読書まみむ〜メモ

単なる読書感想文、ただそれだけ、夏休みの宿題なのねン!

国産ノベル

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全49ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

イメージ 1

★題名 『鬼平犯科帳 20』
★著者 池波正太郎
★発行 文藝春秋(文春文庫)
★発刊 1991年04月10日
 あははは、前巻に続き細川峯太郎の災難が「二度ある事は」で書かれている。今回は、事前にちゃんと長谷川平蔵に断りを入れて墓参りすることになるのだが、またもや事件に巻き込まれ(?)、失態を見せることになる。行かなくてもいいところまで足を伸ばし、見てみぬふりせずに盗賊を追っかけるから、しなくてもいい失態をしてしまうのだ。

(さて、どうしたものか……?)
 細川は、今日のことを長官・長谷川平蔵へ報告していない。
 瀬川の友次郎一件の小間物屋は、お長の茶店のとなりにある。
 今日のことを告げれば、自分が、お長の茶店へ近づいたことを平蔵にさとられてしまう。それが怖い。
 報告しようとして、しきれなかった。
 だが、報告をしなければ、見張り所を設けることもできぬ。
 いまの細川峯太郎は、平蔵のお供をすることもなく、単身で深川方面の見廻りを受けもっていた。
(どうしよう。おもいきって、申しあげようか……いや、そうしなくてはならぬ。たとえ、お叱りを受けようとも、そうするのが、おれのつとめだが、なれど怖い。あの長谷川平蔵に睨まれるかと思うと、寒気がしてくる……)

 不審な細川の態度から気づいた鬼平は、盗賊どもをひっとらえ、縛り付けた後に役宅に運び込む。そこに細川を呼び出し、荷車の中から盗賊を引きずり出す。

 中から転げ落ちたのは、手足を縛られた三雲の利八以下5人の盗賊どもである。
 細川峯太郎は、目を白黒させ、五体をふるわせて言葉もない。
 その細川を、じろりと睨んだ長谷川平蔵が、
「細川、ついてまいれ……」
 と、いった。
 その瞬間、細川峯太郎は意識をうしない、くずれるように敷石の上へ倒れ伏してしまった。

 本書で笑ったのはもう1箇所あり、「顔」に書かれた岸井左馬之助をからかう場面なのだが、この転記は省略する。妻の久栄「何が、おもしろいのでございます?」「ま、いやな笑い様をあそばしますこと」「「おやめあそばせ」と再三再四、とどめても言うことを聞かない。平蔵(池波)のユーモアは、加虐的な側面を持っている。平たく言えば……意地悪い。あははは。


※初出:「オール讀物」昭和54年8月号〜10月号、55年2月号〜5月号に連載した七編。単行本は55年6月に刊行。

イメージ 1

★題名 『鬼平犯科帳 19』
★著者 池波正太郎
★発行 文藝春秋(文春文庫)
★発刊 1990年10月10日
 雑に読んではいけないと思うのだが、これだけシリーズが続き、まだ後(残り)があると思うとイッキ読みしてしまう。読んだ後にメモするために再度、部分的に拾い読みするのだが、「丁寧に」読んでいるとは言い難い。
 読んでる最中に付箋(ポストイット)したのは1箇所で、その理由はハッキリしている。ココって前に読んだ覚えがあるのだ。情けないことに、イントロで再読に気づかず「濡れ場」で思い出すのだから、うむ、欲求不満なのかしらん。
 つまり、本書は初読ではなく再読であって、それが何時ごろかは覚えてない。池波に珍しい「濡れ場」記述であり、さすがに時代小説の大御所らしく、時代がかった記述であるから記憶に残ってたようだ。

 石畳の上へ畳を4枚ほど敷き、屏風で囲った中で、おりつは何日もすごしてきたのである。
(ああ……このままでは、気が狂ってしまう……)
 おりつは、ほとんど手入れもせぬ髪の毛を掻きむしった。
 そのとき……。
 切穴の口があき、大きな男の影が団梯子を音もなく下りて来た。
 片眼の浪人だ。
 片眼は、いつものように屏風の内へ入って来て、身を竦めているおりつの背中にまわり、声をかけることもなく両腕をのばしてきた。
 おりつは、もうもがく気力も体力も失っている。
 いつものように、浪人の重い身体がのしかかってくると、目を閉じているより仕方もなかった。
 浪人の手が動きはじめ、おりつの身体から衣類が剥がれてゆく。
 浪人の手が、おりつの乳房を、肌身を嬲りはじめた、
 やがて、片眼の浪人の手が、足が、たくましい身体が凶暴な熱気をはらんできて、ついに、たまりかねたおりつの悲鳴が起こった。

 なぜ「時代がかった」という表現なのかと言うと、やはりジェンダーに規定(制約)されたマッチョイズムに支配されてる感じがあるからだ。別な表現で言うと、男と女の関係(情事)は「支配=被支配」でありSMの色彩が濃くなることにある。
 江戸時代というのは、日本独特の「性に対しておおらかな」気運を儒教という輸入もんの戒律で縛ってた時代であり、「イエ」意識の強い武家階級や農工商の上層部で「(性ではなく)性交」が階級社会の重要な構成要素であったのに対し、下層階級や貧農などの地方社会ではあからさまな「性」や娯楽としての「性交」が認められていた。つまり、フリーセックスの社会があったということだ。
「イエ」意識とは無縁な階級社会では、祭りのような非日常的な時だけでなく、若衆宿といった若者の集まる場所があり、双方の気分がのれば何時でもセックスの機会があった(と読んだ覚えがある)。もちろん子供が生まれることもあるが、「父(てて)なし子」に対する社会的認知もおおらかであった(はずだ)。
 うろ覚えの記述はやめにするとして、時代小説、特に江戸ものを読んでて些かの不満が生じるのはそこにある。つまりだ、吉原や岡場所の存在や営業システムに対してアプリオリに存在肯定しながら、なおかつ家意識の支配する町人社会を是認する書き方(記述)が気に障るのだ。今はともかく、以前は書物だけでなく雑誌や映画たTVなどで江戸時代がステロタイプに描かれ、それをまともに受け止める風潮があった。それは今でも共通するものがあり、単なる「江戸回帰」(懐古趣味)で時代ものを読む輩も多いだろう。根強い時代小説人気というのは、そんな層で支えられているような気がする。

 まあね、エンターテイメント(大衆小説)なんだから、重箱スミやったり大仰に取り組む必要性もないんだけど。同じような構図の逆の展開が、今回の総選挙(解散⇒告示)でも見られ、何か不自然な方向で進んでいるような気もする。結果がどうであれ、「それなりの国民にはそれなりの政治家」だっけか、「それなり」の政権交代となって、未熟な民主主義を露呈することになるだろう。


※初出:「オール讀物」昭和53年12月号〜54年7月号まで連載した六編、単行本は54年12月に刊行。

イメージ 1

★題名 『鬼平犯科帳 18』
★著者 池波正太郎
★発行 文藝春秋(文春文庫)
★発刊 1989年09月10日
 さて、本書では以前と同じ手口で(あははは)、平蔵は「脅し」で部下の身を固めさせた。巻頭の「俄か雨」での話なのだが、鬼平というのは神出鬼没で市中を巡回している。そいでもって底意地が悪いというか、部下の同心の生活を垣間見て腹ン中に仕舞い込み、ここぞという時に利用する。それに、「かまし」も得意で、タイミングのいいブラフが効力を発揮する。

「お前が、これも風流だなぞといいながら、抱いていた女は何処の者じゃ?」
「は……それは、あの、ご、ごん、ごん……」
「何、はっきりと申せ」
「ごん、権之助坂の茶店の女にございます」
「人の女房か?」
「いえ、あの……二年ほど前に、夫と死別れておりまして……」
「莫迦者!!」
「う……」
「盗賊改方の同心が、あのような失態をいたしてすむとおもうか」
「も、申しわけもござ……」
「腹を切れ!!」
「あの、せ、切腹を……?」
「そうじゃ、さぞかし、お前の両親も草葉の陰で悲しむことであろう。この役宅の者たちは呆れ果てることであろう。なれど、せめていさぎよく、腹を切って責任を取れば、いささかの償いにもなろう。さ、腹を切れ。切れ、切れ!!」
「あの……ど、どうしても……?」
「いやか、いやならば妻を迎えるか。伊藤清兵衛のむすめを妻にいたすなら、このことは一切、わしが腹の内におさめておいてやろう。どうじゃ、どうじゃ!!」
 がっくりと、ひれ伏した細川峰太郎が、
「いただきまする、いただきまする」
「伊藤のむすめを妻にいただくと申すのじゃな?」
「は、はい」
 細川峰太郎が、童のごとく、泣きじゃくりはじめた。

 これには後日談があり、巻末の「草雲雀」では結婚した細川が非番の日に墓参に行く。場所は権之助坂の近くであり、そこで指名手配の盗賊を見つけお手柄となる。しかしだ、何故か平蔵に助平心がばれて叱責をくらう。

「おのれは、まだ、あの茶店の女が忘れられぬのか」
「いえ、あの……決して、そのような……」
「では何故、非番の昨日、目黒へまいった?」
「は……父母に墓詣でに、まいったのでございます」
「その帰りに、あの茶店へ立ち寄ろうといたしたのであろう」
 長官は、すべて見とおしている。
 この上の嘘はつけぬ。
 細川は、がっくりと庭へひれ伏した。
「妻を迎えたばかりだというのに、何たることじゃ」
 叱っているのだろうが、平蔵の口調は、いかにも物静かであった。
「お前は忠吾(うさぎ)より、まだ始末が悪い。今日からのお前は、算盤を弾きながら、非番の日の浮気を想うて目尻を下げているわけにはまいらぬのだぞ。わかっているのか?」
「は、はい……」 

 叱責の最後に言われた「いつまでも、子供では困るぞ。早う一人前の男になれ」という言葉に、細川はひれ伏したまま涙する。

 得たいの知れぬ寂寥感が、細川の胸の底から、ひたひたとわきあがってきて、われ知らず泪がこぼれ落ちた。
「もうよい。行け。行け」
 障子の内から、また、長谷川平蔵の声がした。
最後に

イメージ 1

★題名 『鬼平犯科帳 17(鬼火)』
★著者 池波正太郎
★発行 文藝春秋(文春文庫)
★発刊 1988年10月10日
 またもや特別長編なのだ、好みは人それぞれだから一概には言えないが、前回の長編が好評だったので再度の読者サービスとなったのではないだろうか。通常のスタイルも読み切りの事件簿として面白いけれども、アクション場面や脇役の活躍場面や池波ユーモアを読ませるには紙面が足りない。
 観点を替えて言うならば、短編も長編も書ける作家であり、それだけの材料を抱えているシリーズ設定なのだ。ただし、ここから初めて読む読者にとってはどうだろうか。それなりの紹介記述やこれまでのいきさつなども書き込んであるけれども、鬼平との関わりや心情の結びつきなどについては絶対的な不足があり、続けて読んでいる読者とは格段の差異があるだろう。

 でだ、作品の質は水準を保っているし、物語としての結構も手馴れたもんでスムーズで、サブプロットも過不足なく織り込まれている。ああ、アクション場面(チャンバラ⇒平蔵のスーパー侍)もちゃんとある。ミステリーとまで言わなくとも謎解きや推理を入れ込んである。まあ、時代小説の常道というか王道を行く作品だろう。
 しかし、ここまで読み続けている当方としては何か物足りない。……嘘だな、途中で寄り道(他の本を読む)することなく読んだのだから満足してるはずだ。何か、ぼや〜とした疲労感のようなものがあるのは何故かと思ってたら、付箋してたところを見て思い出した。
 
 芝口の方へ走り去る酒井祐助を見送った後、長谷川平蔵は道に佇み、浜御殿の深い木立をながめやった。
 そして、
(もう、よいかげんに、この御役目を辞めたいものだ……)
 深いためいきを吐いたのである。

 確かもう1箇所、同じような記述があったように思うが、連日のように盗賊を追いかけているシリーズであり、「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種はナンタラ」で終わりがない。様々な盗賊や事件を書き綴る中で、池波は江戸の庶民の生活や人情をも描いている。男の意気地や甲斐性、女の情念やしたたかさなど「人間」という普遍的なものを描いているように思う。
 だからぁ〜、すっきりするような結末や手際いい大捕物の話であっても、そこには世間の不条理や人間の業や社会の悲惨が織り込まれてることから「気持ち」がめいってしまうのだ。考え込むというより、情けなさや無力さに負けてしまう。それを改革するとか、その病理の原因を分析するというような前向きな発想には結びつかないのだな。
 これがTVなんかだと、適当な見せ場(泣き、濡れ、殺陣、ふざけ)で「痛快アクション捕物帳」が完成する。そこでの疑問や告発や慨嘆は、軽く上っ面をかじり取るだけのもんにすぎないから後を引かない。単純なカタルシスで通り過ぎることが可能となる。
 活字の場合は難しいのだ。画面がどんどん変わるわけでないから、立ち止まった時にじっくり考えたり感じたりすることになる。まあね、そういうことのできない輩も多いだろうし、したくない輩も多いだろう。
 活字文化とか出版文化などという言葉は死語となったし、もともとの意味合いが変質してきている。しかしだ、あえて「活字」の持つ文化性(あるいは文明性)が絶滅種になってることをメモしておきたい。それは基本的に読み手の堕落や劣化に原因があるのだが、それを助長した出版側の商業主義の影響もかなりあるだろう。
 今の「書籍離れ」や「出版不況」なんぞは自業自得としか言えないもんで、書籍流通の変化(業界再編みたいなもん)もこれまでの延長で考えて「利益」や「採算」だけ考えてると効果はないだろうな。

イメージ 1

★題名 『鬼平犯科帳 16』
★著者 池波正太郎
★発行 文藝春秋(文春文庫、新装版)
★発刊 2000年10月10日
 本書の初出は「オール讀物」昭和52年2月号〜7月号に連載された六編であり、これを短編集というのには無理があるかと思ってた。だから、このシリーズをメモするに際してこれまで中篇と書いてきたが、他でに短編集として単行本化された例もあり、分からなくなってきた。
 欧米では、小説の類は何万語(word)でカウントされ、出版契約なども取り交わされているらしい。日本では原稿用紙(400字)の枚数で計算され、おおよそ50枚程度(2万字)までが短編、長編といえば数百枚の単位であり、その中間となるのが中篇で100枚(4万字)を前後する分量だろう(と思ってる)。
 この他にも、いわゆるショートショート(掌編?)なんてのもあり、明確に字数での基準があるわけではないようだ。
 これを読む側からすると、雑誌などで2〜3ページなんてのは短編とは言い難い分量なのだが、いまはショートショートとは言わず「短編読みきり」などと言っている。おおよそ、1ページが2000字程度だから5000〜6000字に過ぎない。文学の世界ならば10ページ(数万字)ほどはあるはずで、……となると、やはり、鬼平シリーズは短編集ということになる。

 本書では、それぞれの作品が50〜60ページの分量で、1ページが「40字×18行=720字」であり「720字×50頁=3万6000字」となるが、字詰めが長いのに対して改行が多いことから原稿用紙に換算すると「3万字÷400字≒70枚」程度と思われる。
 適当にうろ覚えで書いてきたが、数字的に整合しているようだ。おおむね間違いはないだろう。(しかしだ、ちゃんと後から調べておこうではないか)

 本書でのトピカルな出来事は、何と言っても木村忠吾の結婚だろう。京都での縁が破れた後、半蔵から皮肉と脅かしを経て身を固めることとなった忠吾だが、シリーズ一番のひょうきん者で遊び人でお調子者が結婚するわけだから、やはり面白い。中でも「白根の万左衛門」で、女房のろけは腹を抱えて笑ってしまう。
「処女(きむすめ)だった肌身が、人妻となり、日毎夜毎に女となるのをたしかめるということは、実にその、まったくもって、男冥利につきるものだ」
などいう言葉を実際に身の回りで聞いたことはないが、ほざくようなバカも世間にはいることだろう。
 知人がアジア某国に取材旅行した時、帰国してから現地の(別件取材の)実態を聞いたことがある。どういうシステムで、どのような女性がどのような相手をするのか、などと聞いていくうちに段々呆れてしまい、批判的な口調になってしまったが、「みんな最初は面白がるけど最後は怒り出す」などと言っていた。あははは。
 鬼平の対応が意地悪そうで皮肉っぽさがあり、そこには池波のユーモア性があふれている。

「さほどに、お前の新妻はよい女か?」
「いえ、その……別に自慢をするわけではございませぬが……」
「何、かまわぬ。いくらでも惚けるがよい」
「いえ、その、私は別に……」
「毎夜、可愛がっておるか、どうじゃ?」
「は……」
「どうじゃ聞いておる」
「は……可愛がっております」
「どのように可愛がる?」
「先ず、あの……いえ、それは……へ、へへ……」
「妙な笑い声を出すな。先ず、どのようにして可愛がるのじゃ?」
「あの、先ず、口を吸ってやりまして……」
「口を吸うとは、どのようにするのだ?」
「はあ……?」
 と、忠吾め。毒気をぬかれてしまった。
「申せ。申せよ、これ……」
「それは、あの……」
お前が、どのようにして新妻の口を吸うのだ? そういう口つきをしてみろ」
「う……」
 九段坂をあがり、半蔵門外へ出るころには忠吾、完全に沈黙してしまった。
(今では、この類のことはセクハラかパワハラとなる)

全49ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事