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前略。。。
−−四谷シモンはいつも女形で、女の扮装をして、舞台に立っていた。ところが、たとえば歌舞伎の女形などとはちがって、かならずしも女になりきとうとしてたわけじゃない。むしろ女のまがいもの、女のパロディを演じていたようなところがある。どこかうさんくさくて、猥雑で、ユーモラスだというのは、その点から来るわけでしょう。
−−どうももうひとつ、よく分からないな。
−−つまり、もともと人形というのは、人間のまがいものなんです。かつて神が自分の姿に似せて人間をつくったように、人間が自分の姿に似せて人形をつくるのだとすれば、その人間は神の猿マネをしていることになる。しかも裏をかえせば、人間も所詮、神の人形にすぎないということになるわけで。
−−うむ、その理屈なら何度も聞いたことがある。いわゆる人形哲学の初歩だね。
中略。。。
画像1:四谷シモン 1944-
『少女の人形 4』 1982 澁澤龍子蔵
−−前例があることはあります。一九三〇年ごろから、シュルリアリストのハンス・ベルメールが、球形の関節をもつエロティックな人形オブジェをつくっていた。四谷シモンはその写真を見て、ふいに新しい人形思想にめざめたらしい。人形におけるハンス・ベルメール、演劇における唐十郎――この二人との出会いが、彼のアートの発端にはあったようです。
画像2:Hans Bellmer 1902-1975
『La Poupee』1935-49
−−かつて彼がそうであったようなふしぎな美少年のおもかげが、たしかにここには感じられるようだ。
−−いわば、甘美で孤独で普遍的な美少年としての女。そう考えてもいっこうにさしつかえないでしょうね。
『裸婦の中の裸婦』より「美少年としての女」抜粋。
とっ、両氏は筆を置く。
ピグマリオン的なナルシズムとかすこぶる納得できるものの、
題名の「美少年としての女」ってのは?
私の連想は宝塚歌劇団。
メンバーには美青年&美中年もいる。
相方様は塚ファンで私も詳しくなってしまった。
閑話休題。。。
私的私感では、、、
四谷シモンもハンス・ベルメールも苦手。。。
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