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GWは単なる週末でした。

澁澤龍彦

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FUSELI, John Henry 1741−1825
『Undine kommt in das Haus der Fischer』 1821
http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Johann_Heinrich_F%C3%BCssli

白い服を着て、可愛らしく小腰をかがめている頬の赤い少女は、水の妖精ウンディーネである。
そのうしろに、象のような長い鼻をして、亡霊のように突っ立っている巨大な背丈の怪物は、やはり水に縁のある化けもので、キューレボルン(ドイツ語で「冷たい泉」の意)という。
これはドイツの後期ロマン派の作家、フーケの書いた名高いメルヘン『ウンディーネ』のなかの一場面だと思えばよろしかろう。
中略。。。

フーケの『ウンディーネ』の物語。
漁師の老夫婦に養われてるウンディーネは自由奔放&天真爛漫。
迷い込んできた騎士様と恋に落ちる。
水の妖精は魂を持たない。
でも、男に愛されると魂を獲得できる。
愛が冷めたら、覚めたら、醒めたら、褪めたら、、、
水の世界に帰還し、男の命を狙い奪う。。。
騎士様の婚礼の晩、ウンディーネは、、、。
悲恋の物語。。。

ちなみに、ウンディーネというのは、元来、ルネサンス期のパラケルススの自然哲学に出てくる四大精霊の一つで、空気の精(ジルフェ)、地の精(グノーム)、火の精(サラマンデル)、とともに、水の中に棲んでいる精霊と信じられていた。
略。。。
ドイツのロマン主義の文学は、ゲーテやノヴァーリスなどもふくめて、こうしたパラケルスス風の自然哲学に基礎を置いているので、そのメルヘンと呼ばれる美しい作品には、しばしば水の精霊や地の精霊が出てくる。
略。。。
さらに私がフュスリの絵のなかで愛するのは、その独特なエロティシズムである。
フェスリは本格的な春画も何点か描いているが、そういうものは別としても、夢魔に襲われた睡眠中の女の表情は、完全な恍惚状態を示していて、まことにエロティックである。
その姿態はマニエリスティックに長く伸び、痙攣しているようにさえ見える。
略。。。

氏が文中で触れた『夢魔』は寅後先参照。
しかしっ、水辺の漁師の家の脇に、キューレボルン&ウンディーネ。。。
老夫婦に保護される以前?
それとも、恋焦がれた騎士様に会いに行く直前?
水がポタポタって滴る音が聞こえてきそうで、怖っ!

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画像1:Odilon Redon 1840‐1916
『The Cyclops』 1914

ルドンは目玉に憑かれていた画家である。
この「一つ眼巨人」ばかりでなく、彼の第一石版画集「夢のなかで」においても、
また「エドガー・ポーに」おいても、虚空をじっと睨む巨大な眼をモティーフとした作品がいくつもある。
それはただの怪奇趣味というのではなく、何かもっと深い、心理学的な秘密を暗示しているようでもある。
いったい、この目玉は何を意味するのだろうか。
略。。。

氏は精神分析学に触れ、、、、。
「原光景」の記憶に悩む者の恐怖と不安、後悔の感情の象徴的なイメージ。
って、定義した。

この絵が、先輩ギュスターヴ・モローの「ガラテア」からヒントを得たものであることは、私たちにもすぐ分かる。
構図が大そうよく似ているからで、モロー研究家のラグナル・フォン・ホルテンも、両者の絵を二つ並べて比較対照しているほどだ。
しかしルドンの絵は、モローの冷たい螺鈿のような光沢のあるマティエールのそれとは明らかに違って、パステル画のように暖かく、万華鏡のように華やかなのもだ。
略。。。
この一つ眼巨人の顔貌も、たしかに無気味といえば無気味であるにはちがいないが、たとえばゴヤの子供を食うサトゥルヌスのような、戦慄的な怖ろしさとは何か異質であるような気がする。
彼は美しいニンフを見て、陶然としているのであろう。
そのまん丸い、眼と耳と口だけで鼻のない顔は、いくらか滑稽でもあるような気がする。
略。。。

画像2:Gustave Moreau 1826 –1898
『Galatea』 1880

 手を繋ぐくらいでいい♪
 並んで歩くくらいでいい ♪
 それさえ危ういから♪
 大切な人は友達くらいでいい♪
  −中村中「友達の詩」より−

異種族の愛。。。
手を繋ぐことも、
並んで歩くことも、
叶わなかったら?
淋しかろう。。
悲しかろう。。。

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画像1:Gustav Klimt  1862–1918
『The Friends』 1916-17

グスタフ・クリムトこそ、世紀末のウイーンの頽廃的な雰囲気を、
豊麗な女のイメージによって、もっとも見事に形象化した画家だといえるであろう。
世紀末のウィーンといえば、ただちに私たちの心に思い浮かぶのは、
軽快なヨハン・シュトラウスのワルツ、
繊細で憂鬱でエロティックな、シュニッツラーの恋愛小説などであろう。
略。。。
いずれにしても、ハプスブルク家の支配するオーストラリア・ハンガリー帝国の首都として、
独特な爛熟した文化を生み出してきた世紀末のウィーンという町は、私たちの心に、
何ともいえないノスタルジックな、あこがれと陶酔の情緒を呼び起こすのである。
中略。。。
このクリムトの女は、世紀末の他の画家たち、たとえばギュスターヴ・モローや、
ピアズレーや、フェリシアン・ロップスや、ムンクなどの好んで描いた女と同様に、
悪と倒錯の美に赴く必然性をもった、「宿命の女」の象徴像だと思ってもよいだろう。
甘美なエロティシズムの裏側に、つねに死の影が透けて見えているのである。

今日ではウィーン幻想派の首領格にあたるエルンスト・フックスの描く女に、
このクリムトの女のデッサンの反映が宿っているように感じられる。
どことなくスフィンクスを思わせるような、エロティックな牝獣の姿態を示した女たちである。
ウィーンの伝統は、現在でも消えてはいないようだ。
また、アール・ヌーヴォーの曲線による装飾主義は、精神性よりも官能美を表すに適しており、これも今日、あらゆる面に復活しているらしい。

ん〜、クリムトの作品の磁力はディフォルメされた女体のエロティシズムだと思う。
それは綺麗に生きてても、『接吻』のような崖っぷちの魅力。
画像2:Ernst Fuchs 1930〜
『THE WEDDING OF THE UNICHORN』 1952-60
氏が文中紹介したエルンスト・フックス。
クリムトの女のデッサンの反映が宿る、
『どことなくスフィンクスを思わせるような、エロティックな牝獣の姿態を示した女たち』?
う〜ん、私にはクリムトの官能美とは異質な、、、
ある意味で魔女的な、その魔獣そのものって印象。
微〜妙。
以下リンク、フックスの個人美術館。
http://www.ernstfuchs-zentrum.com/starteng6.html

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まず絵を眺めていただきたい。
まんなかに座っている巨大な山羊の姿をした怪物は、
魔女たちの夜宴を主催する悪魔レオナールである。
悪魔のまわりには、大ぜいの女たち、狂信的な目つきをした女たちが車座になって、
それぞれ自分の子供を悪魔に捧げている。
痩せ細って地面にぐったり倒れた、死んでいるように見える子供もある。
空には蝙蝠が飛び交い、おどろおどろしい雲間に、青白い月がでている。
あたりの光景は、いかにもスペインらしい、一木一草とてない荒れ果てた褐色の山々である。
古来、魔女たちが宴会場として選ぶのは、古代の宗教の廃墟などの残っている、
このように荒廃した山の頂ときまっていたらしい。
ゴヤの絵筆は、無気味な魔女たちの宴会場の雰囲気を、
じつに見事に捉えているように思われる。
中略。。。

宴会の内容が冴えた筆致で細密描写。。。

「理性の眠りが怪物を産む」とゴヤ自身が述べているように、
彼は理性の裏側、つまり潜在意識の中にひそんでいる怪物たちを、
その絵筆によって告発することに一生を賭けたのであった。
中世以来、人間の狂気のもっともグロテスクな発現と考えられてきた、
妖術信仰や夜宴の場面を、ゴヤが好んで描いたのも偶然ではなかったろう。
それはたぶん、彼自身の中にも生きていたのだったから。
略。。。

ゴヤと言えば、『着衣のマハ』&『裸のマハ』のスキャンダル。
『マドリード、1808年5月3日』のナポレオン非難。
など思い出すけど、
やはり、「理性の眠りが怪物を産む」黒い絵シリーズも忘れちゃいけない。


ゴヤの黒い絵、全14作品
http://www.abaxjp.com/goya-black/goya-black.html

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画像1:Julio Romero de Torres 1880-1932
『La chiquita piconera Cordoba』-

略。。。
ここに掲げた「火の番をする女」を眺めても、これがスペイン女以外の何ものでもないことは、読者にもただちに感じられるにちがいない。
左の乳房を半ば露出し、スカートを膝の上までまくり上げ、踵の高い靴をこれ見よがしに突き出し、あたかも挑戦するような鋭い目つきで、こちらをじっと睨んでいる高慢ちきな娘は、まるでルイス・ブニュエルの映画にも出てきそうな感じではないか。
ロメロ・デ・トレスの作品には、このほかサロメやマグダラのマリア、さらには闘牛士の出てくるものや、修道女の出てくる宗教的な題材のものがあるが、それらの画面にも、きまって裸体の女が登場してくるのはおもしろい。
中略。。。

ん〜、氏が言う『宗教的な題材のものがあるが、〜、きまって裸体の女』、
って決して、んなっこたぁないと以下の個人美術館を見て感じた。
http://www.museojulioromero.com/
でもっ、美しい裸婦像を描く画家。

画像2:『Ofrenda al arte del toreo』 1929
画像3:『La nieta de la Trini』 1929
画像4:『En la ribera』 1928

私は、ロメロ・デ・トレス美術館を見てから、ちょうどその正面にある州立美術館にも、ついでに入ってみた。
前の日にセビリアで、バルデス・レアルの怖るべき傑作「この世の栄光の終り」を眺めて、ぞっとするような感動を味わった私は、さらにもっとバルデス・デ・レアルの絵や、彼と同時代のセビリア派の作品を見たくなったのである。
中略。。。

画像5&6:Juan de Valdés Leal  1622-1690
『Finis Gloriae Mundi』 1670-72
『In Ictu Oculi』 1670-72
「この世の栄光の終わり」&「生の末路」
棺に天秤、骸骨に富。。。

スペインで美術館めぐりをしながら、つくづく感じさせられることは、ベラスケス、リベラ、カスティリョなどといった巨匠の好んで描く、タブローの背景の黒のすばらしさである。
それは深い深い黒である。
悲劇性、あるいは超越性をあらわす黒である。
スペイン独特の黒である。
あのハプスブルク家のフェリペ二世が、エル・エスコリアルの宮殿内の質素な居室で、好んで身にまとっていたという僧服の黒である。……
そんなことを考えながら、あのロメロ・デ・トレスをもう一度思い出してみると、彼の絵にもやはり、あのスペイン独特の悲劇的、超越的な黒が、はっきり刻印されていることに私は気がついた。
黒と褐色を偏愛するリベラの色彩感覚に、むしろ彼は近いのではなかろうか、と思ったものだ。

とっ氏は結ぶ。
しかし、便利な良い時代になった。
田舎暮らしとはいえ、NTTの基地局まで直線200M、通信速度は申し分ない。
昔、読みながら、どんな絵画なのだろうか?
ワクワクしながら図書館で画集を探してた。
以下のサイトで検索すれば、すぐ発見できる。
画家名or作品名を入力すれば、ズラズラズラッ。

http://www.artcyclopedia.com/


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