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豊国廟への参道の途中、新日吉(いまひえ)神宮があります。 行く前までは、しんひよし神宮と読んでいました。 社伝によれば、1160年(永暦元年)後白河上皇の命により、 現在より南に創建されたと伝えられる。その後、社地を転々とし、 現在の社地となったのは、明治になってからとされる。 日吉の守り神”サル” 新日吉神宮の祭神は、大山昨神、大巳貴神、賀茂玉依姫命など七神。初代別当に任命されたのが妙法院の昌雲という僧で、昌雲は藤原忠成の子で後白河上皇の護持僧である。 新日吉神宮は皇室からの崇敬も篤く栄えたが、応仁の乱(1467〜77)など、戦火により社殿が荒廃、衰退した。その後、度々再建が行われて、現在の本殿は天保6年(1835)に再建された建物。 拝殿の方から振り返ります。 プリンセスラインを上がると豊国廟、その脇には京女と新日吉神宮。 東山七条に出れば、智積院に三十三間堂。見どころ一杯のエリアです。
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三十三間堂・智積院
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豊国廟への坂の途中、京都女子学園があります。 風格と歴史を感じます。京都女子大学。 通称『京女(きょうじょ)』と言います。 京都女子学園は、京都女子大学大学院、京都女子大学、 京都女子大学短期大学部、京都女子高等学校、京都女子中学校、 京都女子大学附属小学校、京都幼稚園からなる総合学園である。 これらの学校・教育施設は、それぞれ創立から発展への歴史を独自にもつが、 根本とする心 ――親鸞聖人の体せられた仏教精神によって、 自己中心でない豊かな人格を育てようとする建学の精神は、一貫して変わらない。 HPより。 100周年おめでとうございます。 学園の近くをプリンセスラインバスが走ります。 このバス結構便利ですよ。 ここから京都駅や、四条まで。ノンストップで行けちゃいます。 車内に西日が優しく差し込みます。 これは京都女子学園の建学記念館「錦華殿(きんかでん)」 |
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智積院の北の坂道沿い。豊国廟の参道です。 坂をあがってきました。 後ろを振り返ります。 右端のコブのように見えるのが愛宕山。 この奥から豊国廟への階段が続きます。 京都女子学園(記事はまた書きます。)のすぐ近く プリンセスラインと呼ばれるこのあたり。 かわいいお店があります。 |
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七条通の東の突き当り、真言宗智山派の総本山の智積院 利休好みの庭園や収蔵庫の国宝の絵画等が有名ですが、 訪れた時は臨時のお休みみたいで中に入れませんでした。 外からの写真が多くなりますが、見てください。 五色幕の緑や赤・黄が鮮やかに見えます。 派手な色のない、京都の冬。五色幕が色鮮やかです。 智積院のすぐ近くには、普段は非公開の妙法院があります。 |
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三十三間堂の向かいにある養源院へ 振り返ると三十三間堂が見えます。 養源院は、文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために 秀吉に願って成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として創建されました。 一度焼失しましたが、元和7年(1621年)、徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興された。以後、徳川家の菩提所となりました。 内部は撮影禁止。 俵屋宗達作の襖絵や杉戸絵。 伏見城の遺構とされる血天井があります。 血天井は正伝寺や源光庵などでも見れますが、生々しさではここが一番らしいです。 東山七条界隈の写真です。 京都国立博物館 ハイアットリージェンシー 東山七条の交差点。智積院が見えてきます |







