★題名 『新宿馬鹿物語』 ★著者 半村良 ★発行 新潮社 ★発刊 1980年02月25日拝啓 半村先生 殿 上の書籍表紙を見て、なんだコイツは本を買わずに図書館で借りただけか、などと思わんでください。普通の読者が1人前ならば、小生は「いっちょ半」か「にちょ半」の「大盛り」読者でございます。新刊で買い、外で読み捨て用に買うなど何度も買ってしまい、家に置いておくと邪魔になると家人から処分され、またもや買ってしまうほど貴殿のファンなのでございます。 ふと思い立ち、図書館の検索で探して予約し、雨の中を傘も持たずに雨やどりしつつ、濡れないようにスーパーの袋で抱え込み、持ち帰った後はベッドにもぐりこみ至福のひと時。懐かしい仙ちゃんとの面会も何度になるのでしょうか、差し入れなんぞも(自分宛てに)しておりまする。やはり、煎餅なんぞよりスモークジャーキーでシーバスが似合う世界なんですな。 酒場での地口や洒落も懐かしく、70年代の新宿が蘇ってきます。さすがに内容を忘れてしまったらしく、銀座の場面がないことに気づきました。このシリーズでは新宿だけが舞台だったようで、80年代の多国籍化し始めた様子も皆無でした。だからこそ、回顧と懐古の世界が気持ちよく味わえたようです。 敬具 と言うことで、本書は直木賞を受賞した「雨やどり」から始まる「新宿馬鹿物語」の2弾目、あとがきでは「完結」と宣言している。さらに、川口松太郎の「人情馬鹿物語」にインスパイアされた執筆であったとも述べている。 初出は以下の通りだが、最初の「雨やどり」に呼応した形で最後は「雨あがり」とし、主人公の仙田は引退したかに見える。ところがギッチョンチョン、「たそがれ酒場」で再登場してるから見に行くといい。本書の見所は仙ちゃんの新婚いちゃいちゃぶりなのだが、その後日談もある。 ※初出一覧 「濡れ鼠」(オール讀物、昭和50年12月号) 「秋風横丁」(週刊小説、昭和51年1月23日号) 「朝の雀」(オール讀物、昭和51年4月号) 「店びらき」(オール讀物、昭和51年6月号) 「あたらしい夜」(オール讀物、昭和51年8月号) 「町の谺」(オール讀物、昭和51年11月号) 「雨あがり」(オール讀物、昭和51年12月号) 半村と似た作家となると、なぜか山口瞳が連想される。どちらも水商売を愛し、カウンターの内(お店)と外(客)と立場は違えども、人同士のつながりをシッカリと見極めている。それは浅草の芸人を愛することでも共通し、山口の場合は将棋の棋士などプロへの理解がある。 半村は伝統芸能への傾斜は少なかったようだが、円蔵との絡みだろう、落語家への理解は深かったようだ。そういえば、文士気取りとは別物で両者とも着物(和服)を愛好してた点でも似ている。 しかし、半村が山口を大きく凌ぐのは、オミズの世界の描写にある。会話の「生きの良さ」は「粋の良さ」となり、短い言葉に深い余韻が残るようだ。 「嫌よ。あたしはずっと働くわ。三食昼寝付きになりたいから結婚するんじゃないんですからね」 「じゃ、なぜ結婚するんだよ」 「あなたが好きだから…。やだ、変なこと言わせないで。人がうっかりしてるとすぐつけ込むんだから」 「変なことだなんて言いやがったな」 「そんな意味で言ったんじゃないわよ」 「どうせ俺は変な野郎だよ」 「じゃ、あたしは変な女」 二人は笑い合った。二人ともうきうきしているのだった。 「隙を見て逃げ出すんだぞ」 「うん」 京子は横目でママの動きを追いながら頷いた。 まるで鬼ごっこのようだった。二人はブービーのママに気付かれぬよう、立て込みはじめたその店から抜け出して外へ出た。席をふさがないようにするのが客で行った側の心得だったし、それを簡単に逃がさないようにするのが開店披露をする側の心意気なのだった。水商売にある悲しみも見据えているし、著者の鬱屈なのか諦念なのか、嘆きに近い思いも書かれている。 雀の死骸とホステスの老いたのは見たことがない。……夜の街で女たちが自嘲をこめて言う、ありふれた言葉を思い出していた。恋も夢もやがてあきらめ、みなそれなりの男に引き取られて行くのだ。 「なあ仙ちゃん」 角田がしんみりと言う。 「はい」 「君は商売もうまいし、みんなにも好かれてる。でも、いつも程々でいようとしている。それが君のいいところでもあるんだが、男はもっと上を向いて生きて行かなきゃいけないよ。自分で自分の芽を摘むことはない。そうだろ、その気になれば、君はもっともっとでかくなれる筈だ。みんなが京子と結婚させたがったのはなぜだか判るかい」 「さあ……」 「京子は今のように、程を知らずに突っ張っていく性分だ。決しておとなしい子じゃない。そういう子を君の女房にしたら、君はもっとやる気を起こすだろうと思ったからなんだぞ。まだ終点を決めていい年じゃなかろう。もっと欲を出してくれよな。(後略)」 人情の本質、あるいは水商売での「人情」について語っている。人のいい奴が「なるたけ恩を掛けずに面倒見てやろう」とする。しかし、「困った奴がもしも本気で相手によっかかりに行ったら、こいつはもうぶちこわし」となるだけで、本当の人情話というのは―― 困ってるほうが、お志は有難うございますがと言って、人の世話にならずにコツコツと一からやり直すことさ。そしといて、なんとか立ち直れたら、あの時は本当に有難うございましたおかげさまで、って、安い手土産のひとつもぶらさげて挨拶に来ることだ。本当に判ってる奴同士だったらきっとそうなる。
半村の世界では、長いコメントに著者の素顔が出てくることが多い。そこには、現実の世界での辛い経験が裏打ちされてるように感じる。まあね、嘘の上手い作家だから、平気で下向いてベロを出してることもありそうだけど。でもね、これって叫びに聞こえてしまう。
「口だけじゃない、気持ちだけさ。世の中は厳しいよ。気持ちだけだって有難いんだ」 |
全体表示
[ リスト ]





はじめまして、ほんとうに通りすがりの者です。
新宿馬鹿物語の完結として「たそがれ酒場」のあることを知らず、昨日、ブックオフで見つけて、それならば他にもシリーズ作品があるのかな?と検索しておりまして、貴サイトに出合いました。
私も家人の白い目と戦い本をため込んでおります。6畳の部屋を一畳にして、抵抗を続けております。
棄てられないもの。
ところで、半村良さんは、山口瞳さんとも似ておりますが、その人の幅を見たとき、私は、池波正太郎さんと似た臭いを感じます。
ありがとうございました。
2012/6/9(土) 午後 3:52 [ ama*ojy*vo*ich ]