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久しぶりに神保町にある喇嘛舎さんに行ってきました。以前、三軒茶屋にあった頃は、三軒茶屋の二階のマンガ屋さんに寄ってから喇嘛舎さんに行くというのが週末のコースでした。もう20年くらい前のことですね。
店主の長田さんに、単行本「まんがのおまつり」を見せていただいて、状態はそれほど良くないので、普段なら買わないレベルですが、戦後の井上一雄の4色漫画の掲載を見せられると、これ珍しいからなということで買ってしまいました。内容は何人かの講談社系の漫画家による短編が収録されています。 出版社は前に紹介したみどり社で、みどり社では、雑誌サイズの絵本を出版しているのは確認していましたが、漫画でも雑誌サイズのもの出していたんですね。これは珍しいです。 井上一雄は、「バット君」系の漫画が紹介されていますが、そういうタイプの漫画だけじゃなくて、戦後はわりと今回買ったうさぎを主人公とした動物漫画や、大人向けの恋愛ものなんかも描いていたりします。まあやはりプロの漫画家です。 先日、WOWOWの再放送で、「ノンフィクションW 浦沢直樹 〜天才漫画家の終わらない旅〜」を観ていたら、浦沢さんがスマホで読む漫画が漫画表現を退化させているという趣旨の発言をされていたのですが、その例えで、その退化というのが「のらくろ」の漫画くらいまで昔に戻ったという話をされていて、これよく意味わかりませんでした。 スマホの漫画表現=のらくろの漫画表現 が同格ということですが、これは「のらくろ」の漫画が逆に昇格したのでしょうかね。「のらくろ」の漫画よりも今の漫画の方が表現的には発展しているところは当然あるとおもいますが、そもそもこれ同格に論じられないものだとおもいます。 浦沢さんは、スマホでは小さい画面で上下に指で動かして頁をめくるので、本とか雑誌のように頁をめくって次の頁で例えば見開き全部を1コマの迫力ある絵を入れる効果とかのが難しいっていうような趣旨のことだったとおもいます。でもこれ「のらくろ」ではこういう効果を積極的に狙った頁数多くあるのですが、まあ誰も気にしないですし、「のろくろ」なんて所詮その程度の認識なのねということがわかる発言でした。 最近ネット上でも、古い漫画について侮蔑的な発言多いですね。もう古い漫画の描き手もいませんからいくら酷いこと言ってももう被害者がいないということなのでしょうか。 でもそういう人たちはまったく古い漫画のことを読んでいなくて、インタビューや昔の本での記述からの引用だけで、それも都合のいいところだけを切り取ってまとめています。(主流の漫画評論とか歴史の本っていうのは今ではこういう内容のものばかりです。) 手塚治虫自身の赤本漫画についての発言も、赤本漫画全体を示す引用に耐えうるほどの内容ではないんですよ。赤本漫画っていう言葉の定義も以前より侮蔑的に変更されていますし、おそらく手塚も今行われているような赤本漫画の解釈に使われるなら、反対してたんじゃないでしょうか。 実際には、漫画の本の内容から検証されるべきことなのですが、誰もやりませんので、簡単なやり方手抜きの方法でまとめている方ばかりですね。まあここまで酷くなってくると、漫画の本を読んでも酷い解釈やレッテル貼りで終始するでしょうね。赤本漫画・貸本漫画の批判的=知的。赤本漫画・貸本漫画擁護的=バカという図式でしょう。もともと漫画評論の世界ではこういう風潮がありましたが悲しい話です。 |

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のらくろの凄さがわからないのか、読んでないのか、あきれた話ですね。ぼくは田河水泡が大好きです。
2018/12/19(水) 午前 2:35 [ kat*b*u_022* ]
お久しぶりです。
たぶんのらくろ読んでないんでしょうね。
手塚教の信者は一神教で、排外主義だからっておもちゃいますよ。
なんで昔の漫画に厳しいんですかね。
オレなんかは、あんな可愛らしい漫画、昔に描いててくれてたんだ。ありがとうっておもいますけどね。
2018/12/19(水) 午前 10:29 [ makiitirou ]