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我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ
『神曲』地獄篇は、作者にして主人公のダンテが古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれて、地獄を巡るという内容。
地獄の門の銘文は、門自身が一人称で語りかける形式、門の自己紹介であると同時に地獄を紹介。
『地獄の門』は、この地獄の入口にかかる門であり、『神曲』地獄篇第3歌の冒頭は、門の頂に記された銘文から始まっている。(和訳は山川丙三郎訳&Wiki)
『地獄の門』&『考える人』が東京・上野にあるのは知ってても、
誰が買い求めたか?
って知ってる人は少ない。
川崎造船所の社長・松方幸次郎は第一次大戦前後の造船ブームで莫大な富を手にした。
船材の買い付けに渡欧したのが、1916年頃(大正5年)。
気まぐれに購入したのが高じて収集開始。
まぁ、バブリー親父。
幸次郎はパリ郊外のモネの家を訪れ交友を結んだ。
モネは愛着を抱いてて手放せなかった作品を幸次郎に譲る。
国立西洋の所蔵品では特に、モネの作品が群を抜いてるのも頷ける。
んでもって、バブルが弾ける。
1927年(昭和2年)の世界恐慌で、川崎造船所の経営が破綻。
私財を負債整理にあてて、社長を退いた。
日本に届いてた美術品は銀行の手に渡り、散逸。
ロンドンに保管されていた作品群は、1939年の火災で焼失。
パリに残された作品群はロダン美術館に保管され、戦火の中、パリ西方70kmのアボンダンの寒村に疎開。
ナチスが村に駐留するものの発見されず終戦。
で〜も、敵国資産としてフランス政府に没収。
1951年のサンフランシスコ講和会議で、
『松方の収集品を日本に戻して欲しい』
吉田茂が要求。
フランス側は日本に作品を展示する美術館の開設を求めてきたり、、、
長〜い交渉。。。
フランスは交渉過程の中でコレクションの20点を一方的に『残す』ことにした。
ゴーガン、4点。
セザンヌ、3点。
ボンバン、3点。
スーチン、2点。
クルーベ、1点。
マネ、1点。
ロートレック、1点。
モロー、1点。
マルケ、1点。
ピカソ、1点。
ゴッホ、1点
ルノワール、1点。
フランスは譲らない。。。
日本にとっては諦めきれない作品群。
結果、ルノワールの『アルジェリア風のパリの女たち』が残留リストから外された。
昨年のゴッホ展で、私は失望。。。
松方コレクションの『アルルの寝室』がないじゃないか?!
1959年、『寄贈』として新設された国立西洋美術館に格納&展示される。
フランスは『寄贈』、日本としては『返還』。
上野に行ったなら、ぜひ、屋外にある『地獄の門』&『考える人』見て欲しい。
屋外展示で、無料で見れるのだから。
戦火を逃れた絵画を見るために、所蔵作品を眺めるのも良いだろう。
参考までに、『神曲』連続講義。
http://www.angel-zaidan.org/divinacommedia/index.htm
かなり良い講義です。
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トラバありがとうございました。戦火を逃れた絵画を巡って、複雑な背景があったんですね・・・
2006/7/23(日) 午前 7:22 [ ソフィー ]
ちょい、的外れなトラバックだったかも。鳩のいる国立=『上野』って連想しちゃいました。
2006/7/23(日) 午後 5:31 [ makimakimaki ]
こんな歴史のあるものだとは知りませんでした!!...何も感じることなく見ていました><;
2006/7/23(日) 午後 9:49 [ jkk*h3*2 ]
上野に行く機会があったら、お薦めです。
2006/7/23(日) 午後 10:37 [ makimakimaki ]