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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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■35年前のクリスマス広告
 
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 ▲昭和50年(1975)発行に丸広デパートが発行した「師走4題」という広告。毎週の新聞折込広告とは別のもので、月に一回発行していたようです。二つ折4頁仕立で、中はモノクロ印刷です。
 師走のテーマはクリスマス。「今年はお友達をおさそいしてファミリー・クリスマス」をと謳っています。
 
 当時の人気おもちゃ、こんなものあったと覚えている方もいらっしゃると思います。
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 自分にとっては「黒ひげ危機一発ゲーム」が懐かしいですね。「オセロ」は持っていました。定番の「リカちゃん人形」に、「ママクッキー」は「ママレンジ」の系列でしょうか。「トランシーバー」もたしか買ってもらったことがありました。
 小学生の頃は、12月なると新聞に折り込まれる、丸広のおもちゃ広告が楽しみでした。丸広界隈にはイトーヨーカドー内にあったキディランド、玉屋・おびつなどの玩具店があって「町へ買い物に行く」となれば、なにか買ってもらえるのではと期待に胸ふくらんだものです。
 
 当時の丸広は四階が子供フロアで、子ども服・ベビー用品・おもちゃ・書籍(紀伊国屋書店)・文具・レコード楽器(山野楽器)・古銭切手コーナーなどの売場構成になっていました。
 
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★ひばりが来た日

■ひばりが来た日
 
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  美空ひばり川越公演のビラである。会場となった川越女子高校新講堂の完成がたしか昭和34年頃のはずだから、そのころだと推定したが、インターネット検索で「あの日は何曜日?10000年カレンダー」という過去未来のカレンダー表を見つけ、開催日5月1日(日)は昭和35年(1960)と判明した。インターネットの便利さは驚異である。
 
 「川越豪華初公演」とあるが、もっと早くに川越鶴川座あたりの舞台に立ったことがあるのではと思っていたので意外だった。歌の女王はデビュー10数年後にはじめて川越にやってきたのである。公演会場が女学校の講堂とはびっくりだが、当時の川越にまだ市民会館はなく、明治に建てられた川越会館は畳敷き、大勢が集まれる公共施設は皆無であった。川女の講堂にはたしか島倉千代子も来演している。
 
 公演の協賛笠間は現在も中央通りにある呉服店。この頃は総合衣料品店として知られ、「あのあたりでは笠間と正札堂へよく買い物に行ったわよ」と年配の方の述懐を聞いたことがある。以前、調べごとで昭和20年代の新聞を見ていたら、笠間の広告がずいぶん眼にとまった。
 
 美空ひばりが亡くなってもう20年以上だろうか。当時の追悼番組で、10代当時の公演フィルムが短く紹介されていたが、身のこなしも軽くジャズを歌いこなしており、演歌の美空ひばりしか知らなかったので、その映像はかなり衝撃だった。
 
 若き日にジャズを歌った音源があったのでここにご紹介
                  
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★川越市制記誌

■川越市制記念誌


 早いもので明日からは12月。
 
 12月1日は川越が市制施行した日。大正11年のことだから今年で88周年。
 
 埼玉県最初の市制施行で、川越に続く熊谷・川口の市制施行は昭和8年と、ずいぶんと後のことだった。浦和が昭和9年、大宮が昭和15年で、戦前の埼玉県の市はこれだけ。あとは戦後になってからである。
 
 
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 上記画像の「市制十年誌」は、昭和7年に発行された、わずか62頁の小冊子の体裁である。川越の沿革、歴代市長、十年間の市勢の変化など統計的な面から記した内容で、写真や図版は一切無し。記念誌としてはあまりにも愛想がない。
 それでも県下の諸都市と比較してみても、戦前の川越市は市勢要覧などの刊行物をまめにだしており、今日資料としての役立ちには計り知れないものがある。市制五周年記念のときは「川越城主年表」が発刊された。
 
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     昭和初年の川越市役所庁舎

★川越演芸館のビラ

■川越演芸館のビラ
 
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 川越演芸館は現在の川越スカラ座の前身です。大正10年に現在地に開館しました。
 
 上映作品の東京初公開は、「鶉の旅」が昭和10年、「大学よいとこ」が昭和11年3月であり、オリンピックニュースはベルリンオリンピック(昭和11年)と思われるので、このビラは昭和11年発行にほぼ間違いないと推定されます。東京公開からかなり遅れての上映が川越では当たり前でした。
 
 「大学よいとこ」は名匠小津安二郎監督作品ですが、現在はフィルムが失われて観ることができません。小津作品の中では最も暗い内容だと推定されているようです。主演の高杉早苗は、高峰三枝子・桑野通子とともに松竹の人気女優でした。
 
 演芸館経営者は弁士として活躍した人で、ビラには弁士名「華翠」になっています。のちに市会議員となり多岐に渡る役職についています。
 この頃の川越には、演芸館の他に立門前「鶴川座」と、鉄砲町織物市場隣接の「舞鶴館」があり、昭和20年代半ばまで長いこと3館体制でした。演芸館は戦時中に「松竹館」となり、昭和30年代に「スカラ座」と名称を変えています。
 
 余談ですが、昭和10年前後に某映画会社が川越を撮影所移転候補地としたことがありました。映画会社が視察に訪れ、市関係者が住宅のまばらだった川越駅南部を案内したものの、構想は流れてしまいました。このあと大宮・春日部が移転候補地となりましたが、これも実現しませんでした。
 
  【参考資料】
   ■小津安二郎新発見 松竹編  講談社+α文庫  2002年
   ■川越市合併記念 川越名士アルバム   日刊埼玉新聞社 昭和31年
 
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★記憶を読む

■記憶を読む
 
  出社時の電車内は睡眠、帰宅時はなるべく読書するようにしているですが・・・ボケーッとしてしまいます・・笑
 
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 最近読み返した「明治から大正へ 聞き書」は、川越市史編纂の過程で1970年代作成された資料です。
 
 職人への聞き書きが多数を占めますが、伊佐沼や指定地、川越をめぐる政治などの聞き書きも含まれます。川越に取材にやってきた某作家が、のちに川越が登場する小説を書いたときには、この聞き書に出ている川越芸妓の思い出話をかなり参考にしています。
 
 私がよく読み返すのは、「川越の今昔」という喜多町にお住まいの方の思い出話。
 数頁の短文なのですが、文が上手なため明治初年の喜多町や札の辻あたりの情景が、手にとるようにわかるのです。喜多町の通りは両側に側溝があって、瓦屋根の家はほとんどなく、杉皮葺き屋根の家が大半だったことや、電気のない当時の川越の夜の暗さや縁日の記憶など、川越大火以前の明治初年の町の様子が淡淡と描写されているのは貴重です。
 
 市史編纂室も貴重だと思ったのでしょう。この聞き書きだけは、昭和13年にある本に発表されたものからの転載なのです。
 
 *「明治から大正へ 聞き書」は市立中央図書館に所蔵されています
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