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GWは単なる週末でした。

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サムエル記 下2

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かなり中略。。。

年が改まり、王たちが出陣する時期になった。
ダビデは、ヨアブとその指揮下においた自分の家臣、そしてイスラエルの全軍を送り出した。
彼らはアンモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。
しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。
ある日の夕暮れに、ダビデは午睡から起きて、王宮の屋上を散歩していた。
彼は屋上から、一人の女が水を浴びているのを目に留めた。

画像1:Karl Brulloff 1799−1852
『Bathsheba』 1832. Unfinished
画像2:DOROST Willem 1630-1680
『Bathsheba』 1654
画像3:RICCI, Sebastiano 1659-1734
『Bathsheba at the bath』1720s

女は大層美しかった。
ダビデは人をやって女のことを尋ねさせた。
それはエリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻だということであった。
ダビデは使いの者をやって彼女を召し入れ、彼女が彼のもとに来ると、床を共にした。
彼女は汚れから身を清めたところであった。
女は家に帰ったが、子を宿したので、ダビデに使いを送り、
「子を宿しました」と知らせた。
ダビデはヨアブに、ヘト人ウリヤを送り返すように命令を出し、
ヨアブはウリヤをダビデのもとに送った。
ウリヤが来ると、ダビデはヨアブの安否、兵士の安否を問い、また戦況について尋ねた。
それからダビデはウリヤに言った。
「家に帰って足を洗うがよい。」
ウリヤが王宮を退出すると、王の贈り物が後に続いた。
しかしウリヤは王宮の入り口で主君の家臣と共に眠り、家に帰らなかった。
ウリヤが自分の家に帰らなかったと知らされたダビデは、ウリヤに尋ねた。
「遠征から帰って来たのではないか。
なぜ家に帰らないのか。」
ウリヤはダビデに答えた。
「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、
わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、
わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。
あなたは確かに生きておられます。
わたしには、そのようなことはできません。」
ダビデはウリヤに言った。
「今日もここにとどまるがよい。
明日、お前を送り出すとしよう。」

画像4:REMBRANDT Harmenszoon van Rijn
『David and Uriah』 1665
Also interpreted as depicting Haman recognizing his fate

ウリヤはその日と次の日、エルサレムにとどまった。
ダビデはウリヤを招き、食事を共にして酔わせたが、
夕暮れになるとウリヤは退出し、主君の家臣たちと共に眠り、家には帰らなかった。
翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。
書状には、
「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。
町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。
町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。
ヘト人ウリヤも死んだ。
ヨアブはダビデにこの戦いの一部始終について報告を送り、使者に命じた。
「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、もし王が怒って、
『なぜそんなに町に接近して戦ったのか。
城壁の上から射かけてくると分かっていたはずだ。
昔、エルベシェトの子アビメレクを討ち取ったのは誰だったか。
あの男がテベツで死んだのは、女が城壁の上から石臼を投げつけたからではないか。
なぜそんなに城壁に接近したのだ』と言われたなら、
『王の僕ヘト人ウリヤも死にました』と言うがよい。」
使者は出発し、ダビデのもとに到着してヨアブの伝言をすべて伝えた。
使者はダビデに言った。
「敵は我々より優勢で、野戦を挑んで来ました。
我々が城門の入り口まで押し返すと、
射手が城壁の上から僕らに矢を射かけ、王の家臣からも死んだ者が出、
王の僕ヘト人ウリヤも死にました。」
ダビデは使者に言った。
「ヨアブにこう伝えよ。
『そのことを悪かったと見なす必要はない。
剣があればだれかが餌食になる。
奮戦して町を滅ぼせ。』
そう言って彼を励ませ。」
ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだと聞くと、夫のために嘆いた。
喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。
彼女は男の子を産んだ。
ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。

主はナタンをダビデのもとに遣わされた。
ナタンは来て、次のように語った。
「二人の男がある町にいた。
一人は豊かで、一人は貧しかった。
豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。
貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに 何一つ持っていなかった。
彼はその小羊を養い 小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて 
彼の皿から食べ、彼の椀から飲み 彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。
ある日、豊かな男に一人の客があった。
彼は訪れて来た旅人をもてなすのに 自分の羊や牛を惜しみ
貧しい男の小羊を取り上げて 自分の客に振る舞った。」
ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。
「主は生きておられる。
そんなことをした男は死罪だ。
小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。
そんな無慈悲なことをしたのだから。」
ナタンはダビデに向かって言った。
「その男はあなただ。
イスラエルの神、主はこう言われる。
『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。
わたしがあなたをサウルの手から救い出し、
あなたの主君であった者の家をあなたに与え、
その妻たちをあなたのふところに置き、
イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。
不足なら、何であれ加えたであろう。
なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。
あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。
ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。
それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。
あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』
主はこう言われる。
『見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。
あなたの目の前で妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。
彼はこの太陽の下であなたの妻たちと床を共にするであろう。
あなたは隠れて行ったが、わたしはこれを全イスラエルの前で、太陽の下で行う。』」
ダビデはナタンに言った。
「わたしは主に罪を犯した。」
ナタンはダビデに言った。
「その主があなたの罪を取り除かれる。
あなたは死の罰を免れる。
しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、
生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」
ナタンは自分の家に帰って行った。
主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。
ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。
彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。
王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、
ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。
七日目にその子は死んだ。
家臣たちは、その子が死んだとダビデに告げるのを恐れ、こう話し合った。
「お子様がまだ生きておられたときですら、
何を申し上げてもわたしたちの声に耳を傾けてくださらなかったのに、
どうして亡くなられたとお伝えできよう。
何かよくないことをなさりはしまいか。」
ダビデは家臣がささやき合っているのを見て、子が死んだと悟り、言った。
「あの子は死んだのか。」
彼らは答えた。
「お亡くなりになりました。」
ダビデは地面から起き上がり、身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝した。
王宮に戻ると、命じて食べ物を用意させ、食事をした。
家臣は尋ねた。
「どうしてこのようにふるまわれるのですか。
お子様の生きておられるときは断食してお泣きになり、
お子様が亡くなられると起き上がって食事をなさいます。」
彼は言った。
「子がまだ生きている間は、主がわたしを憐れみ、
子を生かしてくださるかもしれないと思ったからこそ、断食して泣いたのだ。
だが死んでしまった。
断食したところで、何になろう。
あの子を呼び戻せようか。
わたしはいずれあの子のところに行く。
しかし、あの子がわたしのもとに帰って来ることはない。」
ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。
バト・シェバは男の子を産み、ダビデはその子をソロモンと名付けた。
主はその子を愛され、
預言者ナタンを通してそのことを示されたので、
主のゆえにその子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けた。
ヨアブはアンモン人の町ラバと戦い、この王の町を陥れた。
ヨアブは使者をダビデに送って言わせた。
「わたしはラバと戦い、『水の町』を陥れました。
直ちに残りの兵士を集結させ、この町に対して陣を敷き、陥れてください。
わたしがこの町を陥れると、この町はわたしの名で呼ばれてしまいます。」
ダビデは兵士全員を集結させ、ラバに出撃して戦い、これを陥れた。
ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。
それは一キカルの金で作られ、宝石で飾られていた。
これはダビデの頭を飾ることになった。
ダビデがこの町から奪い去った戦利品はおびただしかった。
そこにいた人々を引き出し、のこぎり、鉄のつるはし、
鉄の斧を持たせて働かせ、れんが作りをさせた。
また、アンモン人のほかの町々もすべてこのようにした。
それからダビデと兵士は皆、エルサレムに凱旋した。

地獄の門

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我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ

『神曲』地獄篇は、作者にして主人公のダンテが古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれて、地獄を巡るという内容。
地獄の門の銘文は、門自身が一人称で語りかける形式、門の自己紹介であると同時に地獄を紹介。
『地獄の門』は、この地獄の入口にかかる門であり、『神曲』地獄篇第3歌の冒頭は、門の頂に記された銘文から始まっている。(和訳は山川丙三郎訳&Wiki)

『地獄の門』&『考える人』が東京・上野にあるのは知ってても、
誰が買い求めたか?
って知ってる人は少ない。

川崎造船所の社長・松方幸次郎は第一次大戦前後の造船ブームで莫大な富を手にした。
船材の買い付けに渡欧したのが、1916年頃(大正5年)。
気まぐれに購入したのが高じて収集開始。
まぁ、バブリー親父。
幸次郎はパリ郊外のモネの家を訪れ交友を結んだ。
モネは愛着を抱いてて手放せなかった作品を幸次郎に譲る。
国立西洋の所蔵品では特に、モネの作品が群を抜いてるのも頷ける。
んでもって、バブルが弾ける。
1927年(昭和2年)の世界恐慌で、川崎造船所の経営が破綻。
私財を負債整理にあてて、社長を退いた。
日本に届いてた美術品は銀行の手に渡り、散逸。
ロンドンに保管されていた作品群は、1939年の火災で焼失。
パリに残された作品群はロダン美術館に保管され、戦火の中、パリ西方70kmのアボンダンの寒村に疎開。
ナチスが村に駐留するものの発見されず終戦。
で〜も、敵国資産としてフランス政府に没収。
1951年のサンフランシスコ講和会議で、
『松方の収集品を日本に戻して欲しい』
吉田茂が要求。
フランス側は日本に作品を展示する美術館の開設を求めてきたり、、、
長〜い交渉。。。
フランスは交渉過程の中でコレクションの20点を一方的に『残す』ことにした。
ゴーガン、4点。
セザンヌ、3点。
ボンバン、3点。
スーチン、2点。
クルーベ、1点。
マネ、1点。
ロートレック、1点。
モロー、1点。
マルケ、1点。
ピカソ、1点。
ゴッホ、1点
ルノワール、1点。
フランスは譲らない。。。
日本にとっては諦めきれない作品群。
結果、ルノワールの『アルジェリア風のパリの女たち』が残留リストから外された。
昨年のゴッホ展で、私は失望。。。
松方コレクションの『アルルの寝室』がないじゃないか?!
1959年、『寄贈』として新設された国立西洋美術館に格納&展示される。
フランスは『寄贈』、日本としては『返還』。

上野に行ったなら、ぜひ、屋外にある『地獄の門』&『考える人』見て欲しい。
屋外展示で、無料で見れるのだから。
戦火を逃れた絵画を見るために、所蔵作品を眺めるのも良いだろう。

参考までに、『神曲』連続講義。
http://www.angel-zaidan.org/divinacommedia/index.htm
かなり良い講義です。

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