製糸(現在の市立中央図書館のところにあった)では、献立を真似て女工さんたちに提供したという。全国の学校からの視察も相次いだ。
献立には「合多汁(ごったしる?)」「熱煮」などというよくわからないものもあるが、月末日に出されたのが「川越汁」
材料は生揚げ・甘藷・玉葱・鰹節・葵菜豆・・・・さつまいもが入っているので「川越汁」と名づけられたと想像できるが、さてどんな味付けだったのだろう。
■参考資料
○会報 川越高女 昭和8年
○栄養と嗜好 内務省衛生局 昭和6年
○栄養と食料経済 内務省衛生局 昭和6年
○聞き書埼玉の食事 農山漁村文化協会 1992年
▲現在の川越女子高等学校 |
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昭和5年に川越市教育会によって調査された報告書である。謄写版刷り16頁。紡織品・金属・機械器具・化学製品・食料品・木工品の項目に分別され、川越市内の百貨店・金物店・自転車店・時計店・貴金属店・食料品店等で調査された。品名・原産国が挙げられ、その品の特長や国産品との比較が書き込まれている。例えば、腕時計・鎖時計は近年国産品にも優良品あり、望遠鏡・写真機は国産品及ばず、ココアは国産品の質劣るといった具合に記されている。
調査の目的は国産品の愛用を促したものだったらしい。当時は不況の最中。国産品の質をよくして輸出を増やし、国を富ませれば不況も失業も無くなると言った旨が冒頭に記されているが、この報告書がその後どのように活用されたかは不明である。
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