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絵画が見つからず、ダビデVSアブサロムのエピソード省略。。。
ダビデの世に、三年続いて飢饉が襲った。
ダビデは主に託宣を求めた。
主は言われた。
「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある。」
王はギブオン人を招いて言った。
・・ギブオン人はアモリ人の生き残りで、イスラエルの人々に属する者ではないが、イスラエルの人々は彼らと誓約を交わしていた。
ところがサウルは、イスラエルとユダの人々への熱情の余り、ギブオン人を討とうとしたことがあった。
ダビデはギブオン人に言った。
「あなたたちに何をしたらよいのだろう。どのように償えば主の嗣業を祝福してもらえるだろうか。」
ギブオン人はダビデに答えた。
「サウルとその家のことで問題なのは金銀ではありません。イスラエルの人々をだれかれなく殺すというのでもありません。」
ダビデは言った。
「言ってくれれば何でもそのとおりにしよう。」
彼らは王に答えた。
「わたしたちを滅ぼし尽くし、わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、あの男の子孫の中から七人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします。」
王は、「引き渡そう」と言った。
しかし、王はサウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを惜しんだ。
ダビデとサウルの子ヨナタンとの間には主をさして立てた誓いがあったからである。
王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕らえ、ギブオン人の手に渡した。
ギブオンの人々は彼らを山で主の御前にさらした。
七人は一度に処刑された。
彼らが殺されたのは刈り入れの初め、大麦の収穫が始まるころであった。
画像1:Gustave Dore 1833-1883
『Rizpah's kindness unto the dead』1865
アヤの娘リツパは粗布を取って岩の上に広げた。収穫の初めのころから、死者たちに雨が天から降り注ぐころまで、リツパは昼は空の鳥が死者の上にとまることを、夜は野の獣が襲うことを防いだ。
画像2&3:Joseph Mallord William Turner 1775-1851
『Rizpah』1806-07
『Subject from the runic superstitions…A』 Exhibited 1808
サウルの側女、アヤの子リツパのこの行いは王に報告された。
ダビデはギレアドのヤベシュの人々のところへ行って、サウルの骨とその子ヨナタンの骨を受け取った。
その遺骨はギレアドのヤベシュの人々がベト・シャンの広場から奪い取って来たもので、ペリシテ人がギルボアでサウルを討った日に、そこにさらしたものであった。
ダビデはそこからサウルの骨とその子ヨナタンの骨を運び、人々は今回さらされた者たちの骨を集め、
サウルとその子ヨナタンの骨と共にベニヤミンの地ツェラにあるサウルの父キシュの墓に葬った。
人々は王の命令をすべて果たした。
この後、神はこの国の祈りにこたえられた。
ペリシテ人は再びイスラエルと戦った。
ダビデは家臣を率いて出陣し、ペリシテと戦ったが、ダビデは疲れていた。
ラファの子孫の一人イシュビ・ベノブは、三百シェケルの重さの青銅の槍を持ち、
新しい帯を付けて、ダビデを討つ、と言った。
しかし、ツェルヤの子アビシャイは、ダビデを助けてこのペリシテ人を打ち殺した。
それ以来、ダビデの家来たちはダビデに誓わせた。
「以後、我々と共に戦いに出てはなりません。イスラエルの灯を消さぬよう心掛けてください。」
その後、ゴブの地で、再びペリシテ人との戦いがあった。
このときは、フシャ人シベカイがラファの子孫の一人サフを打ち殺した。
ゴブで、またペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム出身のヤアレ・オルギムの子エルハナンが、ガト人ゴリアトを打ち殺した。
ゴリアトの槍の柄は機織りの巻き棒ほどもあった。
別の戦いがガトでもあった。
ラファの子孫で、手足の指が六本ずつ、合わせて二十四本ある巨人が出て来て、イスラエルを辱めたが、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタンが彼を討ち取った。
これら四人はガトにいたラファの子孫で、ダビデとその家臣の手によって倒された。
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