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画像1:Ingres, Jean Auguste Dominique 1780-1867
『The Turkish bath』1862
略。。。
アングルの東方趣味の最終的表現といわれているように、これらの女体の表現には、ペルシアの細密画やインドの絵画の影響が、かなり歴然とあらわれているような気がする。
とくにいちばん右側の女体をごらんいただきたい。
頭の上に両腕を組み、物憂げに上半身をくねらせた女は、その丸々としたヴォリューム感が、カジュラホあたりのインドの彫刻にそっくりではあるまいか。
略。。。
やはり有名なアングルの裸婦像に「グランド・オダリスク」というのがあるが、
これが発表されたとき、作者は囂々たる非難を受けた。
この背中を弓なりに曲げて寝そべったオダリスクには、脊椎骨が二つ余計にある、というのである。
アングルはデッサンの天才であったが、曲線構成の秩序のためには、デッサンを狂わせることも、あえて辞さなかった。
アングル特有の丸みをおびた肉体は、こうして誕生した。
中略。。。
デッサンを至上のものと考え、明確な形体を愛し、つねに画面を構成することを忘れないアングルは、したがって、よしんば女体の官能美を表現することを終生の仕事としたとしても、バロック的な画家とはおのずから体質を異にしていたのである。
アングルと同時代に生きた、新しいロマン主義絵画の指導者、あの強烈な色彩と動的な構図を愛したドラクロアは、その意味で、前者とまったく対照的な画家だといえよう。
私は、むろんドラクロアの激情も愛するが、アングルの官能に執しながらも、まるで大理石のようにヴォリューム感をくっきりと浮かびあがらせる、その知的な造形処理を大そう好むものだ。
なめらかな、磁器のような女の肌の下に、かえって官能は冷たく燃えあがるように思える。
「オダリスク」にしても、「アンジェリック」にしても、あるいはユピテルの膝にとりすがり、その真黒な髭に左手をのばしている「テティス」にしても、事情はまったく同じである。
中略。。。
おそらく、八十三歳の老アングルは恍惚として、この豊麗な肉体のコレクションを、楽しみながら造形しつづけたことであろう。
「恍惚」というのは、こういう時に使いたい言葉である。
画像2:Khajuraho Group of Monuments
かじゅらほぉ〜の世界遺産『ミトゥナ(交合)像』。
確かに、くねっとしてて、なよってしてて、
似てるっ。
氏の最後の一文に妙〜に反応する私。
シュバルが石を積んで理想郷を造ったような?
恍惚?
私も老後は恍惚として???
「オダリスク」、「アンジェリック」、「テティス」は以下へGO〜。
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Jean_Auguste_Dominique_Ingres
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