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GWは単なる週末でした。

巡礼

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否認

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遠藤氏は以下のエピソード&画像を紹介していない。

ペテロは下で中庭にいたが、大祭司の召使の女が一人来て、ペテロが火にあたっているのを見つけ、彼をじっと見つめて言った、
「あなたもあのナザレ人イエスと一緒だった」。
ところが、ペテロはそれを否定して、「知らない。お前が言っていることは何のことだか分からない」と言って、外庭へ出て行った。
[すると鶏が鳴いた。]
そこでも先の召使の女が彼を見つけ、またもや回りの人々に「この人は彼らの仲間です」と言い始めた。
ところがペテロは再びそれを否定した。
しばらくしてまた、回りの人たちがペテロに言った、「お前はたしかに彼らの仲間だ。お前もガリラヤ出だから」。
ところがペテロは、嘘なら呪われてもよいと言い始め、誓って言った、
「あなたがたが話しているそんな男をわたしは知らない」。
するとすぐ、鶏が二度目に鳴いた。
ペテロは「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うであろう」とイエスが彼に言われた言葉を思いだし、うち砕かれて泣き続けた。
マルコ福音書 一四章 六六〜七二節

画像1:CARAVAGGIO 1571−1610
『The Denial of St Peter』 1610

画像2:Rembrandt van Rijn 1606-1669
『Peter Denouncing Christ』 1660

画像3:TOURNIER, Nicolas  1590−1638
『Denial of St Peter』 1625

画家たちが解釈する否認は多種多様。
職質されたビクビク男?
あるいは、
嘘つき男?
偽証した後悔が熱心な布教のエネルギー?

画像4:Hey, Jean  1480-1500
『Pierre II- Duke of Bourbon, Presented by Saint Peter』1492-93
ペトロを描くにあたって代表的な御約束は『鍵』。
キリストから天国の鍵を授けられたらしい。
だから、カトリックではペトロを初代のローマ教皇とする。
他の御約束は、
『三重の横木の司教杖』
『書物』
『雄鶏』
キリスト教が世界三大宗教になったのはペトロの功績。
偽証した後悔が熱心な布教のエネルギー?

本音言うとねぇ。
キリスト教のストーリー&絵画or映像作品は好きだけどねぇ。
全員が嫌いではないけど、日本人のキリスト教徒は嫌いなんです。
「だから救われないんだよ」って他者を見下した態度。
「教えは素晴らしい」ってセ〜ルスだか営業マンみたいな熱心さで押し売りみたい。
日本でキリスト教は根付いたと思うけれども、
シェア拡大出来ないのは上記の理由だと私は思っている。

最後の晩餐

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前略。。。
 カヤパが恐れたのはイエスの新約聖書的な宗教観ではなく、明らかにイエスの人気であり、その人気によって引き起こされる反ローマ的な民族感情だった。
 ローマを怒らせれば自らの立場がなくなるカヤパは、既成秩序を守るために、イエス逮捕に踏み切ったのである。
したがってイエスの逮捕は、大祭司カヤパとイエスの宗教理念の対立から起きたのではなかった。それは別の政治的な次元の問題から生じたのである。
狡猾な大祭司カヤパは、だがこの逮捕の時を過越祭の前夜まで延ばした。民衆の激昂をさけ、逮捕に値する証言をえるためである。

画像1:Jacopo Tintoretto (1518-1594)
『Last Supper』 1594
中略。。。
 泰西の名画は――有名なダ・ヴィンチの絵をふくめて最後の晩餐を静かな修道院の食卓のように描く。だが私は、イエスと弟子の最後の会食はそのような静かな形では行われなかったような気がする。ジェリコでそうだったようにこのエルサレムでも、彼に期待と好奇心とを抱いた巡礼客がその食事の家を囲んでいたに違いない。その点でティントレットの絵には動きがある。ざわめきが見られる。それは何を意味するか。
後略。。。
『イエス巡礼』より引用。

氏に反論するわけではないけど、『有名なダ・ヴィンチの絵をふくめて最後の晩餐を静かな修道院の食卓のように描く』と言うが、充分にダ・ヴィンチの絵には動きがある。
たとえば、

画像2:MASTER of the Housebook (active 1475-90 in Mainz)
『The Last Supper』1475-80
ユダだけ光輪が無くて項垂れてるし。。。

画像3:GHIRLANDAIO, Domenico 1449-1494
『Last Supper』1480
ユダだけ同列に並べてないし。。。

画像4:Leonardo da Vinci 1452-1519
『The Last Supper』1495-98
確かに静かな修道院の食卓のようだけども、弟子たちの動きは活発。
ダ・ヴィンチ以降ってか、ルネサンス期以降はユダを同列に描き弟子は活動的になる。

画像5:JUANES, Juan de 1523-1579
『The Last Supper』1560s
弟子がイエスの言葉を黙って聞いてるだけとは思えない。
ユダだけ光輪が無いのは御約束。

氏は「最後の晩餐」でのイエスの行動を4個のエピソードとしている。
1.聖体の秘儀設定(パン&葡萄酒=体&血)。
2.受難&死の予言。
3.弟子の裏切りを促す。
4.ペテロの離反を予言。
さて、このティントレット絵でイエスは左側の人物に話かけている。
どの場面だろうか?
多分、3or4。

エルサレム入城

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前略。。。
 荒野における民衆の熱っぽい民族感情は、イエスの煽動によるものではない。大祭司カヤパは、彼の派遣した監視員の報告によってそのことは熟知していた。しかし、救世主を待望する民衆がイエスを押したててローマにたいする反乱を起こせば、それはサドカイ派の害になるだけでなく、ユダヤの存亡に関する危険を引き起こすことになる。そのためには、たとえイエスに個人的責任はなくても、ユダヤ人が「亡びざるため」には彼を処分せねばならぬ――それがカヤパの結論だった。政治とは個人の意思ではなく、全体に及ぼす影響や効果を第一に考えねばならぬことだからだ。
 中略。。。
 イエスは弟子たちを連れ、このエルサレムの金の門から驢馬で入ったと聖書は書いている(マタイ、二一ノ一〜一一)。その場面に着眼して、ジオットが表現するイエスの清澄なまなざしにうかがわれる受難の決意は、見る者を粛然とせしめよう。
 
画像:Giotto di Bondone 1267頃〜1337
『Entry into Jerusalem』1304-06
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/g/giotto/index.html

中略。。。
彼は「正義(ただ)しく」・・・・・・しかしイエスの義はまさに大祭司カヤパの正義とは正反対のものだった。政治的な善とは対立するものだった。「柔和にして」・・・・・・すなわち政治の義ではなく、愛の義だったのだ。
『イエス巡礼』より引用。

人は神に贖罪の仔羊を捧げる。
イエスは人々のため、仔羊になった。。。

北方への流浪

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 聖書は、多くの頁をさいてガラリア湖畔におけるイエスの布教の成功と人気とを語っている。前章でもふれたが、イエスの噂はあまねくガラリアに拡がり、彼の行くところ戸口のあたりにも隙間なく人々は集り、イエスには食事をする暇もなかった、と聖書は書いている。
 だが聖書に語られたこの彼の人気と成果とを読むと、ある疑問が起こる。それほどの人気を持った彼が、その後なぜ同じ群集から追われなければならなかったのだろう。そして、やがてその彼が裁判を受けた時、民衆から見捨てられ、罵声をあびせられるようになったのはなぜだろう。

中略。。。

民衆は常に現実での効果を求めるものだ。ガラリアの湖畔でイエスをとり囲んだ民衆は、彼が病人の病気を治す奇跡を行うことを望んでも、愛について知ろうとはしなかった。パレスチナからローマ人を追い払うことを願っても、愛の神の存在について考えようとはしなかった。民衆の求めるそんな現実的効果は、イエスの説く愛の教えとはほど遠かったのである。

中略。。。

画像1:Giovanni Bellini 1430?-1516
『Transfiguration of Christ』c. 1487

聖書に出てくるイエスの変容の場面を、私はこのピリポ・カイザリアの地点に置きたい。
「イエズス、ペテロとヤコボと其兄弟ヨハネとを別に、
高き山に連行き給いしに、
彼等の前にて御容変り、
御顔は日の如く輝き、
其衣服は雪の如く白くなれり」
(マタイ、17-1〜2。マルコ、9-1〜2。ルカ、9-28〜29)
変容とは象徴的である。イエスが自らの死という、弟子たちにとっては意外な運命を予言した時、その顔は決意のため日の如く輝いたのであろう。
だが多くの絵に描かれたこの変容の場面をピリポ・カイザリアの地点におくならば、我々はイエスが民衆から見捨てられたことを受け入れ、失意のなかで自らの死を予感したのがその地であったことも忘れてはなるまい。
場所はともあれ、ベリーニの絵には、独り変容するイエスのふかい哀しみを訴えてくる作者の醒めた眼を感じはしないだろうか。
『イエス巡礼』より引用。


人心はワガママ。
飽きっぽいくて醒めやすい。。。


画像2:Giovanni Bellini 1430?-1516
『Transfiguration of Christ』c. 1455


画像3:DAVID, Gerard  1460-1523
『The Transfiguration of Christ』 1520

ペテロ、ヤコボ、ヨハネが地に伏しイエスの変容に驚き悲しむ。
ってのが御約束。

ガラリアの春

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 ユダの荒野を引きあげたイエスは、故郷のナザレには帰らない。彼が弟子たちと共にエルサレムからユダヤ地方、そしてサマリアと転々と住居を変えていたらしいことが、福音書からほのかに想像はできる。しかしこの初期時代のイエスの動向は曖昧である。だがイエスが転々と住居を変えた事情は、私の想像では彼の師だった洗者ヨハネの逮捕事件と何か関係があったのかもしれぬ。
中略。。。
 聖書に出てくる有名なサマリア地方の旅や、サマリアの女との会話も、この初期時代の出来事だと私は考える。その時点をとらえて、胸の奥にある美しい魂の実在を問いかけてくるのが、ここに掲げるルドンの絵である。
後略。。。
『イエス巡礼』の「ガラリアの春」より引用。。。

画像:Odilon Redon 1840-1916
『Jesus Christ and Samaria woman』-
『イエス巡礼』よりスキャン。

 彼の神のイメージは、怒りの神、罰の神、裁きの神という旧約的な、あるいは洗者ヨハネの教えやエッセネ派の『死海文書』にあらわれるそれとはちがっていた。それは人間を愛し、人間を許す神だった。放蕩息子(罪の人間)の帰還を誰よりも悦ぶ神であり、一匹の迷える羊を探し歩く牧者に似た神だった。
『イエス巡礼』の「ガラリアの春」より引用。。。


以下は不敬虔な仏教徒としての私感で脱線。

神も仏もいねぇのかっ!
天に向かって拳を振り上げ唾吐いたコトがある。
神や仏を感じられる能力は私には無いけど、
神や仏の存在を否定してるワケじゃない。
存在してても、何もしてくれない。
見てるだけ。
見守るだけ。
気紛れにミラクルラッキーを起こす。
『偶然ではなく必然です』
って?
RPGのフローチャートのYorNの選択肢の結末のように?
私は最後の最期に、神や仏と対峙してみたい。。。

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