読書まみむ〜メモ

単なる読書感想文、ただそれだけ、夏休みの宿題なのねン!

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 ★題名 『絶望の移民史――満州に送られた被差別部落の記録』
 ★著者 高橋幸春
 ★発行 毎日新聞社
 ★発刊 1995年10月25日
 15年戦争という時、それは日清戦争から始まり、アジア侵略は朝鮮併合と満州事変から始まる。(違ったかな?……追記:年号を数えれば分かること、15年戦争は満州事変から太平洋戦争までを意味する)

 満州については書いておきたいことが多いのだが、重すぎる、悲惨すぎる、酷すぎる。それでも、集めた地方での自費出版やらをまとめておかなければっと腰を上げたら見つからない。捨てるはずがないのだが、どこを探しても見当たらない。しょうがないから、手元にある本をレビューしながら考えをメモしておこう。

絶望の移民史」(高橋幸春)という印象的なタイトルであり、サブに「満州に送られた被差別部落の記録」とある。一見すると、部落問題に特化した重苦しい書籍に思えるが、内容は日本の「棄民政策」の研究であり、その象徴として被差別部落を扱ったのではないか。
 満州に関しての書籍は少なく、思い出す限りではフィクションの形をとった「邪宗門」(高橋和巳)などがその実体を描き出していた。戦後50年、60年を過ぎ、ようやく表出化し始めた感があるが、以前にも地方出版などで体験記が散見でき、悲惨な実体を垣間見ることができた。

 日本から最初に海外へ移民が始まったのは、明治元年にハワイやグアムに渡った「元年者」とされる。その後、現地での虐待などから政府は移民の連れ戻し措置を取り、移民には消極的となる。再度、明治16年にハワイ移民を開始したが、その背景には農村の崩壊があった。
 明治16年から23年までに地租滞納で強制処分を受けた農民は36万7000人、17年から19年までに全耕地の7分の1が負債による抵当流れとなった。農村から都会への人口流出が進んだが、それを受け入れるだけ都市の近代化は進んでいない。ハワイへの第1回官約移民の申込みは2万8000人にも達するほどであった。
 ハワイへの移民は北米にも拡大し、明治27年に移民送り出し業務は官営から民営に移され、1900年代には移民会社は60社に増加している。当時の移民は、永住を前提としない「出稼ぎ」であり、稼いだお金で「故郷に錦を飾る」ものであった。
 米国への移民は、現地での排日運動もあり明治40年(1907年)に制限されることになる。直前の駆け込み移民は、39年1万4000人、40年3万8000人、41年でも1万6000人が米国に渡った。
 米国の次に移民の対象となったのがブラジルであり、政府のお墨付きの形で移民募集案内が行われ、「3人家族で1日3円60銭の貯蓄が可能」と宣伝された。当時は、小学校教師の初任給10〜13円、銀行員初任給35円、公務員初任給50円、日雇い労働者日給50銭。
 そのブラジルもナショナリズム政策から1941年に日本人の受け入れを中止するのだが、次に満州という新たな移民候補地が浮かびあがってきた。

 
 1931年(昭和6年)9月18日に満州事変が勃発、早くもその翌年から「試験移民」が始まり35年まで続いた。37年からは本格的な大量移民が開始され、45年の敗戦までに27万人が満州に移民として送られた。
 国策としての満州移民は、関東軍、拓務省、満州国政府によって計画実行された。32年に発表された関東軍の「移民方策集」「日本人移民案要綱」「屯田兵制移民要綱」を発表。後者の2計画は、それぞれ方策案の中の「普通移民」と「屯田兵制移民」の項目の具体化政策である。
 3計画発表の半年後にまとめられた「満州における移民に関する要綱案」には、
「日本人移民は日本の現実的勢力を満州国内に扶植し日満両国国防の充実、満州国治安の維持並日本民族の指導による極東文化の大成を図るを以って主眼とす」
とあり、「移民は満州を日本の勢力下に置くためのものであり、ソ連に対する国防の任務をも担い、なおかつ満州の治安維持、日本文化を構築するものと規定されていた」(本文より)ことになる。
 さらに、当初の「普通移民」主眼の計画から「特別農業移民」に重点が移行している。「特別農業移民は在郷軍人を主体として警備上屯田兵制に準ずる組織を有し充分なる自衛力具備するものを謂い、必要なる地方に之を設定し内地移民の根幹たらしむ」とは、武装移民のことであり、関東軍の支配下にある民間軍隊であることをも意味している。

 満州移民の動きは早かった。拓務省は、32年3月に第1回満州移民案を閣議に諮り、第2回案では拒否にあったが調査に関する予算案を獲得、第3回移民案は8月に議会を通過した。9月1日の募集通知と5日の締め切り、約2週間の訓練を経て10月に第1次試験移民423人が出発。この異常なほどの迅速さは何を意味しているのだろうか。
 翌33年には第2次試験移民455人が渡満したが、移民先の依蘭地方は治安が悪く、匪賊(抗日勢力)の襲撃が相次いだ。その背景には土地の収奪がある。移民1戸当たりの土地配分は「最小限10町歩」とされたが、それは中国農民からの土地買収という名の収奪により可能となったものである。


※長くなったので、コチラに続く。
 

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はい・・・。続きへ・・・進みます。

2005/9/22(木) 午後 1:03 tokuti00000

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こんにちは。
日清戦争は重要なターニングポイントと思っています。

2008/6/7(土) 午後 7:06 [ kemukemu ]

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転載します

2009/9/18(金) 午後 11:28 [ Puppy ♂ ]

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