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★川越スケッチブック-埼玉都民の川越暮らし
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★川越行李のはなし

■川越行李のはなし
 
  【杞柳細工(きりゅうざいく)】
  河原の湿地などに生育するコリヤナギ(行李柳)や藤で編んだ、行李・バスケット・インテリアなどの木工品のこと。(ウィキより)
 
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 ▲杞柳製品(これは岐阜県のもの)
 
 杞柳細工は兵庫県豊岡市が長い歴史をもち、国の伝統工芸品にもなっています。他の主要産地に北海道・長野・福井などがあり、戦前の川越も小規模ながらそのひとつでした。
 
 埼玉県における杞柳栽培は、明治37年に北足立郡土合村に試植されたのがはじまりですがまったく振るいませんでした。大正2年に荒川沿岸の植木村・古谷村(いずれも現川越市)などに植えられてから普及をみたものの、加工せずにすべて岐阜などの産地に送るのみでした。
 
 大正6年、川越商業会議所では家内工業に利用するため、豊岡へ三名の調査員を派遣し研究にあたらせました。その結果同年12月に川越町宮下町に「喜隆社」を設立、兵庫より指導員を招いて杞柳製品製造の講習会を開いたりして、普及に努めました。
 
 大正15年の統計によれば、県内の製造戸数は19戸で従業者は約60人。これには農家が農閑時に栽培だけするのも含まれています。川越以外の県内産地は浦和・大宮・熊谷などで、行李の他にバスケット・紙屑入れ・炭取・果物籠などが生産されました。震災以後に需要が高まり、原材料は地元産だけでは不足し長野や兵庫から仕入れたそうです。製品の販路は主に東京・横浜方面へひらかれ「川越行李」として知られていました。
 
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 ▲東京三輪田高女の春季修学旅行写真(大正10年5月4日/千葉県八幡)  
 手に持っているのはバスケット、おそらく杞柳細工製品。
 
 余談ですが、柳行李で思い出すのは壺井栄の小説「母のない子と子のない母と」です。子どもたちが麦刈りだかを手伝わされるときの昼飯が、柳行李の弁当箱にぎっしりつめたご飯。両行李といって蓋のほうにもご飯を詰め、ご飯の間にはサンドイッチのように黄色いたくあんと赤い梅干が挟んであって、子どもたちは唾を飲み込んで狂喜するのですが、読んでいる自分もここにさしかかるといつも唾が出てきます。
 
 
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●参考資料
 林産物並木竹製品           埼玉県        昭和2年
 埼玉県の特産品と其取引案内    埼玉県商品陳列所 大正15年
 埼玉県林業要覧 附視察旅行案内  埼玉県        大正13年
 埼玉県産業案内      埼玉県茶業組合連合会議所  大正9年     

★「川越便覧」

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▲わかりずらいですが、表紙右の縦3本が「川」、上部に「コ」、下部が「エ」となっています。

 ■【川越便覧】
 大正6年に発刊された川越ガイド本です。携帯を考慮した小型手帳サイズで130頁ほど。名所案内・諸官庁一覧・商工業者一覧・町別主要商店案内・市内各所の写真・広告頁の内容構成です。
 たとえば銭湯一覧を見ると10軒の銭湯が掲載され、白湯と薬湯の区別が案内されています。風呂の良し悪しは読者が判断してくださいと書かれているのがユニーク。

 発行元は川越町東国新聞社。奥付に住所が無く、この東国新聞社が川越のどこにあったのかは不明です。川越をガイドした本は町当局などから数種発行されている「川越案内」が知られていますが、民間からだされたこの川越便覧は珍しい一冊です。
 ↓↓折り畳まれたシワシワの紙
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 ↓↓広げてみるとこんな感じ
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 これはなにかとといいますと

 『紙製繭枡』というもので、明治時代に繭の取引に用いられました。

 養蚕農家を回って繭玉を買い入れる仲買商人が使用したもので、携帯に便利な折り畳み式になっています。
 紙製の枡は明治になって登場しましたが、仲買人の都合のいいように容量をごまかす枡が横行したことから、生産地の県などが排除する規制を施行しました。

 埼玉県では明治19年に繭験枡取締規則を施行し、壱斗験・壱升験・五升験が定められました。ここに紹介した画像の紙枡は施行直後に製造された正規のもので「壱斗験」に該当します。製造人は川越町の度量衡商で今も盛業中の商家です。

 しかし「あぁ野麦峠(山本茂美)」を読むと、仲買人たちは傷んだ繭を混ぜて安く買い叩く件もありますし、規制されてもあの手この手ですり抜けて、いたちごっこ的な面があったようです。

★消滅した川越風景

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 ▲1985年(昭63)頃の川越市六軒町2丁目地内の景観。この頃は気が向くと川越市内の風景を撮影
 していた。突き当たりの町家のガラス戸にはスカラ座のポスターが貼られている。映画はサモ・ハン・キンポー主演の香港映画で、「燃えよデブゴンシリーズ」か「五福星」だったと思う。

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 ▲こちらは2010年現在の同一場所。25年過ぎてあまりの激変ぶりに、こことは違う場所じゃないかと思ったが、左の側溝の排水口の位置と右端の民家のポストなどから、なんとかこの場所であることが確認できた。

 蔵造りエリアから離れると、古びた素朴な家並みはほとんど失われてしまっている。

★昔の広告ビラ

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■戦前の広告ビラです。市内的場の長島屋商店・・・今もあるんでしょうか、調べてないのでちょっとわかりません。
 上部に掲載された営業品目がなんともいえません。食料品から雑貨・衣料品までなんでも扱っています。いわゆる「よろずや(万屋)」 最近では滅多に聞かない言葉だと思いますが、私が小学校一年生時の社会科の教科書には「町にはデパートがあって、村にはよろずやがあります」と絵入りで書かれていました。
 昭和40年代の川越にもよろずやはまだあって、買い物に行ったことがあります。母親の実家のある地区でしたが、実家のある集落には店はなく、離れた別の集落にありました。屋号はあったのでしょうが「●●さん」と通称で呼ばれていました。店の主婦に「どこから来たの」などと聞かれ答えているうちに「ふーんそうかい、あんた●ちゃんの子供さんかあ」 軒は低く店内は薄暗かったのを覚えています。
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 泉小学校脇にある「どじょうや」さん。ここを通るたびに素朴な店名をいいなと思いつつ看板を眺めていまいます。ここも昔はなんでも扱うよろずやだったのかも知れません。
 店前の道は「河岸街道」 往来に沿って小さな流れがあり、護岸工事がされる以前は道から自然に低くなって水辺になり、ひなびた農村風景を感じさせる場所でした。
mak**756*000
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