★題名 『大山康晴の晩節」 ★著者 河口俊彦 ★発行 飛鳥新社 ★発刊 2003年03月01日将棋を覚えたのは小学校に上がる前だったと思う。当時は夕食後に路地の縁台で大人の対局(あははは、ヘボでも対局)があり、見よう見まねで駒の動かし方ぐらいは知ることができた。今ではパソコンや携帯ゲームで覚え、NETで対局するのが当たり前らしい。 ファミコンの時代から将棋ソフトを買い求め、いろいろ試してみたが面白くない。人間相手とは違ってワンパターンの対応しかなくて、「何でそんな指し手が?」というのが多い。最近のヤツはさすがに高度化してシッカリした手を指してくる。となると、逆に「見落とし」や緩手が皆無なもんだから、勝負のアヤがなくて(つまり、劣勢になると確実に勝てないから)つまんない。 つまりだ、割と早くに将棋を覚え、それなりに力をつけて高校生の頃には賭け将棋(ビリヤードの待ち時間などで一局1000円のレートだった)をしたりして、会社勤めをしてからはアマ四段に相手をしてもらい都の職域戦なんかに出たりしてた。一応、ベンチャラ半分で「アマ二段の実力はある」とも言われてた。 そんな実力レベルでしかないが、山口瞳の将棋モノなんかを読んで棋士の世界を知り、身近のアマ四段や五段を通じて将棋連盟と知り合い、奨励会の連中やアマ強豪の集まる新宿の飲み屋なんかに行ってたりしてた。つまりだ、実力はないくせに「気分だけは棋士」というスノッブにしか過ぎなかった。 でもね、武道館での職域戦なんかで、大山、中原、米長といった連中を垣間見たり、アマ強豪を相手に感想戦を「これも一局」なんてやりあったり、居酒屋レベルなんだけど若いのを相手にヤマグチしてたのね。「ヤマグチする」ってのは、山口瞳の「棋士は恵まれてない。特に若手は、厳しい生存競争なのに生活が成り立たない」てな考えから、まあ、旦那(パトロン)することを意味するんだけど、かなり勘定を持った記憶がある。 そういう時代に棋士を知り、接触を持ったことから、大山名人に対する印象は良くなかった。本書の著者である河口四段(著者略歴では六段だって!)も、遠まわしながらも批判的だったように覚えている。だもんだから、河口俊彦の大山名人に関する著述となると、これは読むしかない。 大山康晴は、昭和27年に名人位に就き、通算で18期の記録保持者である。さらに50歳を過ぎても現役を続け、平成2年に文化功労者として表彰され、現役のままに平成4年69歳で物故した。棋士としての戦績だけでなく、将棋連盟の会長として東京の連盟会館の改築(だったか?)と関西の将棋会館建設など、指導者と経営者しても功績は大きかった。 若い頃の大山批判も、いろいろと内実を知ることで人間評価は変わり、将棋そのものの強さを(幾らかだけども)理解できたことで印象批評は霧散する。さらに高齢になっても元気に精力的に対戦し、ガンとの闘病で見せた生命力には感嘆するしかない。 河口の筆致もよく似た感じであり、大山の棋士履歴を記していく中に「もっと評価するべきだった」という思いが多々見受けられたように思う。特に、大山将棋に対する再評価ともいうべき「大山将棋の解説」は優れている。やはり棋力のある人なのだ、棋譜を細かく解析してくれたことに感謝したいね。 てことで、本書は優れた大山「評伝」であり内輪ネタも満載してるし棋譜も豊富だし読みでがあるんだけど、これとは別に「将棋界奇々快々」(NHK出版)から抜粋しておくことにする。 ともかく、問題は書く側に、プロの将棋はこんなにおもしろいのですよとか、この手を覚えれば強くなりますよとか、この人はこんなに変わってますよとか、読者に伝えようとする熱意がないことである。だから、先手7六歩では2六歩と突き、8四歩、2五歩、8五歩も一局の将棋、てな、いわゆる棋譜にテニヲハの観戦記が氾濫することになる。
これも一局、という言い回しは、囲碁将棋界特有のもの。感じは分かるものの、意味不明で、誤解を招きかねない。だいぶ昔、五味康祐さんがこれにかみついて「やり直しが利かないのがプロの将棋だろう。それを、これも一局だった、とは何事」と怒ったことがある。
五味さんはちょっと意味を取り違えていて、プロが言わんとしているのは「こういう指し方もあった」である。深遠に聞こえるが、内容はないに等しい。 隠語といえば「ゼツ」というのもある。これは「絶対に詰まない形」を詰めたもので、「イビアナ(居飛車穴熊)」と同じ。もっとわかりにくいのでは「腹に乗る」というのもある。これは、桂の頭に玉が出て、王手がかからない形のことを言い、「ゼツ」と似た意味だ。
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