♂!♀?

GWは単なる週末でした。

澁澤龍彦

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

画像1:Dosso Dossi  1490-1542
『Circe (or Melissa)』 1520

この絵の主題は、ギリシア神話に出てくる美しい女魔法使のキルケーである。
彼女は伝説的な島アイアイエーに住み、磨いた石で建てられた壮麗な宮殿のなかで、
歌を歌いながら一日中、豪華な敷物を織っている。
略。。。
ギリシア神話の物語は、ほぼ以上のごとくである。
ロマンティックな主題を好んで扱った、フェラーラの宮廷画家ドッソ・ドッシは、
よほどキルケーの魅力に取り憑かれていたのであろう。
ここに掲げたボルゲーゼ画廊の「キルケー」(1515頃)とともに、
さらにもう一つ、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの「キルケー」をも残しており、
もしかしたら、そのほかにも同じ主題の絵があるかもしれない。
略。。。

画像2:『Circe and her Lovers in a Landscape』 1514-16
氏は、キルケーではなく「狂えるオルランド」のメリッサ説に触れつつも、
キルケーということにしておきたいと書いているけど、
キルケーとするには違和感がある。。。

ドッソ・ドッシには聖書から主題を借りた宗教的な絵もあることはあるが、
何といっても彼の得意な領域は、華麗な色彩で幻想的に繰りひろげた、
ロマンティックな神話的な主題であったように思われる。
略。。。

画像3:『Allegory of Fortune』 1530

それと同時に、私がひそかに想像していることは、
たぶん、ドッソ・ドッシは動物が好きだったのではなかろうか、ということである。
彼の作品のなかに、犬や鳥の出てくる絵が、よくあるような気がする。
このキルケーの左側にうずくまっている考えぶかげな犬も、
見れば見るほど、何ともいえない表情をしているように思われるのだが、
いかがなものであろうか。

う〜〜ん、
確かにっ、何ともいえない表情のワンコ。
魔法で犬に変えられた人間の諦めの表情?

開く トラックバック(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

画像1:SIGNORELLI, Luca 1450-1523
『The Damned』 1499-1502

牛のような二本の角をにょっきり生やし、蝙蝠のような膜質の翼を大きくひろげて、
悠々と空中を飛行しているのは、怖ろしい地獄の悪魔である。
その悪魔の背中に負われて運ばれてゆくのは、地獄に堕ちた罪の女だ。
悪魔の肉体をよくごらんいただきたい。
筋肉隆々として、まるでプロ・レスラーのようではないか。
中略。。。

氏はミケランジェロもシニョレルリの裸体表現を研究したエピソードを挙げ、
作品を解説。。。

ここに掲げた悪魔と罪の女の絵は、オルヴィエト大聖堂のサン・ブリツィオ礼拝堂の主壁に描かれた、
「世界の終わり」シリーズの六つの壁画のうちの一つ、「地獄堕ち」の部分である。
全体は、もっと壮大な、多数の登場人物がひしめき合う、モニュメンタルな構図なのである。
中略。。。
オルヴィエトの壁画「世界の終わり」シリーズには、この「地獄落ち」のほかに、
「偽キリスト」「世界の終わり」「肉体の復活」「最後の審判」「天国」などがあって、
いずれも劇的な表現となっているが、さまざまな奔放な姿態を示す男女の裸体の群像によって、
なかでも私たちの目を驚かせるのは、やはり何といっても「地獄堕ち」および「肉体の復活」の二つであろう。
とくに「肉体の復活」などは、人体の解剖学的な研究のために、わざわざ選ばれた主題でもあるかのような感をいだかしめるほどである。
中略。。。

ルネサンスの三大発明は、火薬・羅針盤・活版印刷。
『神』から『人間』主体の文化の円熟期だと、私は思う。
氏は以下のように結びペンを置く。

一般に、ルネサンスは人間開放の時代だといわれているけれども、
肉体によって精神を表現しようと努めたシニョレルリほど、この時代の精神を見事に具現した芸術家は少ないように思われる。

画像2:『Sermon and Deeds of the Antichrist』
画像3:『Apocalypse』
画像4:『Resurrection of the Flesh』
画像5:『The Elect』
画像6:『The Elect Being Called to Paradise』
画像7:『The Damned Being Plunged into Hell』

映画館もTVも無い時代、こんな壁面に囲まれた室内で説教されたならば、
誰もが洗脳されたに違いない。。。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

画像1:Guido Reni 1575−1642
『Susanna and the Elders』 1620

二人の好色の老人が、水浴中の若い女性を物陰から窺っているという、
いわば「西洋出歯亀」とも名づけられるべき怪しからぬ主題の絵が、
とくに十六世紀のイタリア絵画におびただしく現れている。
中略。。。
この十七世紀イタリア・バロックの巨匠グイド・レーニの「スザンナ」も、同じ主題のもので、
官能美にあふれた、異色ある作といえよう。
「覗見症」といえば、よく知られた性倒錯の一つであるが、
「スザンナ」は、この老人特有の偸視の欲望をそのまま絵にしたようなもので、
日本でもヨーロッパでも、人類は大昔から、同じような妄想をいだいていたものだということが分かる。
じつは、この不道徳な絵は旧約聖書のダニエル書から主題を借りた絵なのである。
略。。。

氏は覗見症の絵画主題に、列王記のベトサベとアクタイオンの神話を挙げ、
画家が好んだ女人水浴の図とした。。。

グイド・レーニといえば、あの三島由紀夫の『仮面の告白』のなかのエピソードを思い出すひとがいるかもしれない。
あの小説の主人公が、初めてマスターベーションをおぼえる機縁となったのが、
グイド・レーニと呼ばれる「ルネサンス末流の耽美的な折衷派の画家」の描いた「異教の香りの高い」聖セバスティアン殉教図であったことは、
すでにあまりにも有名であろう。
このスザンナの暗い背景から浮き出た、金色に光り輝く蜜壺のような若々しい肉体にも、
同じ作者の聖セバスティアンのそれとひとしく、三島由紀夫の表現を借りれば、
「ただ青春、ただ光、ただ美、ただ逸楽があるだけ」であろう。
略。。。

う〜ん、どっちだろ?
画像2:『San Sebastiano』 17th
画像3:『St Sebastian』 early 1630s
どっちがっ、「ただ青春、ただ光、ただ美、ただ逸楽があるだけ」?
私的な意見で、私は後者を選びたい。
刺さった矢が少ないしぃ〜。
顔が官能的。。。
さらに、氏は画家の奇矯な性格伝説を書き、以下のように結ぶ。

ルネサンス末流の芸術家には、こうした変わった性格の男がよくいたものであるが、
彼もまた、呪われた「土星のもとに生まれたひと」だったのであろう。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

画像1::Diego Velzquez1599−1660
『La Venus del Espejo』 1648

ベラスケスは、その生涯に少なくとも五点の裸婦像を描いたそうであるが、残念ながら、
現在残っているのは、このロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の一点のみである。
いや、そればかりではない。
そもそもカトリックの禁欲的な道徳が風靡していた十七世紀のスペインにおいては、あれほど多くのすぐれた画家が輩出していたにもかかわらず、
ヌードというものがほとんど見あたらないのである。
スペイン絵画の黄金時代には、裸体で出てくるのはキリスト、あるいは髯のはえた聖者だけで、
女はまず絶対に着衣のすがたであると思って差し支えない。
だから、この絵は、単にベラスケスの珍しい裸婦像というだけでなく、また、スペイン絵画史上においても、じつに珍しい裸婦像なのである。
この絵は、ベラスケスの二度目のイタリア滞在のあいだに描かれたものだといわれている。
もしかしたら、ティツィアーノが何度も描いた、有名な「横たわるウェヌス」像に刺激されたのかもしれない。
レンブラントの銅版画から想を得たのではないか、という意見もあるようだ。
もっとも、ケネス・クラーク卿の意見では、この横たわってお臀を見せているウェヌスは、
当時ローマで評判だったヴィラ・ボルゲーゼのヘルマフロディトゥス(両性具有者。紀元前三世紀)の姿態からヒントを得たのであろう、という。
略。。。

氏が文中で触れた作品は多分以下?
画像2&3:Titian 1477-1576
『Vnus et le joueur de luth』 1560
『Venus von Urbino』 1538
確かに背後から見れば構図が近しい。。。
画像4:『HERMAPHRODITES』  at THE VILLA BORGHESE
以前、ルーブルにあるヘルマフロディトゥス像をUPしたけど、
反対側から見れば、きっと『ある』!


十八世紀のロココ時代になると、当時の頽廃的な宮廷文化の風潮を反映して、ふたたび、
女性のヌードを好んでうしろから描く画家が現れたが、それまでは、
あのイタリアのルネサンスのエロティックな裸婦全盛時代においても、
うしろ向きの裸婦像は、不思議なことに、ほとんど見られないのである。

でっ、氏はベラスケス唯一の背面の裸婦像を熱く語り結ぶ。。。

古くからヨーロッパで、美人の条件として珍重されている「ミカエルの菱形」とは、
お臀の割れ目の上端を下の一隅とし、二つの腰のえくぼに、左右の隅を有する菱形のことである。
このベラスケスのウェヌスのように、「ミカエルの菱形」がくっきりと露われている美しい裸婦像は、
私の知るかぎりでは、やはり非常に珍しいのである。
一九一四年、このウェヌス像は、ある婦人参政権論者の女性によって、七ヵ所にわたって傷つけられたことがあり、その修理の跡は、いまでもかすかに見える。
この昔のウーマン・リブの女性は、美しいウェヌス像に嫉妬したのかもしれない。

『ミカエルの菱形』ってか?
私には無理っ!
リブ活動家の嫉妬だってか?
確かにっ、私もメラメラぁ〜。。。
画家の才能&菱形を持つ女性にっ!

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

画像1〜3:BOTTICELLI, Sandro 1445―1510
『Primavera』&「detail」 1482

ブロンドの髪の毛にも首のまわりにも、おびただしく花を飾り、
花模様のあるネグリジェのような薄いマキシ・コートをひるがえし、
全身花づくめになって、薔薇の花をまき散らしながら、
花ざかりの森のなかを跣足で歩いている、この「春」の女神を眺めていると、
何だか現代のヒッピー風俗のお嬢さんを見ているような気がしてくる。
そういえば、この女神の顔にも、ヌーヴェル・ヴァーグのフランス映画などによく出てくる、
現代の知的な女優さんの顔を思わせるものがありはしないだろうか。
略。。。

この絵がどうしてできたかについては、諸説があるけれども、一般的に知られているのは、
1475年に催されたメディチ家の騎芸競技会で優勝した、
当時のフィレンツェの支配者ロレンツォ豪華王の弟ジュリアーノと、
その愛人シモネッタ・ヴェスプッチとの恋を歌った、
人文主義者アンジェロ・ポリツリアーノの八行詩からヒントを得たのであろう、という説である。
略。。。
この「春」においては、画面の右側の「西風」(死の象徴)に追われているフローラが、
彼女をあらわしているという。
たぶん、ボッティチェルリが「春」を制作している最中に、美しいシモネッタは病死したのである。
フローラの口から吐き出された花の枝が三つに折れているのは、
この突然の死を表現しているのだ、という説もある。
しかし最近のエドガー・ウィント教授の意見では、フローラと「春」は同一人物で、
じつは「春」は「春」ではなく、西風にとらえられて「花の女王」になった、大地のニンフの変身したすがただという。
おそらく、これが正しい解釈であろう。
略。。。

氏は諸説を紹介。
さらに、新プラトン派&古典学者との交際、異教哲学&神秘思想の影響を語り、
当時のフィレンツェのデカダン的雰囲気のなか、画家はこの作品を生んだ語る。
「ウェヌスの誕生」と「春」に描かれた毛髪の偏愛傾向についても熱く語り、
以下のように結ぶ。

この「春」の女神の肖像において、なお見逃すことのできないものは、彼女の全身を装う、微細に描かれた草花であろう。
何の種類の草花かは知るよしもないが、このようなルネサンスの画家たちの植物に寄せる愛情は、
私には、そのまま彼らの汎神論的衝動をあらわしているように思われる。
当時の神秘思想に造詣のふかかったレオナルドは、しばしばその画面に錬金術の象徴である「おだまきの花」を描きこんだ。
ボッティチェルリの花にも、もしかしたら、そのような象徴的な意味があるかもしれないのである。


毛髪の偏愛傾向?
画像4&5を参照すると、確かに個性的な髪の束&房。
まぁ〜、私も毛髪には偏愛傾向を持ってる。
だってさぁ〜、長髪は女性だけの特権。
男性の長髪は、艶&腰が無く櫛通りが悪い。
ホルモンの作用で無理。
閑話休題、、、脱線。。。
反省しきり。。。


.
makimakimaki
makimakimaki
男性 / AB型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事