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「王女の男」NHK放映は7月8日が初回になりそうです。
プロモーションのため、シフssi、チェウォンちゃんも来日するようですね
最終話アップの前後から、あらすじ記事を1話からお読み下さっていたという何人かの方からコメントを頂き
とっても幸せな気持ちになりました
拙い文章を発信しつつ、恥じのかき捨て
コメントで拝見できるのは、ブログをやっている者にとってはなにより嬉しいことです。
コメント下さったビジターの皆様、改めまして心から御礼申し上げます
さて。
頂いたコメントや他の方の感想から、ラストのスンユを、ちょっぴりイジワル目線で
あると知り、正直なところとっても驚いてしまいました。
ジョンをはじめ亡くなってしまった人がいるのに、自分たちだけ幸せになってしまってよいのか・・
結局復讐を遂げられないまま生き残るなんて情けない・・
あら〜、こういう捉えかたもあるのか〜
とても心温まる本当にいい終わり方だったと思っています。
二人は幸せになるべきですし、幸せにならないとこのドラマが制作された意味がないと思っています。
でも観る人によっては、上のように二人の幸せにちょっと文句を言いたくなる部分もある、らしい。
未だに『王女の男』の世界に浸かっている身には(笑)なんだか無視できないお声です
この際なので、もう一度ラストシーンついて思うところを語ってみたいと思います。
私にはひとつ、掘り下げないままにしていたことがあります。それは”スンユの失明”
感想記事は勢いでアップしてしまったので、失明については「これしか彼をとめる方法がなかったから」
とあっさり済ませてしまいました。
本当のところどうして、失明するというエンディングを制作陣は付加したのでしょうか。
復讐をとめるため…それは間違いないと思います。
とめるということは他者の力でやめさせるということです。本人がやめるのではなく。
スンユ本人は自分ではやめられない。もともとは身内のために始まった復讐劇でしたが、
段々と粛清を受けた全ての人の恨みを一身に背負っての宿願になってしまった。
だから途中で投げ出すことは責務を放棄することになってしまうわけです。
ジョンが亡くなったとき、スンユはその重責に悩んでセリョンに打ち明けていました。
でも結局は投げ出すような卑怯な真似はしたくないと腹を括る。そんなスンユですから、もしも王后に救われ生き延びた場合、妻や子がいようとも再び刀を握ってしまったかもしれません。
けれども失明してしまえばもうそれは不可能になります。
文字通り、復讐をとめることができる。
でももっと深く考えると、ただそれだけではないと思うのです。
失明はスンユが生き残って幸せになるために払わされた“代償”ではないのかと。
ここでは失明ということにこだわらないほうがいいかもしれません。
制作陣が失明を選んだ理由は色々とあるかと思いますが、別に失明でなくても、たとえば歩けなくなるとか
記憶の一部をなくすとか…ともかくスンユに、生き延びるにあたって困難を強いられる大きな課題を与えた
ということです。(失明=不幸という意味ではありません)
首陽のした無実の人々への粛清は当然ながら人道にはずれている。
でも、その犠牲者の仇をうつために
スンユが血で手を汚したことも事実です。
無事に生き延びただけではスンユがしたことはすべて正当化されて終わってしまいます。
首陽が晩年、端宗の生母の亡霊に悩まされ子息を病気で失い皮膚病で
苦しんだように、
スンユもまた復讐のために人を手にかけた代償を払わなくてはならなかった。
それが失明だった、ということだと思います。
ところでその代償を払わされたスンユの心情はどうだったのか。
失明に直面したときの気持ちを探るために、そこまでのスンユの心情を追ってみます。
討ち入り直前のスンユの本音はソクチュに語った言葉に表れています。
ひとつは妻を頼むと言ったこと。
もう一つは、もう荷を下ろしたい、と言ったことです。
妻を頼む。自分と首陽、どちらが死んでも妻は不幸になる。
自分が死んだら、というのは当然です。
では首陽が死んで自分が生き延びた場合、つまり完全に成功した場合はどうなるのか。
首陽を討つということは最愛の妻の父を手にかけるということです。
身内を失う悲しみを知っている自分が
同じ悲しみを妻に与える。まずはそれを自分に許せるかどうか、スンユはずっと悩んでいました。
しかし皆の宿願を背負っている以上、そのことは自分ひとりの問題として無視しなければならないことも分かっている。
だから討ち入るわけですが、成功して生き延びた場合、スンユはこの問題から一生逃れられなくなる。
果たして自分が手にかけた父の死を悼む妻の隣で、心穏やかに生きていくことができるのかどうか。
もちろんセリョンが理解し許してくれることは分かっている。
でも表に出さないだけで自分が与えた深い傷が癒えることはないでしょうし、だからこそスンユが罪の意識から解放されることもないでしょう。
そういう生き方に耐えられるのかどうか。成功した場合、妻だけでなくスンユ自身も不幸になるのではないか、ということをスンユもきっと考えていたはずです。
とすると。
責務を果たすために討ち入りには行くけれども、実は本当に首陽を手にかけるつもりはなかったのでは、と思えてくるのです。まあ最終的には、はっきりと決めないまま討ち入りに臨んだのかもしれませんが、
もしも首陽を晴れて討ち取ったとしても、生きて戻る積りはなかったのでは…。
「妻を頼む」という言葉にはそんなスンユの心の声が込められているように思えるのです。
続く「もう荷を下ろしたい」という言葉。これはつまり楽になりたいということです。
皆の宿願を一人で背負う生き方をもう終わりにしたい。
そして、もしも宿願を達成しても、上に書いたような
今度はスンユ個人に関わってくる苦しみ=「俺だけの問題」=を一生負う事になる。
その荷を負うことにも耐えられない。だからすべてを終わりにしたい…
つまり。首陽の首に刀を向けたとき、スンユは既に死ぬ覚悟をしていたのではないか。
だからこそソクチュたちの援護も断った。イムが入ってきたときも慌てた様子がなかった。ひょっとしたら計算通りと思ったかも知れない。
首陽との問答に時間をかけたのも、最期を目前にして、自分の苦しんできた
思いのたけを諸悪の根源である敵にぶつけないではいられなかったから。
そういう思いでいるところに、首陽からセリョンの懐妊を告げられたのは本当に残酷なことです。
もう死ぬ覚悟をしているというのに、子供がいると教えられたら。
単に予期しない言葉に驚くというよりも、生きる希望になるような言葉を与えられるんですから、どうすべきなのか分らなくなってしまうでしょう。
これはまったくの私の勝手な推理なので、本当にそうだったかは分りません。
でもこんな風に考えていくと、追い詰められたスンユへの哀れさがこみ上げてきてしまいます。
もともと勝ち目のない、勝つつもりのない戦いだと分かっていながら飛び込んでいった悲壮な決意に涙が出てきてしまうのです。
そして牢に横たわる身となるわけですが、あの幻を見たときの笑み。
あらすじには字数が足りず書けなかったのですが、私には自嘲しているように見えました。
復讐に走ることがなかったら幻影に見たような人生が待っていたかもしれないのに、絶対にそんな幸せな日は自分には来ないのだな、と悟った悲しい笑い。
牢を出るとき、本人はもう死んだものと思っていたでしょう。いつごろ目覚めたでしょうか。
普通あの状態で宮中から出ると人知れない場所にドサッと投げ捨てられておしまいです。
皆を欺くためには運搬している下人ももちろん知らないはず。だからどドサッと捨てられる。で下人は帰ってしまう。
でも付き添ったイムは生きていると知ってます。王后はイムを使ってセリョンとともにスンユをどこかに匿った。
籠を使ったかもしれない。そのあと医者に診せればいいんでしょうが、よほど信頼できる者でないと危ない。
だから医者には診せず薬をイムまたはヨリを使って届けさせる。
セリョンは献身的に看護したでしょう。セリョン自身もつわりがひどい身ですし、回復するかどうかも分らない。
でもきっと良くなると信じて看病する。その甲斐あってスンユは目を覚まします。
目覚めたとき、なにを思ったでしょうか。
まず生きていることに驚いたはずです。自分の意思で望んで生き残りたかったわけではないのに生きている。
10話でセリョンの刀事件で刑を免れたとき、スンユは陽を見上げて目を閉じていました。
あのシーンがすごく印象的でした。
自分の意思に関わらず「生かされた」という意識。
安堵するというよりも、運命の流れに従うしかない無力さを味わっているかのような、そんな感じがしました。
ここでも似たような反応だったかもしれません。ただあのときはもう希望という希望を全部なくした後だったから無気力さに襲われたかもしれませんが、今回は違う。
妻もお腹の子も傍にいる。それは大きな希望です。
だから生かされてよかったと思ったはずです。
が。ここで視力を失っているという事態に直面するわけです。
いや、目覚めたときに既に失明していたかは分りません。徐々にだったかもしれない。とにかく光を失うという事態に直面する。
これをどう受け止めたのか。
普通に考えれば当然、パニックに陥ってしまうでしょう。ようやく愛しい妻と静かに暮らせる、でもその妻の笑顔を見ることはもう二度とできない。生まれてくる子の顔を見ることもできない。
ただ、私にはスンユがショックを受けて荒れ狂う姿はあまり浮かんできません。
もちろん衝撃を受けないはずはありませんが、静かに、傍らで見守っているセリョンの手を握って、黙って受け入れて耐える。
なんとなくそんな図が浮かんでくるのです。
結局自分は討ち取ることは果たせなかった、それでよかったのだ。
死ぬ覚悟をしていたが、挫折したお陰で妻と子と人間らしく生きる道を得ることができた。視力を失ったのはその道を得るための代償ということか。。
コメントでも書いたんですが、超越している、達観してしまっている、という感じですね。
その、抵抗せず従容と受け入れる姿勢に、なんともいえない哀しみを感じてしまうのです。
もちろん目が見えない人生をこれから歩むという現実を完全に受け入れるには、やはり時間がかかったでしょう。
どんなに、もう一度妻の顔を見たいと思ったことでしょうか。
見えないことで自分がセリョンの重荷になるのが嫌で、きっと直面する様々な問題にも必死で取り組んだでしょう。家族をどう養い、どう守るのか、無力さに苛立ち葛藤することも多々あったはず。
ラストのスンユ、子供は6,7歳くらいでしょうか。
ああやって子供の手に引かれ棒を持って歩けるようになるにはどれくらいかかったでしょう。馬に乗ろうというレベルまでいくにはどれだけの苦労をしたことでしょう。
悔いはない、怖くはない、そう言って微笑みを浮かべるまでに払った大きな犠牲、そこまで心を割り切って穏やかになれるまでにスンユが辿った(この先もまだ辿るであろう)苦しみの変遷が透けて見えてくるようで。
私にはとても情けない、とか、幸せになってしまって、なんていう気持ちは
湧いてこないんですよね。
そして。
妻の父を手にかけるという大罪から免れ、セリョンという最愛の伴侶との人生を得られて本当によかったとしみじみ思うんです。
正直なところ演出上の突っ込みどころも結構ありましたが、ま、そこは韓国ドラマの常道なので(笑)
(時間の矛盾とか不死身な体とか都合のよい盗み聞きとか
ただしこのラストはちょっと説明不足でした。
ドラマのテーマに直結している重要なラストなだけに、もったいないな〜と思います。
反乱軍の崩壊もあっけなかったし、討ち入りに行くところもすんなり運びすぎな感があり。
あと2話くらいあったらもっと重厚感が出せたろうに、と思うと残念です。
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横顔フェチさま、こんばんは!
またお越し下さり、この記事を読んで下さってありがとうございます♪そして、もったいないお言葉の数々に恐縮してしまっております。
最終話でコメント頂きながら、自分の考えをコメント欄で語り尽くすにはスペースが足りないと感じてすぐにご返信もできず、記事にまとめるにも時間がかかり。私の言葉足らずな表現でお気を悪くさせたのではと実はとっても気に病んでおりました。
上のコメントを拝見して胸のつかえがとれた思いです。
ドラマの解釈は視聴者に委ねられているので、それぞれが好きなように受け止めればいいですし、正しいとか間違っているとかいえるものではないと思っております。ブロガーとして発信するとどうしても主観的なものになってしまいますが、共感頂いたらそれはとても嬉しいですし、他の見方があることを知ることも勉強になります。
今後もこういう謙虚な気持ちを大切にして発信していきたいと思います。横顔さんのコメントに沢山の激励を頂いた思いです。
あらためましてありがとうございました。心から感謝致します(*^_^*)
2012/4/28(土) 午後 10:34
はじめまして。
私も最近「王女の男」を見終わったところです。
偶然なんですが、私のブログにも最終話のスンユたちが受け入れられないというコメントがあり、
ちょっと考えていたところで、kiokioさんの記事に遭遇しました。
まずすばらしい文章力と洞察力に感動しています。
kiokioさんの書かれていることがストンストンと心に落ちてきて、
モヤモヤと文にできなかったことをこのように表現してくださったことが
とても嬉しくて、コメントしたくなりました。
私は首陽とスンユ、それぞれにこういうラストを用意したことに満足していたのです。
kiokioさんが書かれているように、スンユは単純に幸せな余生を送ったわけではない。
命があっても光を失う、という人生は壮絶な苦悩を伴います。
果たしてそれがスンユにとって幸せであったかどうか、、、
しかし愛するセリョンと娘と過ごす余生、それもかけがえのない程の幸せであることも事実なわけで、
それを変な言い方ですが、無条件で手に入れられなかった、というところに、
幸せも不幸も、結局のところ「痛み分け」なのかなと感じています。
[ ピック ]
2012/5/17(木) 午前 1:24
続きです。
しかし一方、ジョンやイ・ゲなど死六臣が遺したメッセージを尊重すると、
「正しいこと」を貫くことの大切さ、そしてその「正しいこと」を理不尽に奪った首陽への「怒り」を伝えるためには、スンユとセリョンはともに死ぬ、というラストもありなのではないかという意見をいただきました。
そういったラストでもまた「痛み分け」は表現できます。
スンユは自分の信念のために死ねる、そして同時に「荷をおろせる」。
首陽は権力の座にいられても最愛の娘とその孫を失ってしまう。。。
そういう意味ではスンユが死ぬか失明するか、どちらのラストであっても良かったのではないかと私は思っています。
どちらであってもスンユにも首陽にも、苦悩はあるわけですから…
ただ現状のラストのほうが、両者に救いがあるかもしれませんね。
[ ピック ]
2012/5/17(木) 午前 1:25
ピックさん、はじめまして&コメントをありがとうございます♪
ブログの記事を拝読してまいりました。ピックさんのドラマへの感動や想い、登場人物たちへの目線に、私と同じものをたくさん感じとることができてとても嬉しくなりました(*^_^*)拙文にも共感下さったとのこと、改めましてありがとうございます<m(__)m>
コメント欄も読ませて頂きました。やはりこのラストは様々な捉え方を産むのですね〜。罪なコンナムです(笑)
「正しいこと」を貫く、首陽への「怒り」を伝えるために2人が死ぬというラストも「痛み分け」になるというお考え、なるほどと思います。
つまり、ラストで2人が幸せになるのが納得いかないというお考えの方にとっては、2人とも、またはスンユだけでも死んでしまったほうがドラマのテーマに沿っているようでしっくりくる、ということになりますでしょうか。確かにそういうラストでもいいのかもしれませんし、仰るように現状のラストのほうが、首陽にも2人にも救いがあると思います。
2012/5/18(金) 午前 1:01
続きです。
実はその「救い」が大切なんじゃないかな〜と私は思っています。
これまで、19・20話感想記事↓や
http://blogs.yahoo.co.jp/makomarron92/29410117.html?type=folderlist
最終話感想記事↓
http://blogs.yahoo.co.jp/makomarron92/29469127.html
にも書きつつ、自分の考えがまだまだ、十分にまとめられていないな〜と情けないのですが。。
私はどうしてもこのドラマを、元になった「錦溪筆談」から切り離しては考えられないんです。そしてここからドラマを作ろうとした制作陣の意図からも。
そこから見えてくるのは、正しいことを貫くために死を選ぶという生き方と同じくらいに、敢えて生きて幸せを得ることで正しいことを立証するという生き方も素晴らしいのでは、という問いかけです。
そしてその生き方は「愛」で支えられています。
私は途中からのセリョンの愛に、男女の愛以上に母性愛を感じて見ていました。スンユを救ったのはセリョン、王后、キョンヘ王女3人が持つ母性愛の勝利だっ
2012/5/18(金) 午前 1:50
文字切れしました。母性愛の勝利だったように思っています。
大義名分、名誉や誇りや仁義、というものを正しいものとして、その正しいもののために命をかけるのが、スンユやジョンたちに代表される男性社会の生き様だとすれば(一概に男性と言い切ってはいけないと思いますが)そういうものを全て斬り捨てても、大事なひと、大切なものを守りぬくことを「正しいこと」として命をかけるのが、親の愛、もっと突き詰めていくと母の愛に支えられた生き方ではないかしらと。
大義名分や仁義よりも、愛が勝利する、ということは、世の中すべての救いになる…
なんだか話が大きくなってしまって訳が分りませんね(^^ゞ
2012/5/18(金) 午前 1:54
続きです。
話を戻しますと、ご紹介した記事にも書いているのですが、「錦溪筆談」の逸話が人々の心を掴み語り継がれたということは、政争や家門や仁義や復讐よりも、憎しみや怒りを捨てて愛に生きる二人に当時の人々が心の「救い」を求めたことを反映していると思いますし、その「救い」は普遍的なもの、いつの時代においても人間が求めて止まないもので、様々な業に縛られた人間社会を救うのは愛に支えられた生き方だということを、制作陣は伝えたかったのではと思うんです。
2人が生き残った意義はそこにあると思っているのですが…
すみません。なんだか支離滅裂なコメントになってしまいました(汗汗
2012/5/18(金) 午前 1:56
遅ればせながら、最終話を先ほど見終えましたvv
心奪われました〜(涙)質の高いドラマでしたね。
ドラマを見ながら、いつもkiokioさんの解説&感想を読んでは、新たに感動していましたvvありがとうございますvv
以前「悲恋であって悲恋でない」と言うお言葉を頂いていたので、心落ち着かせながら見ることが出来ました。が、それでも毎回ハラハラドキドキでした。特に最終話は、予測がつきませんでした。
ラストシーンに見るkiokioさんのスンユの心の葛藤の推移などは、私の心にスーっと入って来ました。私の心も落ち着かせることが出きました。
ラスト、穏やかなスンユの顔が印象的でしたね^^
と共に、毎回色々な表情を魅せてくれた、パク・シフssiの演技力の高さに感動しました^^vポチ☆
2012/5/31(木) 午後 3:06
onaさん、アンニョン♪
ラストまでご視聴、お疲れ様でした^^
本当、心に残る質の高いドラマだったと思います♪
私の拙い記事を読んで下さり、こちらこそありがとうございました。
「悲恋であって悲恋でない」
それを意識した上で観るほうが、よりラストの感動が深くなるように思えて。。ハッピーエンドで終わったからこそ、このドラマの質がより高められたな〜と感じています。
そんな思いを必死にまとめたこの記事ですが、共感くださったようで本当に嬉しいです!
ラストのスンユの表情、よかったですよね〜^^
シフssiご本人もこれまでの役者としての集大成、と仰っているように、体当たり演技で見事に難しい役を演じ切りましたね。この名演をNHK放映でより沢山の方が観て感動してくださると思うと、今から私の胸も高鳴ってしまいます♪
2012/5/31(木) 午後 9:46
NHKで放送された王女の男が、本日終わりました。その前に、韓国版DVDで見終わっていたのですが、とても印象に残るラストで、私も、とても気にいっており、感動し、涙しました。復讐の心を持ち続けている事は、スンユにとっても、耐え難い苦しみだったでしょう。私も、やはり、あの終わり方しか、なかったのではと思えました。朝鮮版ロミオとジュリエットという事でしたが、もっと大切なものを教えてくれたドラマのように思え、忘れられない物語です。
[ meeru ]
2012/12/17(月) 午前 2:05
こんにちは。
NHKでの放送、ついに終わってしまいました。
最後の数回は足早すぎて少し物足りない感じで残念でした、、、
ですが最終回はいっぱい泣いてしまいました。
年をとりすぎた感のある首陽の、最後の様子にじーんときました。
本当にこんなことがあったら、心温まるなって。
来週はもうないなんてチョット寂しい、くらい思い入れたドラマになりましたが、それもこちらのブログで復習?できたり、補講(カットもけっこうありましたので)を受けたり(笑)したおかげかと☆
本当にありがとうございます。私、kiokioさんの書き方がすごく好きです(*^^*)↑こんなにスンユのこと考えている方、なかなかいらっしゃらないですし。スンユ愛されてますね☆
[ k ]
2012/12/17(月) 午後 1:15
meeruさま、はじめまして。
ご訪問にコメント、ありがとうございました。
韓国版、ご視聴済みなのですね。私もラストはとても気に入っているので同じ想いの方のご感想、嬉しく拝見しました(#^.^#)
>朝鮮版ロミオとジュリエットという事でしたが、もっと大切なものを教えてくれたドラマのように思え
おっしゃる通りです。大きな意味での人間愛とでもいうべき、大切なものをたくさん伝えようとしているようなラストでしたね。
忘れられないドラマ、多くの方にとってそんなドラマとなったらいいな〜と、一ファンとして心から願っています^^
2012/12/18(火) 午後 10:58
kさん、こんばんは〜。
ついに終わってしまったんですね。しばらく、余韻から抜け出せないのでは。。私がそうでしたので^^
そうなんです。終盤はちょっと走ってしまってもったいない感じでしたね。24話にこだわらず、もう少し延長してじっくり描いてほしかったというのが本音ですが、それでも感動的な余韻の残るラスト、しっかりまとめてありましたね。
首陽、年取りすぎですよね〜(笑)色々な罪の意識や心労が急激に年齢に出てしまったのでしょうね。
あらすじを書きながら、スンユやセリョンの心情を一生懸命に追って、なんとか役者さんたちや演出家さんが描きたかった物語の奥の奥まで汲み取れたら、という思いで記事を書いていました。
やっぱり私には、物語のもとになった記録が残っていた、その事実自体がすでに大きな感動で、そこからこんなにもこのドラマにのめりこんでしまったんだと思います。
それが復習(#^.^#)や補講(#^.^#)なんてお役に立てたなんて、とてもとてもうれしいです!
こちらこそ、つたない文章に最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました<m(__)m>
2012/12/18(火) 午後 11:08
おはようございます〜。
いつも詳しい解説ありがとうございます。
感性が似ているのかな?そうそう・・と思いながら拝読。
私はまだ観終わったばかりで、心の整理が追いついておらず多くは語れませんが・・(笑)
まさに、そうなんだと思います。
二人だけが生き延びて・・というご意見も拝見しましたが、
そう思わせない流れにちゃんとなっていたような・・?と思うの。
まぁ、それまでのゆっくり丁寧に重たく描かれた流れからすると、軽くさらり・・な感は否めませんが。
でも・・kiokioさんのこの日記を見て、随分すっきり!
あのスンユの姿はまさに、生き残るための代償、生き延びるにあたって困難を強いられる・・そういうことだったんだなと思いました。
来週、再来週と2回にわたって総集編の放送がありますが・・
どんな感じにまとめられるんでしょう?
またドキドキしながら見たいと思います。
2012/12/19(水) 午前 10:30
サンシルさん、こんばんは〜。
視聴お疲れ様でした^^サンシルさんも王女の世界をたっぷり堪能なさったようでとても嬉しいです(#^.^#)
そしてこの記事にも共感くださったんですね。
生き延びるための代償。それを払った上で人間としての幸せを掴むことができたんですものね。
そうそう、二人が幸せになってこそのドラマだったし、ちゃんとそういう流れになってましたよね。
そもそも監督さん自ら、幸せや希望を感じられるようなメッセージ性を持たせたいと企画意図ではっきり言ってらっしゃいますし。
ラストは出演者もスタッフも全員一致で選んだものだったそうです。そういう想いがたくさん伝わってくるようなエンディングだったと思います♪
2012/12/20(木) 午後 11:24
ところでBS版はやっぱりカットがひどかったようで。。
私は第一話の冒頭カットに大ショックでした。あれで随分このドラマの導入としての印象が変わってしまったとものすごく残念でした。
総集編もやっぱりカット版のでしょうね〜〜。
サンシルさんには、いつか機会があったらカットのないのを観て頂きたいです^^
年末までどっぷり王女ワールドに浸れそうですね♪私もきっちり視聴してこの1年、王女で始まり王女で終わって締めくくりたいとと思います^m^
2012/12/20(木) 午後 11:26
kiokioさん
パク・シフさん素敵ですね。
「自分と首陽どちらが死んでも妻は不幸になる」
の答えは「スンユの失明」なんですね。
成る程。
シフさんの俳優としてのイメ−ジも考えこういう演出に
したのではと。お見事です。
仰るとおりちょっと早やあしでしたが、kiokioさんの情熱あふれる
解説のおかげで(ドラマより感激しました)納得です。
以前「王と妃」観ました。前半がこのドラマの部分ですが
ここでは少ない描写でしたが慈愛にあふれる王后の決断と配慮、援助がセリョン家族を見守っていたのでしょうね。
ところで、ムン・チェウォンさんのでている最近の映画「神弓」
がもうリリ−スされていたのでレンタル視聴しました。
セリョンとダブりましたが良かったです。
[ harisson ]
2012/12/23(日) 午後 2:26
herissonさん、いつもご訪問ありがとうございます。
シフ氏のスンユ、見事でしたね。
あらすじ書きのため丁寧にスンユはじめ登場人物の心情を追っていた結果、こんなに熱意のこもった文章になってしまいました。
賛否両論ありのエンディングではありましたが、スタッフ一同が考えたこのラスト、とてもよかったと思います^^
感激頂けたなんて、、本当にありがとうございます(#^.^#)
2012/12/23(日) 午後 11:16
「王と妃」では史実通りに細かに、多くの関係者をしっかり交えて描いていましたね。
私も慈愛あふれる王后さま、とても印象に残っています。演じた女優さんも穏やかで美しく菩薩の化身のような方でした。演出の違いはあっても夫に従うばかりではなく、子供たちや甥、端宗のことを本当に心にかけていて苦言を呈する勇気も持っているところは今作とも共通していますね。記録通りに、娘を死んだことにして夫の前から逃がしたというのも、あの王后さまならばできたかもしれないと思います。
ところで「神弓」リリース早いですね!セリョンとダブるのですか。
王女のあとすぐに撮影に入った映画でしたよね。どんな風に凛々しく頑張ってらっしゃるのか。。まだ視聴できる予定はありませんが楽しみに待ちたいと思います^^
2012/12/23(日) 午後 11:18
おっは〜、kiokio媽媽
昨日、総集編の後編が放送されていたのですが見逃してしまったので、年明けの再放送を見ることとします。
http://www9.nhk.or.jp/kaigai/oujo/index.html
宜しかったら、どうぞ
[ kaz*sa*it*uma*a ]
2012/12/31(月) 午前 10:52