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では、まず一言! 「愛してる」 あはは!こんな言葉は聞かない方が良かったかも。何故なら… さて、本題。 愛は、叶わなくてはならないものです。 愛し合うものが強く求めあい、求めるものが得られないときには、苦悩します。 人の根源的な心の有り様は《愛》かも知れません。 恋は、求めて慕う気持で一方的な憧れです。 恋は、叶わなくても《恋》として存在し続け、真夏の太陽の様に激しく燃え上がるかと思えば、朝霧の様に知らぬ間に消えてしまいます。 ゲーテの随想みたいになりました。 愛は《苦》です。 愛は求めても求めても絶対に癒されない喉の渇きに例えられます。 愛は渇仰と同義語だと、仏教は言うのです。 尽きることのない根源的な欲望が《愛》なのです。愛は必ず対価を求め、決して対価に満たされる事なく、渇仰し続け、拘りを止めることは有りません。 愛は一時も満たされる事なく、煩悩の業火で燃え上がり、燃え続けます。 愛は、《コダワリ》とワンセットなのです。 愛と言う言葉をコダワリと置き換えてみたら解ります。 「僕は彼女を愛している→僕は彼女にコダワッている」 「家族を愛している→家族にコダワッている」 「阪神タイガースを愛している→阪神タイガースにコダワッている」 愛は欲望の営みです。 また、愛はその炎が消えるときには、激しい苦を伴います。 欲望が苦を産み、そして欲望が去るときに、新たな苦を産み直し、苦の連鎖は尽きることがありません。 これを、生老病死の四苦に続く八苦のひとつ 《愛別離苦》 と言います。 次回は《恋》について語ります。 では一言。 「愛している」 人間は、それが苦と知っていても、愛するしかない哀しい存在なのですね。 |

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ポチだポチ!
渇愛だね。
2010/4/29(木) 午前 9:14
先生お疲れさまでした。今回で第5回目だったんですね←またまた嫌味

《愛》にも色々ありますよね。
私は子供を産んで、初めて「愛しい」という感情を知りました。
子供は自分の命を捨てる事ができる唯一無二の存在です。
子供からは何も望みません。
対価なんて考えた事もありません。
反抗期の息子は私に対し「うざいんじゃ」なんて言ったりしますが、愛しい気持は不変です。
今回の《愛編》にあるような、対価を求めたり、満たされない心の渇きや欲望に苦しむのは、むしろ《恋》の方では?
次回の《恋編》を楽しみにしています。
先生、大作でしたよ
ありがとうごさいましたm(_ _)m
2010/4/29(木) 午前 11:38 [ おT ]
仏陀は、愛は煩悩である、つまり悪と言いました。
私は、子供の健康のためにジャコを沢山食べさせました。
しかし、ジャコに親があり兄弟があり、私に食べられなかったら子供にも恵まれただろうとは考えず、旨いとか不味とか平気で言えるほど愚かなのです。
2010/4/29(木) 午後 0:26 [ 花月 真 ]
もうお亡くなりになりましたが、私は早老症のアシュリーちゃんを知ったとき「いとおしい」と思いました。会って抱きしめたい、と。彼女の生きる姿が、本当に健気で大好きでした。彼女の本は、今も大切に読んでいます。これって、ひとつの愛の形ですよね?
そして、愛するゆえに悩むのでしょうね、人間って。
私は、原因が分かると納得でき次へ進むことができます。愛する人のことは、もっと深く、もっと近くに感じていたい、と思います。その人が喜んでくれるのが嬉しくって、頑張っちゃいますね。そして、知らぬ間に昨日よりも貪欲になっている自分が存在します。
しかし、私は凡人ですから、欲を持たないと生きる気力が湧いてこないのです。ですから、煩悩を受け入れて生活しています。・・・ちなみに、ロッカー番号などはできることなら「108」を選択しています。はい、煩悩の数です!
2010/4/29(木) 午後 5:41 [ A.O. ]
私は誰も愛していません。
誰も愛せないから、周りにも愛はありません。
利用して、利用される。
そんな関係みたい。
2010/4/29(木) 午後 8:34 [ 快晴なり ]
仏教では、愛は執着のことです。
また、煩悩や欲望とも言います。
煩悩は生きている限り決して消えることのない業火であると言われます。
愛はない、と言うその心が煩悩であると経典に有ります。
田があれば田があることに憂い、田がなければ田がないことを憂う。
これが煩悩と言われ欲望と言われ執着と言われ愛といわれるものの有り様と仏陀は説きました。。
2010/4/30(金) 午前 9:14 [ 花月 真 ]
ピンポン、ピンポン!
2010/4/30(金) 午前 9:27
仏教では《愛は悪》なんですね。
キリスト教では《愛は良い事》ですよね。
《愛は悪》は意味が深すぎて、悲しいかな私には理解できません(;_;)
2010/4/30(金) 午後 0:57 [ おT ]
おTさま
そうなのです。仏教では≪愛≫は本来的に良い意味ではないのです。
それそれ、それが正解です。
キリスト教での愛は、神が与え、無条件で、平等・・・など、良い意味しかないと思います・・・詳しくないのです。
仏教では、悪い意味がほとんどです。
2010/4/30(金) 午後 1:59 [ 花月 真 ]