★題名 『ヒマラヤの叛乱』 ★著者 柘植久慶 ★発行 実業之日本社(ジョイ・ノベルス) ★発刊 2003年06月25日現実を知らずに活字の世界だけなのだが、「傭兵」に興味を持ち続けてきた。 古代ローマ帝国の頃だったかの「雇われ兵隊」も、暴れ者やならず者の集まりかも知れないが何か自由が感じられる。古代中国の墨子も傭兵の一種だろうが、そこには逆に「反戦」の思想がある。SFでも扱われたグルカ兵なんてのは、英国のインド支配の苛酷さが生んだ「出稼ぎ兵隊」だろうな、これは革命後のキューバやシリアと共通する悲哀が滲む。フランスの「外人部隊」は近代の合理性だろう、自国民に銃を持たせるより安く強力な国家暴力が可能となる。 ベトナム戦争では、グリーンカードを餌として外国人(日本人も)が兵隊として戦った。これは、太平洋戦争で人質を取られた日系部隊を連想させ、米国流プラグマティズムの厭らしさで共通する。そして、ビアフラやローデシアなどアフリカ大陸での「傭兵ビジネス」がある。残虐だという非難とは別に、ミステリー小説でも主人公となるように男のロマンがあったようだ。 つまり、傭兵というのは「愛国心」なんかとは全然関係なく、戦うという本能を満足させる世界であり、男同士の友情や、戦争法や軍法というルールがある世界での「自由」や「ロマン」の表れなのだ……こういう論には組したくないというのが本音である。 いかにルールが現存し、スマートに近代兵器で「綺麗な戦争」をしていると言っても、そこには「恐怖」に操られた『人間の闇』がある。まあね、神の正義や愛国心などでコーティングした暴虐非道よりも、金や市民権など剥き出しの餌が見えるだけマトモとも言える。少なくとも、紙(小説、フィクション)の世界で空想する分には被害は発生しない。 傭兵経験のある作家、という謳い文句で登場した著者は軍隊モノを書かせれば、リアリティと安定感のある作品を生み出しているだろう。本書では、もろに傭兵の私企業が登場し、ネパールのテロリスト集団に誘拐された日本人夫婦を救出する。支払いを拒んだ夫婦の家族たちを、見せしめのために殺害する。ストーリーはただそれだけ。
救出の際の傭兵チームのチームワークやプロらしい手際に、やや関心はする。濡れ場も2箇所あるけど、マッチョなだけで興奮はしない。著者近影を見る限り、ストレートそのもの、船乗りと兵隊の古典的イメージだな。あっさりとプロ(仕事)に徹してるところは、描きようでハドボイドドになるのだが。 さりげない記述に、軍事知識が身に付いているのを思わせるが、はたして本当なのだろうか。 「300フィートでいいでしょうか」 「それで頼む」 操縦士としては90メートル以下を飛行したくない。プロペラ機は波を叩く危険性があったからである。日本海軍の操縦士たちもまた、50メートル以下の飛行を禁止されていた。 |
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