退屈なウタウタイ

《二度とない人生だから》 オペラ歌手・オテラ歌手(僧侶)花月真のblog(^o^)

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イキナリ第6回。
しかも、テーマは恋ならぬ、煩悩。

親鸞は
《いまだ見ざる安養の浄土は恋しからず候》
と言いました。
僕はこの言葉のバラドックスに強い感銘を受けます。

《悟りを得て仏に成りたいとは全く思わない。それよりも、酒や女や金儲けやらにとらわれて、出来るならば面白可笑しく人生を過ごしたい》
と言う意味です。
しかし、抑えはシッカリ有ります。
《そう思わせるのも煩悩の仕業。ますます自力のハカライを捨てて、仏に全てを任せたい》
と続きます。
さすが、親鸞(^o^)

しかし僕は、
《煩悩、大好きです。で、やめません。人間は煩悩無しには生きて行けません。でも、死んだら、仏様!
地獄でなくて極楽に行かせてください。南無阿弥陀仏》
です。
煩悩チャンピオン、花月真。

煩悩は悟りの妨げで、あらゆる苦の理由です。
しかし、人は決して煩悩を避けられない。
魚や動物を殺してしか生きられない人間は、それを罪とも思わず、人や家族にも奨める盲目の大悪人。
その愚かな私が、煩悩を肯定しながらも如何に生きて如何に死ぬかが、仏教の課題です。
親鸞の答えは
《自力のハカライを捨てて、他力に走れ》
でした。

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愛と恋…今回のテーマは愛です。
では、まず一言!

「愛してる」

あはは!こんな言葉は聞かない方が良かったかも。何故なら…

さて、本題。
愛は、叶わなくてはならないものです。
愛し合うものが強く求めあい、求めるものが得られないときには、苦悩します。
人の根源的な心の有り様は《愛》かも知れません。

恋は、求めて慕う気持で一方的な憧れです。
恋は、叶わなくても《恋》として存在し続け、真夏の太陽の様に激しく燃え上がるかと思えば、朝霧の様に知らぬ間に消えてしまいます。

ゲーテの随想みたいになりました。

愛は《苦》です。
愛は求めても求めても絶対に癒されない喉の渇きに例えられます。
愛は渇仰と同義語だと、仏教は言うのです。
尽きることのない根源的な欲望が《愛》なのです。愛は必ず対価を求め、決して対価に満たされる事なく、渇仰し続け、拘りを止めることは有りません。
愛は一時も満たされる事なく、煩悩の業火で燃え上がり、燃え続けます。
愛は、《コダワリ》とワンセットなのです。
愛と言う言葉をコダワリと置き換えてみたら解ります。

「僕は彼女を愛している→僕は彼女にコダワッている」
「家族を愛している→家族にコダワッている」
「阪神タイガースを愛している→阪神タイガースにコダワッている」
愛は欲望の営みです。
また、愛はその炎が消えるときには、激しい苦を伴います。
欲望が苦を産み、そして欲望が去るときに、新たな苦を産み直し、苦の連鎖は尽きることがありません。
これを、生老病死の四苦に続く八苦のひとつ
《愛別離苦》

と言います。
次回は《恋》について語ります。

では一言。

「愛している」

人間は、それが苦と知っていても、愛するしかない哀しい存在なのですね。

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