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GWは単なる週末でした。

澁澤龍彦

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若い女の肖像

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画像:CHRISTUS, Petrus  1410/20―1475/76
『Portrait of a Young Girl』 after 1460

 天才的な巨匠と世に謳われるほど、すぐれた独創と技倆の持主でもないのに、生涯にただ一枚、その他多くの作品とはまるで比較にならぬ、謎のような大傑作を残して死んでいった画家がいる。たとえば、ここに採りあげる十五世紀中ごろのフランドルの画家、有名なファン・アイクの弟子のペトルス・クリストゥスがその一人だ。彼の生涯のただ一枚の大傑作「若い女の肖像」を見られたい。
〜中略。
澁澤龍彦著『幻想の肖像』より。

この文頭も画家を褒めているのか?
貶しているのか?
微妙〜。
さらに、澁澤龍彦氏は肖像画の少女の生まれ&育ちを憶測し、
アンバランスな左右の目に神秘的な印象を感じてる。
まぁ、結局は絵画をも褒めたり貶したり。。。
でっ、以下のように結ぶ。

 肖像画というものは、不思議なものだ。それは単なる美術品ではなく、そこに描かれた人間の、魅力ある個性がいつまでも生きていて、私たちに何事かを訴えかけてくるらしいのである。

う〜〜ん。。。

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澁澤龍彦氏は『幻想の肖像』の中で、クラナッハについて他者の文章を引用してる。

「クラナッハは、肉体美の空想のレパートリーを豊富ならしめた稀なる芸術家のひとりである。彼がエロティックな意図において、彼の女神たちの身につけている首飾りや、腰帯や、大きな帽子や、透き通った薄衣を利用したことは疑う余地がない。」
「ヨーロッパには、好色美術の成功したものはきわめて少ない。クラナッハの成功は、彼が自分のスタイルの簡潔や洗練を犠牲にしてまで、ひろく大衆にアッピールするようなテーマを発展せしめようとしなかったことによって説明される。その流し目にもかかわらず、彼の絵のなかの妖女たちは、クリスタル・ガラスや琺瑯細工と同じように冷静に鑑賞することができるobjets d’art(美術品)なのだ。」
 イギリスの美術史学者 ケネス・クラーク著 『裸体論』

そして、次の例を。。。

たとえば、現代フランスの詩人ミシェル・レリスは、ドレスデン美術館所蔵のクラナッハの裸体画「ルクレティアとユディット」に、「気絶しそうになるほど」の異様なエロティシズムを感じると述べて、そこから自分の幼児体験を掘り起こし、これを精密に分析している。
画像1:CRANACH, Lucas the Elder  1472-1553
『Lucretia』 1524
(たぶん、これ?!全〜然、痛そうに見えない?)

さらに、、、
日本にも、クラナッハの愛好家はたくさんいる。
として、作家の大江健三郎氏と美術評論家の土方定一氏の文章を紹介して、
クラナッハの「ユディット」のエロティックな解説を展開して、
画像2:CRANACH, Lucas the Elder  1472-1553
『Judith with the Head of Holofernes』 1530
以下のように結ぶ。

快楽と死、サディズムとマゾヒズムが、この怖るべき美女の絵の隠された主題であり、ホロフェルネスの髭だらけの斬られた首は、斬られた男根の象徴なのである。
中略。。。
女性の倒錯的な美に感動するような気質のひとにとっては、クラナッハの女が、忘れられない魅惑となるにちがいない。

もっと詳しく知りたい方は、ぜひ『幻想の肖像』を読む事を薦めたい。
図書館で借りるのも良し、
河出書房新社から安価な文庫本が出版されている。
澁澤氏の文章は、情報収集&自論の展開、学ぶべき所がウッチャリ。
でっ、私はクラナッハは人気画家で別主題を同一構図で描いてるコトを指摘したい。
画像3:『Salome』 1530
画像2と3の違いは『剣』。
剣の有る無しで、サロメorユディトの違い。。。

虚栄

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中世の美術においては、人間の美徳や悪徳を、寓意によって表現することが非常に流行した。
この「虚栄」と題されたハンス・メムリンクの絵も、時代はすでに十五世紀の末であるが、そうした寓意画(アレゴリー)の一つだと思って差し支えなかろう。
(画像1)
中略。。。

キリスト教の道徳が支配的であった中世の社会では、画家たちも、その題材を選ぶのに苦心せざるを得なかった。
現世の快楽や女の美を、そのまま肯定的に描くのは気がひけるので、これに道徳的な意味をむすびつけて、自分たちのアリバイをつくらなければならなかったのだ。
どんなに逸楽的な、官能的な女の裸体を描いても、これに「淫蕩」とか「虚栄」とかいった否定的な題をつけておけば、やかましい坊主や道学者に非難される心配はなかったのである。

すんごくっ納得。

こう考えてみると、一番の偽善者は画家たち自身だったのではないか、という疑いも生じてくる。
彼らは内心では、女の肉体を賛美したいという、画家として当然の欲求をいだいていたにもかかわらず、当時の倫理的な世間に対する隠れ蓑として、わざと宗教的なアレゴリーをえらび、自分たちの本心をたくみに韜晦してしまったのである。
アレゴリーとは、画家たちにとって、じつに便利な口実となるものだった。

へっ、図星っ!

こういったからとて、むろん、私は、ここに採りあげた敬虔な宗教画家、古都ブリュージュの聖ヨハネ病院に長く住み、あの名高い聖女ウルスラの殉教図を描いたハンス・メムリンクを、偽善者呼ばわりしようとするつもりはない。
一般に、道徳的な寓意画を描く画家たちの、深層心理にちょっと探りを入れてみたまでの話である。

注:以下リンク参照。
聖女ウルスラの殉教図、多分これ?
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/m/memling/index.html
のっ下から3番目をクリック。
日本語で読みたい方は以下をクリック。
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/memling_ursula.html


とっ言うワリに、、、
解剖学的に絵画のプロポーションにケチを付け、
ファン・アイク&クラナッハとの共通点を語り、
澁澤龍彦は以下のように文章を結ぶ。

女性を描いたメムリンクの肖像画のなかで、私のもっとも愛するのは、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある小品「マリア・ポルティナリの肖像」であるが、これについては、いずれ採りあげる機会もあろう。
(画像2)

画像1&2:Hans Memling  1430/1440―1494
『Vanity』1485
確かにプロポーションがねぇ。。。
『Tommaso Portinari and his Wife』 1470
彼は38、彼女マリアは14。
ポルティナリが自身と妻の肖像を依頼したのは結婚の直後。
体は向かい合って手を合わせつつ、夫婦の視線は違う対象を見てるように思える。
なんだかなぁ。。。

無常観

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画像1&2:Matthias Grünewald 1470/1475−1528
『The Dead Lovers』―
『The Crucifixion, central panel of the Isenheim Altarpiece』(first view)
http://www.copia-di-arte.com/a/grunewald-matthias/the-dead-lovers.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88

グロテスクとか残虐とかいったレッテルを張りつけられている作家や作品も、ヨーロッパ美術の伝統のなかに、かなり数多く見出されるにはちがいないが、このグリュネワルトの「死せる恋人」くらい、猛烈をきわめたグロテスク描写、しかも克明なリアリズムに支えられた醜悪描写を、あえて行っている作品はめずらしいのではあるまいか。
〜中略。。。

たとえば、グリュネワルトの「イーゼンハイム祭壇画」のキリスト磔刑図では傷だらけのキリストのねじくれた硬直した死体が、無気味にも緑色に変色して、ふくれあがっているのである。小説家のユイスマンスは、これを「破傷風のキリスト」と呼んで讃歎している。
〜中略。。。

トーマス・マンの『魔の山』に登場する、中世美術讃美者のナフタ教授は、次のようにいう。
「魂の世界や表現の世界から生まれたものは、いつも美しさのあまり醜悪であり、醜悪であるために美しいのです。それが法則です。そういう美は精神美であって、肉体美ではありません。肉体美なんてまったく愚劣です。ただ内面美、宗教的表現美に真実性があります」と。
『幻想の肖像』より抜粋。

とっ、澁澤龍彦氏も引用をもって結んでいる。
う〜〜ん、合言葉は「メメント・モリ(死を思え)」かぁ。
日本語で無常観。。。

ほら〜ていすと?

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 アントワヌ・ジョゼフ・ヴィールツの作品は、ほとんどすべて、ベルギーのブリュッセルにあるヴィールツ美術館に保存されている。…略。
 たとえば、「早すぎた埋葬」という絵のなかでは、墓場の棺の蓋が少し開いて、その中から生き返った死人が手を出している。「飢え、狂気、罪」という絵のなかでは狂った母親が無邪気な微笑と共にナイフをふりあげ、自分の子供を料理して食おうとしている。吊るされた鍋のなかに、子供の切断された足が突っこまれている。おそるべき人肉嗜食の絵だ。また「若い女妖術師」という絵では、着物をぬいで素裸になった少女が、箒に跨って夜宴に出発しようとしている。背景には、醜い老人が群がって彼女を眺めている。
 ここに掲げた「美しきロジ―ヌ」も、むろん、同じ系列に属する絵である。この作品は別名「二人の少女」というように、向かい合った裸体の少女と骸骨とは、ようするに同じ人間の別のすがたにすぎないのである。両者は互いにしげしげと見つめ合っている。この女らしく成熟した、豊満な肉体美を誇る少女もやがて、死すべき時がくれば、彼女の前に立っている骸骨のように、肉も血も失せた、乾からびた醜い形骸と化してしまうだろう。そういう寓意を、この絵は表しているのでもあるかのようである。…中略。中世キリスト教の「死を思え」の思想が、そこに反映してると考えてよかろう。
 しかし、このヴィールツの新しい19世紀の「死と少女」は、そうした宗教的な発想から描かれたというよりも、むしろテオフィル・ゴーティエ風の怪奇ロマンティシズムから着想を得た、というべきであろう。ヴィールツは骨の髄までロマン主義的な気質の画家であり、しかも当時の文学者たち、ユゴーやゴーティエやメリメがそうであったように、多分に文学的な陰惨趣味の持主でもあったようである。
伝記の伝えるところによると、ヴィールツは大作「キリストの勝利」を、ロシア政府が十五万フランで買い上げるという申し出を、あっさり断ったそうである。彼は自作を1点も売らなかった、近代では珍しい誇り高き画家だった。生活のためには、もっぱら注文の肖像画を描いていたという。
 その死後、巨大な作品群はすべて、作者の遺言によってベルギー政府に遺贈された。
                         澁澤龍彦『幻想の肖像』より。

画像:Antoine Wiertz 1806-1865
1)『The Premature Burial』 1854
2)『Faim, folie et crime』 1853
3)『The Young Witch』 1857
4)『La Belle Rosine』 1847

やはり、『死』は恐怖と御友達なのだろう。
メメント・モリ、日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳される事が普〜通。
栄耀栄華を極めた皇帝が、錬金術師が、呪術師が、、、
死に抵抗した話しはウッチャリあれど、不老不死を得たのは八百比丘尼くらいか?

最近、父母が孫に過去を語る。
娘からの又聞きで、、、データを書き換えるなっ!
って思った。
自己の正当化&苦労も美談。
過去を自己が納得できるように昇華してる?
まぁ、老化現象の症状なのだと認識する。
ん〜〜、私も四十路に突入し、、、
つらつら過去を懐かしみ、反省もする。
不透明な未来社会に悲観したり。。。
こっ、これは?
死に対峙する準備なんじゃろか?
父母・私達夫婦・娘&Jr.、世代の残り時間は違う。。。
娘&Jr.は、うんにゃ、子供達一般は過去を振り返らない。
未来への希望に満ち溢れてるに違いない。


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