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			<title>読書まみむ～メモ</title>
			<description>= 　読書一筋40年、ジャンル問わずで乱読・雑読・博読が取り得？　 =
　※ペダンティックでないように、作品評価や感想を綴っていきますです！ ご意見を聞かせてチョ！　　　　[http://www.geocities.jp/hitorigoto50/pipi.html .]　　[http://www.geocities.jp/hitorigoto50/tokuti.html .]　　[http://www.geocities.jp/hitorigoto50/toli.html .]

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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>読書まみむ～メモ</title>
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			<description>= 　読書一筋40年、ジャンル問わずで乱読・雑読・博読が取り得？　 =
　※ペダンティックでないように、作品評価や感想を綴っていきますです！ ご意見を聞かせてチョ！　　　　[http://www.geocities.jp/hitorigoto50/pipi.html .]　　[http://www.geocities.jp/hitorigoto50/tokuti.html .]　　[http://www.geocities.jp/hitorigoto50/toli.html .]

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		<item>
			<title>「大山康晴の晩節」　河口俊彦</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/1461659/66/60140766/img_0?1346945542&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_223_320&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『大山康晴の晩節」　
★著者　河口俊彦
★発行　飛鳥新社
★発刊　2003年03月01日
&lt;/pre&gt;

　将棋を覚えたのは小学校に上がる前だったと思う。当時は夕食後に路地の縁台で大人の対局（あははは、ヘボでも対局）があり、見よう見まねで駒の動かし方ぐらいは知ることができた。今ではパソコンや携帯ゲームで覚え、NETで対局するのが当たり前らしい。&lt;br /&gt;
　ファミコンの時代から将棋ソフトを買い求め、いろいろ試してみたが面白くない。人間相手とは違ってワンパターンの対応しかなくて、「何でそんな指し手が？」というのが多い。最近のヤツはさすがに高度化してシッカリした手を指してくる。となると、逆に「見落とし」や緩手が皆無なもんだから、勝負のアヤがなくて（つまり、劣勢になると確実に勝てないから）つまんない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　つまりだ、割と早くに将棋を覚え、それなりに力をつけて高校生の頃には賭け将棋（ビリヤードの待ち時間などで一局1000円のレートだった）をしたりして、会社勤めをしてからはアマ四段に相手をしてもらい都の職域戦なんかに出たりしてた。一応、ベンチャラ半分で「アマ二段の実力はある」とも言われてた。&lt;br /&gt;
　そんな実力レベルでしかないが、山口瞳の将棋モノなんかを読んで棋士の世界を知り、身近のアマ四段や五段を通じて将棋連盟と知り合い、奨励会の連中やアマ強豪の集まる新宿の飲み屋なんかに行ってたりしてた。つまりだ、実力はないくせに「気分だけは棋士」というスノッブにしか過ぎなかった。&lt;br /&gt;
　でもね、武道館での職域戦なんかで、大山、中原、米長といった連中を垣間見たり、アマ強豪を相手に感想戦を「これも一局」なんてやりあったり、居酒屋レベルなんだけど若いのを相手にヤマグチしてたのね。「ヤマグチする」ってのは、山口瞳の「棋士は恵まれてない。特に若手は、厳しい生存競争なのに生活が成り立たない」てな考えから、まあ、旦那（パトロン）することを意味するんだけど、かなり勘定を持った記憶がある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　そういう時代に棋士を知り、接触を持ったことから、大山名人に対する印象は良くなかった。本書の著者である河口四段（著者略歴では六段だって！）も、遠まわしながらも批判的だったように覚えている。だもんだから、河口俊彦の大山名人に関する著述となると、これは読むしかない。&lt;br /&gt;
　大山康晴は、昭和27年に名人位に就き、通算で18期の記録保持者である。さらに50歳を過ぎても現役を続け、平成2年に文化功労者として表彰され、現役のままに平成4年69歳で物故した。棋士としての戦績だけでなく、将棋連盟の会長として東京の連盟会館の改築（だったか？）と関西の将棋会館建設など、指導者と経営者しても功績は大きかった。&lt;br /&gt;
　若い頃の大山批判も、いろいろと内実を知ることで人間評価は変わり、将棋そのものの強さを（幾らかだけども）理解できたことで印象批評は霧散する。さらに高齢になっても元気に精力的に対戦し、ガンとの闘病で見せた生命力には感嘆するしかない。&lt;br /&gt;
　河口の筆致もよく似た感じであり、大山の棋士履歴を記していく中に「もっと評価するべきだった」という思いが多々見受けられたように思う。特に、大山将棋に対する再評価ともいうべき「大山将棋の解説」は優れている。やはり棋力のある人なのだ、棋譜を細かく解析してくれたことに感謝したいね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　てことで、本書は優れた大山「評伝」であり内輪ネタも満載してるし棋譜も豊富だし読みでがあるんだけど、これとは別に「将棋界奇々快々」（NHK出版）から抜粋しておくことにする。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　ともかく、問題は書く側に、プロの将棋はこんなにおもしろいのですよとか、この手を覚えれば強くなりますよとか、この人はこんなに変わってますよとか、読者に伝えようとする熱意がないことである。だから、先手７六歩では２六歩と突き、８四歩、２五歩、８五歩も一局の将棋、てな、いわゆる棋譜にテニヲハの観戦記が氾濫することになる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　これも一局、という言い回しは、囲碁将棋界特有のもの。感じは分かるものの、意味不明で、誤解を招きかねない。だいぶ昔、五味康祐さんがこれにかみついて「やり直しが利かないのがプロの将棋だろう。それを、これも一局だった、とは何事」と怒ったことがある。&lt;br /&gt;
　五味さんはちょっと意味を取り違えていて、プロが言わんとしているのは「こういう指し方もあった」である。深遠に聞こえるが、内容はないに等しい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　隠語といえば「ゼツ」というのもある。これは「絶対に詰まない形」を詰めたもので、「イビアナ（居飛車穴熊）」と同じ。もっとわかりにくいのでは「腹に乗る」というのもある。これは、桂の頭に玉が出て、王手がかからない形のことを言い、「ゼツ」と似た意味だ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/60140766.html</link>
			<pubDate>Sat, 18 Dec 2010 16:05:57 +0900</pubDate>
			<category>ノンフィクション、エッセイ</category>
		</item>
		<item>
			<title>「三島由紀夫と戦後」　中央公論特別編集　</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/50/60031850/img_0?1301994536&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_225_320&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『三島由紀夫と戦後』　
★著者　中央公論特別編集
★発行　中央公論社
★発刊　2010年10月25日
&lt;/pre&gt;

　橋本治の「&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/59953644.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;なにものだったのか&lt;/a&gt;」読んだ後に、本書のタイトルを見てついでに読むことにした。その程度の興味だったのだが、意外と読みごたえがある。&lt;br /&gt;
　思い出すに、ほんの数年前まで書棚の一番下に古い週刊誌が並んでいた。1970年11月に三島由紀夫が割腹自殺をした後に発売された週刊誌であり、その頃に発刊されてた全部をコレクションしてたのだな。そのくせ読み返すこともなく放置してたのを整理してしまった。惜しい！&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　期待もしなかった本書は、冒頭の時代フォト＋エッセイ（三島記述）で一気にあの時代に引きつけられ、戦後における三島由紀夫の位置づけを再認させられた。&lt;br /&gt;
「昭和34年皇太子ご成婚」&lt;br /&gt;
「昭和35年安保闘争」&lt;br /&gt;
「昭和39年東京オリンピック」&lt;br /&gt;
「昭和41年ビートルズ来日」&lt;br /&gt;
「昭和43年円谷幸吉自殺」&lt;br /&gt;
「昭和43年川端康成ノーベル賞受賞」&lt;br /&gt;
　なぜ「70年安保闘争」や「72年沖縄返還」がないのかと不思議に思い、そういえば「昭和45年11月」は三島由紀夫が「市ヶ谷自衛隊基地で割腹自殺」となるわけで、無いのが当たり前かと納得する。それぞれのエッセイが時代を（現場）記録する意味で秀逸であり、70年安保への記述や遡って昭和20年敗戦に対する記述を読みたくなる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/50/60031850/img_1?1301994536&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_147_240 clearFix alignLeft&quot;&gt;　若かりし石原慎太郎と三島由紀夫の対談が収録されてるが、石原の「三島氏の死は明らかにこの日本の社会に退屈をもたらした」ってのは、当時の文化人（？）に共通した思いだったのだろう。没後40周年ということで本書のような出版が相次いでいるようだが、昭和懐古の気運に相乗りすることができるのか、疑問だね。&lt;br /&gt;
　松本健一と猪瀬直樹の対談で始めて知ったのだが、猪瀬の師匠筋にあたるのが橋川文三であり、「ペルソナ　三島由紀夫伝」ってのを猪瀬が書いてるらしい。対談が平成8年だから、没後25年くらいになるのか、いい時期だろうな。これは探して読んでみたいもんだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　吉本隆明、司馬遼太郎、江藤淳など当時に書かれたコラムが掲載されているが、現在の作家もコラムで思い返している。中に関川夏央の名前を見つけ、喜んで読みふける。この作家は駆け出し（漫画週刊誌にアルバイト原稿）の頃からオモシロイヤッチャと気になってたライターで、その後の漫画原作やノンフィクション、コラムといった記述に感心してるファンなのだ。&lt;br /&gt;
　関川は淡々と三島由紀夫の執筆経緯を追い、1963年夏の「日本の文学」編集委員会における事件を取り上げる。この事件については他の人も触れてるように、単に三島由紀夫と松本清張のライバル意識でなく、三島由紀夫の文学観（あるいは自負）に関わるものであり、関川は、&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;「社会派」三島由紀夫にとって、官僚の堕落を指摘する程度で「社会派」と呼ばれる松本清張は笑止であった。そのうえ松本清張は『日本の黒い霧』などで「陰謀史観」を展開している。それは三島由紀夫にいわせれば荒唐無稽にすぎなかった。たんに、敗戦以来永く禁じられ、あるいは自主規制してきた「民族主義」に飢えた俗耳に入りやすい「史観」にすぎないと思われた。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　三島由紀夫が「耽美派」と目されがちなことに不満を持ち、単なる「社会派」を超えた社会そのものを描く作家を目指してたというのが関川の分析であり、分水嶺を1963年夏（「剣」執筆）としている。作品としての「剣」に対する注目度は高い。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/50/60031850/img_2?1301994536&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 3&quot; class=&quot;popup_img_240_236 clearFix alignRight&quot;&gt;　三島由紀夫の自死は同時代的であり、当時19歳の少年は何も分からないままに週刊誌を買い集め、後から熟考するためにコレクションとして保持してきた。しかし、同じ時代として記憶に残るのは「赤フン」「軍服」で気取ったオッサンのグラビヤ写真であり、週刊誌で世間を賑やかすだけの作家でしかなかった。当時は、文学者が「作家」に成り下がる時期であり、様々な作家がマスコミに登場していた。（週刊誌がメディアとして確固とした地位を持ってた時代なのだ）&lt;br /&gt;
　作品としても、話題になった割には読んでも「ホモ小説かぁ」で終わる「仮面の告白」、後追い事件小説なのにくどい「金閣寺」なんかを読んで何の感慨もないだけだった。「豊穣の海」だけはタイトルが気に入って読もうとしてたのだが、あの事件で話題沸騰がイヤになり読まずじまい。作家としての記憶は残らない。&lt;br /&gt;
　つまり同時代的でありながら、まだこちらが幼かったことと世間の扱いに反感を持ったことで、三島由紀夫は過去の人でしか無かった。&lt;br /&gt;
　あれから何年も経ちながら何歳になっても、三島は参考になる先人ではないし、目標とすべき先達でもない。思想的、哲学的、文学的、倫理的、反面教師的……いかなる面においても三島は無関係な存在であり続けたような気がする。&lt;br /&gt;
　しかし、こういう風に読み返してきて、「戦後」というキーワードで取り組むことができそうな気がしてきた。三島由紀夫に関する評論などを読むと、必ずといっていいほど「戦後」というテーマがにじみ出てくる。その理由が、ようやくにして分かる年齢になったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/60031850.html</link>
			<pubDate>Fri, 05 Nov 2010 15:53:26 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「三島由紀夫」とはなにものだったのか　橋本治</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/44/59953644/img_0?1290832846&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_225_320&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』　
★著者　橋本治
★発行　新潮社
★発刊　2002年01月30日
&lt;/pre&gt;

　図書館の書架に並んだ本を見てて、「橋本治」で引っかかり、「三島由紀夫」で引っかかる。つまり、２つの関心対象の相乗効果で読むことになった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　本文とあとがきでクドクド書いてるのだが、新潮からの原稿依頼（100枚）を3回引き受けて300枚の書籍が出来上がる予定が、結局は350枚の加筆となる。それでも、まだ「終わったけど終わらない」気分を拭い去ることはできず、ようやくあとがきの最終部分で……&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　個人的には、「三島由紀夫」というのは興味の対象になり得ない人物であり、著作群は古典の体裁を持った観念小説にしか過ぎず、世間（出版マスコミ）の騒ぐ様を異様に感じてた。&lt;br /&gt;
　華族出身、東大出の作家、もやしのマッチョ志向、薔薇族の元祖（これは後になってからか）、読みにくい文体（旧かなづかいも理由の一つ）などが思い出すところだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/44/59953644/img_1?1290832846&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_172_240 clearFix alignLeft&quot;&gt;　しかし、市ヶ谷の自衛隊基地での「割腹自殺」と「豊穣の海」だけが、いつまでも記憶に残って消えない「三島由紀夫」なのだ。&lt;br /&gt;
　著者は「奇矯にして偉大なる時代の象徴」「文壇に色気を与えていた作家」「日本で一番頭のいい作家」と序に記し、「三島由紀夫の小説は、書かれた意地悪の余白を美しさで埋めるような小説である」と&lt;br /&gt;
表現する。&lt;br /&gt;
　第1章の「『豊穣の海』論」は『金閣寺』にまで遡り、『豊穣の海』を「行動者の死後における認識者の敗北を書いた小説である」と分析する。&lt;br /&gt;
　そうなのだ、橋本って「モモジリ」のような軽い物書きではなく文芸批評のほうが本職（？）だったのだ。正直言って、くどい文章だし、理屈が多くて、ややこしいロジックを展開するから読みにくいと感じてしまう。しかし、話し言葉（？）での説明は分かりやすいともいえる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　引用しておきたい部分が多い。それだけ鋭い視点や分析が多いわけで、本読み（文芸評論）というのはこういうものなのか、と感嘆してしまう。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　三島由紀夫に慣れて、私は自分の慣れたものが三島由紀夫の「修辞（レトリック）」であって、「論理（ロジック）」であるとは思わなかった。彼の小説に「三島由紀夫の修辞」を発見する人は多く、「三島由紀夫の論理」を見る人は少ない。つまり、多くの人は、「彼はそう言っているのだろう」とだけ思って、「彼はそう信じているのだろう」とは思わない、ということである。&lt;br /&gt;
　しかし、三島由紀夫は、「そう信じている」のである。だからこそそれは、彼の修辞でなく、彼の論理なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　三島由紀夫は時分自身を語る時に嘘をつかない人である。だからと言って、「他人に対して分かりやすく自分を語る」もしない。彼が必要とする「前提」を置いて、それに従って自分自身を語る。だから、自分自身に正直であろうとする三島由紀夫は、常に、「分かりにくい煙幕を張っている」という状態になる。それが三島由紀夫の論理のややこしさで、「ややこしさこそ三島由紀夫の真実なのである」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/44/59953644/img_2?1290832846&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 3&quot; class=&quot;popup_img_157_240 clearFix alignLeft&quot;&gt;　1970年11月の自死は世間を騒がせたのだが、結果論にみえるかも知れないがそれまでの記述において、色々うかがわせるものが多かった。サインというよりも告知といえるほどに、明確な示唆があったのだが、三島独特の「大げさな」表現（大言壮語、国士気取）てな認識から無視してたのを覚えている。&lt;br /&gt;
「そもそも作家にとって思想とは何ものであるかといふ問題は、そんなに簡単ぢゃない。作家の思想は哲学者の思想とちがって、皮膚の下、肉の裡、血液の流れの中に流れなければならない。だが一度肉体の中に埋没すれば、そこには気質といふ厄介なものがゐるのである。気質は永遠に非発展的なもので、思想の本質がもし発展性にあるとすれば、気質のとりこになった思想はもはや思想ではない」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　気になるフレーズが随所に散見される。そこには、著者の「文学認識」があり、著者の「文芸評論」の立脚するところを示しているようだ。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）男にとって、女を手に入れると自己達成への道は、一つである――と同時に、女を手に入れることと自己達成への道は、一つにならない。一つになるものと一つにならないものを同時に発生させる「女」は、男にとって矛盾の最たるものであり、だからこそ、自己達成を目指す近代文学の男達の多くは、「女」によって翻弄される。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）血みどろの性欲を語るために「美」という比喩が使われ、同時に、血みどろの性欲を示唆するものが、「美」を語るための比喩にも使われる。そこまでは三島由紀夫の尋常であるが、しかし、文体における装飾性にそれは、論理を迂回させる機能である。&lt;br /&gt;
　過剰なる修辞――「そうまでもって回らなくてもいいことを、延々と総称区的な文体で綴る」という特徴が、時として三島由紀夫の戯曲に「悪癖」となって現れる。三島由紀夫の好む演劇が「科白を謳いあげる」という種類であれば、役者の口から溢れるリズムとメロディを作るために、三島由紀夫の科白は、容易に「説明」の役割から遊離する。結果として、ロジックはレトリックの下に立たされる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　4つのキーワード――「男」「下層民」「死」「王子」で、著者は三島由紀夫の欲望すなわち『仮面の告白』を解析する。そして、「塔に幽閉された王子」として三島由紀夫のアイデンティティ（？）を探りだしていく。&lt;br /&gt;
　三島由紀夫を解析することで、橋本治は「裡なる戦後」を解明したようだ。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）「戦争は終わった」は「戦後が始まった」の同義語で、「二十世紀が終わった」は「二十一世紀が始まった」の同義語である。「始まった」が必要な時代に、「終わった」が爽快感をもたらすわけでもない。「そうか、”ああ、終わった”じゃなくて、”さア、始めるか”なのか」と思って。私はようやくこの一冊を終えられる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/59953644.html</link>
			<pubDate>Fri, 08 Oct 2010 10:20:37 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「棄民たちの戦場」　橋本明</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/1461659/20/59950820/img_0?1290579596&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_217_320&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『棄民たちの戦場――米軍日系人部隊の悲劇』　
★著者　橋本明
★発行　新潮社
★発刊　2009年06月30日
&lt;/pre&gt;

　国家の棄民政策を思う時、日本が満州で行なった「&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/11192278.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;絶望の移民史&lt;/a&gt;」が脳裏に浮かぶ。同じ「棄民」というフレーズから読み出したのが本書なのだが、米国も同じ愚行をしたことを再確認する。国家は常に国策や国益を理由に棄民政策を採る。国から棄てられた民は、それを知りながらも国を信じるしかない。信じて裏切られる、それを繰り返すしかないのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　プロローグの場面が全てを語っているかのようで、筆力がある。念入りな長期間の取材と広範囲のフィールドワークが、感傷過多にならずに書き込められている。75歳の年齢を考えると頭が下がる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/1461659/20/59950820/img_1?1290579596&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 2&quot; class=&quot;popup_img_150_91 clearFix alignRight&quot;&gt;――太平洋戦争が終結して1年後の1946年7月15日、ワシントンの閲兵式会場にトルーマン大統領など関係者が揃い、沿道には6000人の市民が米陸軍第442歩兵連隊戦闘団の入場を待つ。&lt;br /&gt;
　行進してくる部隊の構成員数は極端に少なく、本来は4000人規模の連隊なのに数百人に過ぎない。背が低く、肌は黄色の日系人部隊であり「帰還兵をいまごろ迎える異常さが際立つ」中、沿道から白人の老婆の声が響き渡る。&lt;br /&gt;
「My children, Wellcome Home!」&lt;br /&gt;
　帰還兵を迎える「お帰り」の声はうねりとなり、拍手と喚声が彼らの偉業を讃えた。大統領は挨拶の中で「米国内の偏見との戦いに触れ、翌日の新聞論説は「442連隊が日系兵で編成された部隊であり、大統領特功章を授与」と報じた。&lt;br /&gt;
　1944年10月、フランス北東部で米軍第36師団所属第141歩兵連隊第１大隊がドイツ歩兵軍に包囲されて完全孤立した。食料、水、弾薬なしの絶望的状況であり、ラジオ放送で知った米国民は過熱した。第141連隊は1836年に創設されたアラモ連隊が原隊であり、映画「アラモの砦」ガ著名であるように、米陸軍において歴史的意味を持つ連隊だった。&lt;br /&gt;
「テキサス・ボーイズを助け出せ」という国民や議員の声はルーズベルト大統領を動かし、この命令は第442連隊に与えられた。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　米陸軍が「史上最も重大な10の戦闘の一つ」にあげているテキサス大隊救出作戦の幕は、こうして切って落とされたのだった。結果を先に言えば、包囲されたテキサス大隊211兵を救うため、日系兵800人が氷雨に煙るボージュで死んだ計算になる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　1941年12月の真珠湾攻撃の後、ルーズベルト大統領は日系米人を強制移転させ、収容所に収容し、日系人を潜在的敵性人とした。&lt;br /&gt;
　退去通告後5日程度で、手荷物程度の所持品しか許さず、日系市民は「転住所」という捕虜収容所に隔離された。初代移民（約19万人）の一世たちは国籍がなく、彼らの子供である二世は国籍を取得している。13歳以降3年以上を日本で教育された帰米二世を含め、全米で12万6000人の日系人が、財産などを放棄し強制収容所に送り込まれた。枢軸国であったドイツ系、イタリア系米人は対象とされなかった。&lt;br /&gt;
　ハワイにおいては明白な差別は存在しなかったが、ハワイ二世兵士による第100大隊は日本軍相手では信用できないことから（確か）欧州戦線で酷使されたと記憶している。「ワン（1）・プカ（0）・プカ(0）」は疲弊した後に442連隊に吸収される。&lt;br /&gt;
　ハワイ大隊の編成後、ハワイ2900人、本土1500人を志願兵から選抜し1943年2月に第442歩兵連隊戦闘団が正式に誕生した。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/1461659/20/59950820/img_2?1290579596&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 3&quot; class=&quot;popup_img_150_121 clearFix alignLeft&quot;&gt;　大隊は4個中隊で編成されるのが普通だが、第100大隊は6個中隊から成り、緒戦のイタリア戦線で多大な損害をこうむり第442連隊に組み込まれる。結果として、1連隊4大隊の通常編成とは異なり、第442連隊は5大隊で構成された。&lt;br /&gt;
　著者は仏ブリュイエールに赴き、住民へのインタビューのみならず激戦地となったボージュの森を歩き回る。現地レジスタンスの子息である戦史家ピエールとの出会いは、史料収集に大きく寄与したのだが、そこで吐露した著者の持論が特筆されよう。&lt;br /&gt;
「米国をはじめとする連合国によって息の根を止められたのは、日本人が日本人として身に備え続けていくべき価値観のコンティニュイティ（継続性）だったのではないか。（中略）英国ジャーナリストが戦後日本を評して――自由を求めて恣意・奔放に走り、義務・抑制を忘れて崖っぷちを転がり落ちている。原因は米国信仰に潜む」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　難攻不落の陣地を人海戦術の消耗戦で攻め落とす―ーこの構図は&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/57931665.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;203高地で乃木大将が採った戦術&lt;/a&gt;であり、膨大な死傷者を生むことになる。戦闘の詳細記述はフィールドワークが奏功し、臨場感ある迫力に満ちている。この戦闘記を読み、日系兵士の勇敢さを讃えるのもいい。しかし、相手のドイツ軍は略奪や破壊や暴行を為した侵略者だと切り捨てるのには抵抗を感じる。戦争を片方の側から一面的に眺めて、勇敢さや愛国心や献身や同胞愛を鼓舞するスタイルにはどうしても馴染めない。&lt;br /&gt;
　本書の秀逸な点は、日系兵士の生い立ちを日系米人の強制収用から始めて、二世の間にあった対立を踏まえて、彼らが志願する動機を明確にしたことだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　二世が戦争に加わって全力を挙げて戦うことが、両親である一世の帰化権確保につながり、二世自身あるいは彼らの子孫が日系米人として正当な地位を占める道につながる。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　1946年3月に全米10箇所の収容所（戦時転住所）が閉鎖となり、日系米人の抑留は終わった。収容された総人数は12万人を超え、収容所内で生まれた新生児は5981人、死亡者は1862人を数える。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;……1942年2月25日「日本人の血統を引く全ての人々に告ぐ」布告をロス郡街頭に貼り出した。48時間以内に居住地から立ち退けと命令した内容だった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;b&gt;■米国では昨日付けで日系兵士を顕彰&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
　オバマ米大統領は５日、第２次大戦中の日系人部隊出身者に米国民最高の「議会勲章」を授与する法案に署名、同法は成立した。欧州戦線で戦った陸軍第442連隊と同第100歩兵大隊が対象。442連隊は戦闘で多数の死傷者を出し、米陸軍で最も多くの勲章を受けた部隊として知られる。同法は兵士の功績を「内にあっては人種差別との、外にあってはファシズムとの二つの戦いに身を投じ、勇敢さと国家への献身を示した」とたたえた。&lt;br /&gt;
　戦後65年たち、出身者が高齢となったことなどを踏まえ、日系人社会を抱えるカリフォルニア州選出のボクサー上院議員（民主）らが法案を提出、先月下旬に議会を通過した。&lt;br /&gt;
　彼らはイタリア、ドイツ、フランスにおいて戦い続け、ルーズベルト大統領直々の命令を受け、米軍白人兵たちでも助け出せなかった、ドイツにて包囲されていたテキサス兵212名の救出のために出動、果敢に戦い800人の犠牲を出しながらもテキサス兵の救出に成功した&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/59950820.html</link>
			<pubDate>Thu, 07 Oct 2010 11:26:15 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「文壇アイドル論」　斉藤美奈子</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/27/59948827/img_0?1301992786&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_221_320&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『文壇アイドル論』　
★著者　斉藤美奈子
★発行　岩波書店
★発刊　2002年06月26日
&lt;/pre&gt;

　著者については朝日新聞の文壇時評で覚えていたのだが、小気味いい文章でバッサリと切り捨てる書評が気に入ってた。「こんな本、書いてんだぁ～」てな軽い調子で読み出して、活目せざるを得なくなってしもた。&lt;br /&gt;
　タイトルの「アイドル論」から、タレントを扱ってると勘違いしてはならぬ。80年代から90年代にかけて、文壇・論壇で持て囃された8人を、背景となる時代の社会分析から「文学的」作家論を展開しているのだが、3章構成がスムーズにつながり、一編の時代（社会）分析となっている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;犠蓮嵎験悒丱屮襪稜愀福&lt;br /&gt;
　　村上春樹&lt;br /&gt;
　　俵万智&lt;br /&gt;
　　吉本ばなな&lt;br /&gt;
蕎蓮屮ンナの時代の選択」&lt;br /&gt;
　　林真理子&lt;br /&gt;
　　上野千鶴子&lt;br /&gt;
珪蓮崔里閥詰椶離灰鵐咼鵬宗&lt;br /&gt;
　　立花隆&lt;br /&gt;
　　村上龍&lt;br /&gt;
　　田中康夫&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　ベースとなったのは「世界」に連載（2001年1～11月号）した文章なのだが、そこに「文学界」と「短歌と日本人」に掲載した文章を足し、「大幅に加筆」訂正したとあとがきにある。広範囲なリサーチの成果が、章末にある脚注となっているようだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　この程度の感想文を、いい大人が、しかもプロの文筆家が活字メディアで公表してもオーケーなのだという点がまず新鮮です。別に嘲笑しているのではありません。「感想文」は文筆業界ではもっぱら差別用語でありますが、大人が率直な「感想」を「文」に書いてはいかんという決まりはどこにもありません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　別に嘲笑しているわけでもないが、十分に評論家の書評や論評を嘲笑ってるところが可笑しい。分析の視点や論旨の展開が秀逸であるだけでなく、所々に出てくる「ナマの声」が面白い。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　東（浩紀）がいう「オタク文化」とは、６０年代以降に生まれた（新人類以降の？）世代が主としてアニメやゲームに群がる文化のありようを指したものですが、ポストモダニズム＝ニューアカデミズムという８０年代の思想的流行のなかで、村上春樹解読ゲームはスタートしたのです。文学批評が知らず知らずにオタク化していったとしても、別に不思議ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　文芸批評というジャンルが陳腐化・形骸化していると思われる昨今、著者のように「文壇」を守ろうとする姿勢（本人は否定するだろうが）はイイよね。新しい教養主義みたいなもんが生まれてくるかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　前述の久田容子の分析は、＜ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう＞を、フェミニズムを経由した「自立する女」の歌だといってますが、縛られているからこそ「捨ててしまおう」と決意しなけりゃならないわけで、決意だけなら、サルでもできる。これまたじつは反動的な「かわいい女」の歌かもしれないのです。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
　物語形式は新しいが、物語内容は古風。であればこそ、『サラダ記念日』は中高年男性に愛され、万民に受け入れられた。アイドルは危険な香りがしてはならないのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　いきなし文中に出てくる「決意だけなら、サルでもできる」に笑ってしまうし、用意周到に計算されたイクスキューズに感心してしまう。上手い！&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）アイドルスターは、憧れの対象になり、と同時にからかいの対象にもなる。人々はアイドルスターに癒しを求め、その反面、おもちゃにしてストレスを発散するのです。&lt;br /&gt;
　おもちゃの例をひとつ紹介しておきましょう。出典は『サラダ記念日』を本歌取りしたパロディ短歌、筒井康隆「カラダ記念日」（『薬菜飯店』1988年）です。&lt;br /&gt;
　　この曲と決めてマイクをとって唾とばす君（ダチ）なり「唐獅子牡丹」&lt;br /&gt;
　　おれたちをヤッちゃんと呼ぶ女（スケ）がいて神戸元町花隅附近&lt;br /&gt;
　　「この刺青いいわ」と女（スケ）が言ったから７月６日はカラダ記念日&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　リサーチ（文献探索）を他人任せにしてないことが、上記のように「面白さの発見」を紹介してくれてるところで分かる。本人も楽しみながらリサーチしてるわけだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　折原みとや吉本ばなながデビューした８０年代の後半は、コバルト文庫の成功に目をつけた各社がこの市場に参入、ティーンズ文庫が巨大なマーケットに成長した頃でした。半面それはコバルト（などティーンズ文庫）が従来の学園コメディやラブロマンス（リアリズム小説）から荒唐無稽なＳＦファンタジーへと、軸を移しはじめた時期でもあった。ドラゴン・クエストなどコンピュータゲームの影響もあったのでしょうか。吉本ばななが１０代の読者に熱狂的に支持されたのも、だとすれば納得がいきます。乱暴にいえば、氷室冴子が開発し、新井素子がいったん宇宙の彼方に追いやった物語を、吉本ばななは再び地上に連れ戻したのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　吉本ばななの文体（および表現スタイル）をティーンズ文庫から解析してるのには感心した。当初の発刊内容と新井素子の登場くらいまでは追っていたのだが、その後は読む必要なしと断定したのは間違いだったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）かかる機運の背景をたどると、やはり７０年代初頭のウーマンリブ（ウィメンズリブ）に行き着きます。ウーマンリブは、アメリカから日本に上陸した運動のように言われますが、日本では６０年代末期の新左翼・全共闘運動のなかから産声をあげました。&lt;br /&gt;
　思想運動としてのリブの特徴は、―のセクシュアリティを問題にしたこと、個人の解放（私らしく生きたい）にこだわったこと、の２つが大きかったと私は考えます。&lt;br /&gt;
「性の解放」と「個の解放」。「男女平等」という穏健で当たり障りのない目標ではなく、セクシュアリティというもっとも個人的な部分をも含んだ女性の解放を求めたからこそ、それは意味があり、かつ男性社会の激しい反発も買ったのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　著者の年齢からして同時体験したとは思えないのだが、よく知ってるなと思う。しかし、フェミニズムの世界ではもう常識となっているのかも知れない。問題は、ようやく当時の体験者が発言し始めたことを後の世代が「歴史として認識」できるのか、「論理として消化」しているのか？　かなり疑問視してしまう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　林真理子がリブの気分の継承者なら、上野千鶴子が継承したのはリブの言説です。林が「女の時代」に乗ったのだとすれば、上野には「女の時代」を読むことが求められた。&lt;br /&gt;
　８０年代的な知的意匠をたっぷりまとっていっため気がつきにくいのですが、上野千鶴子は７０年代のリブの言説を反復しているところが多々あります。下半身の解放を女性解放と勘違いした（といってしまいますけれど）パフォーマンスといい、「おんな並みでどこが悪い」と開き直ってみせる点といい、彼女はじつは「フェミニズムの旗手」ではなく「最後のウーマンリブ闘士」だったのではないかという印象を私は持ちます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　林と上野の比較対照は面白いし、アグネス論争から10年以上たった対談を「おお、これぞ歴史的和解の瞬間！」とちゃかすセンス（表記）もいいね。もう、フェミは次の世代に確立されつつあるのだと感じてしまう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）「マルクス主義フェミニズム」なんてものを７０年代のリブの活動家はたぶん知らなかったはずですが、性支配と階級支配という「二重の桎梏」から自由になることが女性解放への道であると、彼女たちはかたくなに信じていた。そうした問題意識だけは持ちながら、知力不足・体力不足で理屈の面では一歩も先に進めないままに挫折したのが７０年代の日本のリブだったとすれば、『家父長制と資本制』（1990年）は、自力では返済できなかったウーマンリブの不良債権を、上野千鶴子が20年ぶりに返済した本、と見ることができます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

　著者のフェミ論を読んでみたいと切実に願うね。サード・フェミと丸めて言ってしまうのでなく、らいてふから晶子までの日本フェミニズムの系譜をどう捉えるのか。聞いてみたいところだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;[注釈にも面白い記述あり]&lt;br /&gt;
　山下悦子の上野千鶴子批判は、『「女性の時代」という神話――上野千鶴子は女を救えるか』という本にまとまっている。上の千鶴子をタイトルに冠した本には、ほかに上原隆「上野千鶴子なんかこわくない』も。こちらはフェミニズムに出会って「あなたとは別れたい」と妻に突然宣告された夫が、彼女に影響を与えたらしい上野千鶴子の本を狼狽とともに読むといった内容の「体験的上野千鶴子論」。遥洋子『&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/15064245.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ&lt;/a&gt;』も含めた三大「上野千鶴子」本である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　本書で一番感心し、興味を持ったのは最後の田中康夫「ブランドという名の思想」である。さすが文芸批評家らしく、著作を時系列で精査し、同一テーマを異なる文体で表現していることを明らかにしている。&lt;br /&gt;
　どちらかといえば批判的に作家たちを分析しているのに、ヤッチャンだけは高く評価しているように見えるのが気になる。阪神大震災でのボランティア活動、長野県知事としての言動で「ただの目立ちたがり屋」と切り捨てたのは間違いであったかに思う。&lt;br /&gt;
　著者は、田中康夫の小説を退屈であると言いながら、それは小説の敗北ではないとする。「ほんとのリアリズムはニュースショーとちがって退屈」なのだと言い切る。読み直してみようと思う。&lt;br /&gt;
「田中康夫」論については再読しなければならないだろう。「田中の場合はもともとフィールドワーカーだった」という記述からして、文学論や作家論より原点的な精読が必要なのかもしれない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/59948827.html</link>
			<pubDate>Wed, 06 Oct 2010 16:49:35 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「必冊　池波正太郎」　筒井ガンコ堂　　</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/56/59845756/img_0?1287805626&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_222_320&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『必冊　池波正太郎』　
★著者　筒井ガンコ堂
★発行　平凡社
★発刊　1998年03月01日
&lt;/pre&gt;

　&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E6%B3%A2%E6%AD%A3%E5%A4%AA%E9%83%8E#.E6.99.A9.E5.B9.B4&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;池波正太郎&lt;/a&gt;が亡くなったのは平成2年5月3日、1990年ということになるのか。それから約8年後の刊行であるから、いわゆる（便乗出版のような）追悼本とは異なり、池波を哀悼する出版関係者が七回忌あたりに言い出したものだろう。随所に哀しみが滲んでいるようだ。&lt;br /&gt;
　本書の構成は、「本の雑誌」に書かれた「&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/58431463.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;鬼平犯科帳&lt;/a&gt;の読み方」「仕掛け人・藤枝梅安の読み方」に書き下ろしの「剣客商売の読み方」を加えた3部立てで、人物事典や用語解説、料理ごよみ、年表が付記されている。文章などが重複しているのだが、著者の「その時どきの息遣いみたいなものを生かしておきたかった」意向からのもので、それほど気に障るものではない。なにより、池波に対する表記が最終的に「わが人生の師」になる過程がはっきりする。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　冒頭で、池波の文体に対する批判をズバッと切り捨てる。開高建・谷沢永一・向井敏が鼎談の中で「脚本の文体で書いた捕物帳」「普通の倍の速さで読める」と評してるのに対して、著者は「読みやすい小説を、『いかにも軽い』と評する人の言葉の軽さを私は笑う」と断言する。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）池波正太郎はペダントリーから最も遠い。そこのところをわからないのが、つい「軽い」などと口走りたくなるインテリたちだ。敢えて言う、そんなインテリは池波正太郎の小説に近づかないほうがいい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　他にも花田清輝に対しても、「……やはりインテリなのである。まあ、花田はすぐ自分でオトシマエをつけたので許してやってもよいが。」と大胆な記述をする。著者名については記憶がなく、最初は筒井康隆の変名かなと思ったのだが、ここらで気づいたね。徹底的な池波フーリガンで出版関係者で、かなり近くにいた人間なのだろう。あまり知られてない著者のエピソードや近辺に漏らした発言などが多いだけでなく、池波に関する活字になった記述に詳しい。江國滋が「もと池波正太郎の担当編集者」だったことも初耳だったし、対談などでの発言を抜粋しながら執筆背景を紹介してくれるのはありがたい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　著者は1968年に京大卒して平凡社に入社、雑誌「太陽」で池波の担当編集となる。平凡社を退社後、1985年に佐賀新聞社に入社して文化部長や論説委員を歴任。1995年に地元の印刷会社に入社して地域誌の編集長を務める。つまり、20代で出版業界を泳ぎまわり、30代後半で地方紙の（たいてい）文芸担当を始め、50前に地域誌の（創刊なのか？）編集を取り仕切る。田舎に帰ってからも中央の文壇や業界とのつながりが財産であり武器であり矜持だったのだろう。&lt;br /&gt;
　池波との交誼（？）を率直に記述しているのだが、「時折り、差し上げる私のたよりで、田舎での生活の不本意・不如意を感じ取られてだろう先生」が紹介してくれた文庫本の解説で著述業をスタートしたとある。良き先輩をもったものだ、いや、本人は「人生の師」と表記している。&lt;br /&gt;
　池波の基本認識として「人は死ぬために生きる」と「人は悪いことをしながらよいことをする」をあげて――&lt;br /&gt;
「池波師は、諸々の作品の中で、理屈やお説教としてではなく、登場人物のさまざまの生き様（よう）を通して読者に具体的に教えてくれるのだ。それを読者は快く受け止める」&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　人間は生きている限り、飯を食い、眠り、異性と交わることを繰り返すが、「死ぬために生きる」という認識を持つことによって、その人の生は充実し、物の見方が深くなり、他者に対して温かい気遣いができるようになる――。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/59845756.html</link>
			<pubDate>Wed, 01 Sep 2010 17:08:21 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「おじさんはなぜ時代小説が好きか」　関川夏央　②</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/56/59842256/img_1?1287468725&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_221_320&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『おじさんはなぜ時代小説が好きか』　
★著者　関川夏央
★発行　岩波書店
★発刊　2006年02月21日
&lt;/pre&gt;

　最初に読み始めた時、この文体にびっくりした。関川って、こんな文体で書いてたのか、もしかして別人ではないのか？　なんて思いながら読み進め、途中でズルして後書きを盗み見してみた。&lt;br /&gt;
　もちろん、疑問は氷解した――テーマが決まってから書き出すのに苦心してた著者に「書けないのならまず話せ」と編集者が強要し、岩波書店の若手5人に対して月1回のレクチャーをして、講演のスタイルでまとめたものが本書なのだ。つまり、著者にとっては初めての文体であるようで、このテーマならではの試みであったと思う。&lt;br /&gt;
　読み終えて感じるのは、良質の文学講座を受講し終えた気分がする。あいにく文学講座なるものは大学の講座でも民間のカルチャースクールでも受けたことがないのだが、こんな風に作品のみならず作者の執筆状況を解説してくれて、なおかつ時代背景や作者の思想や哲学を詳評し、文学史のつながりや展開を概説してくれるのならイチオシだね。変なとこで時間やお金を使うくらいなら、カルセンに日産するべきだろう。&lt;br /&gt;
　前に、偶然なのだが放送大学のマネジメント講座を見てしまった。あの時と同じで、知的刺激を与えてくれるものがメディアに存在することに驚愕する。もちろん、書籍は種差万別で玉石混合で弱肉強食で盛者必衰なんだけど、いい本を探すのが難しくなってきているのね。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　文化・文政期にはこういう巨人たち（葛飾北斎、鶴屋南北、渡辺崋山、十返舎一九、蔦屋重三郎、山東京伝など）が輩出しました。馬琴、北斎、南北、みんな世界的巨人だと思います。そういうひとたちがうろうろしていたわけですから、相当高度な文明であったわけです。また、そういう人たちが謝礼や原稿料で生きられ、お芝居の原稿を書いて生きられたのは、その当時世界中でおそらく日本だけだったでしょう。たとえばイギリスでは長いあいだ、貴族が金を出してお芝居の興行を打っていたのですが、日本は世界で最も早く、すでに17世紀から商業として成立する演劇界がありました。&lt;br /&gt;
　風太郎「八犬伝」の最後の一行は、「世界伝奇小説の烽火、アレキサンドル・デュマの『三銃士』に先立つこと三年。」というものです。そういわれるとどきっとします。そのように『南総里見八犬伝』を世界史的に位置づけていることは、山田風太郎のひとつの見識を示しています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　同じように、山田風太郎の明治ものにもパロディが多いのです。近代文学のパロディ、あるいは映画のパロディだったりします。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
　そういうことを知らなくとても十分におもしろいのですが、いまでは「ノートルダムのせむし男」も「河内山宗俊」もほとんど誰も知らないから、パロディのおもしろさ、笑いの部分はわかってもらえないわけです。馬琴と同じです。パロディやパスティーシュ、当時の言葉でいうと捩り（もじり）、窶し（やつし）、狂（きょう）が文化・文政期に日本文学として花開きました。なのにその伝統が切れてしまった。つまり共通教養の伝達がなくなったわけで、なかなか他人と話が通じないという悩みの根本にはこういうことがあり、それが第二次大戦後の日本文化の特徴といえます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　ともかくそういうことばかり書いてある日記に、饗庭&amp;#31682;村が注釈をつけて「馬琴日記鈔」を書き、それを元にして芥川が「戯作三昧」を書いた。それから60年ほどして山田風太郎が「八犬伝」を書いた。滝沢馬琴と江戸文化そのものを主人公に、文学は受け継がれる、よいうか発展していくわけです。以前に誰かが成し遂げた仕事を無駄にはしない。先人の業績を尊重しつつ、参考にしつつ、さらに遠くまで行こうとするとき、作家はオリジナリティを発揮するのです。そしてそのたびにその作品世界は広く、かつ深くなるのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　芥川が「舞踏会」を書いた大正8年の暮れというのは志賀直哉が「小僧の神様」を書いたのと全く同じとき、大正バブル崩壊の直前です。そんな時期にとてもレトロな小説が書かれ、そのレトロの対象が鹿鳴館時代だったということは文学史的に、社会思想史的に注目すべきだと思います。また佐藤春夫はやはり同時期に書かれた「美しき町」という小説で「あの季節外れの花のような時代」と鹿鳴館時代を回想しています。大正時代が、教科書的にいう「対象デモクエアシー」の時代ではなく、資本主義の限界を感じながら、レトロな気分に人びとが浸っていた時代であるということを読み取ってください。小説というのは歴史の証言でもあるのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　ピエール・ロチは明治18年秋の鹿鳴館を、ひたすら日本趣味（ジャポネズリ）で書きました。芥川龍之介は、それをレトロを主調色にえがきました。ただし、明子がジュリアン・ビオーとロチが同一人物とは知らなかったという皮肉の色を添えました。三島由紀夫は、鹿鳴館外交を笑うのは、所詮後知恵にすぎないという見方を作品によって示しました。それらの仕事を受けて、山田風太郎は、勇敢さと美貌を兼ね備えた明治の女性たちの物語を造型しました。出発点はフランス人のマイナー作家でしたが、その後は日本近代を代表する三人の作家がそれぞれに発展させて新しい世界をつくりあげました。これは興味深いし、同時にすばらしいことです。作品世界は成長し、発展するのです。ここにこそ文学のオリジナリティがあると私は思います。&lt;br /&gt;
　近年は、個性とかオリジナリティとかの言葉が、魔法のように人を束縛しているのではないでしょうか。自己表現、自己実現もおなじです。人間には人に自慢できるほどの個性などないし――自慢できない個性ならいくらでもあるでしょうが――あらかじめオリジナリティのある人などいないのです。貧弱な自己を表現しても実現してもアカの他人――読者――は、ちっともおもしろいとは思いません。それは多くの場合、迷惑です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　長谷川伸は明治17年（1884年）の生まれです。ということは、白樺派と同年代だということです。明治16年に志賀直哉、明治18年に武者小路実篤、明治19年に石川啄木が生まれています。&lt;br /&gt;
　長谷川伸は学校的サークルのなかで生きるという経験をまったく持たなかった作家で、その点は芳川英治、山本周五郎とよく似ています。啄木は盛岡中学に5年生までいましたけれども、長谷川伸の場合は、小学校に2年しか行っていない。横浜の港で働き、自活を余儀なくされた少年期を送りました。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
　たしかに下層ではありますが、こうした職人仕事には技術力と粘り強さだけではなく、人間関係の調整能力、すなわち差配の力が重要です。時に腕力と度胸が試されもしたでしょう。そういうきびしい環境でなんとか生きてきたこの人には、生活者、統率者、調整者としての才覚があったのだと思います。これも大衆小説家の特徴といいますか、条件です。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　純文学系では同人雑誌があふれかえっていましたが、その多くは旧制高校を中心とした学校敵つながりから生まれたものです。野球と純文学は日本では一時、学校敵なものの専有物だったのです。一方、大衆文学の作家は低学歴もしくは実業学校や専門学校の出身者が多く、もともと文学を論じたりする環境にはいなかった人がほとんどでした。彼らにとって文学とは論じるものではなく書くものでした。また専業作家として身を立てるつもりであった彼らは、自己表出のためではなく、読者のために書きました。純文学はおおまかにいってですけれども、漱石の作品などを例外として、自分と文学仲間のために書かれ、大衆小説は読者と作家の生活のために書かれました。自分と分が期仲間のためという書き方を、生理的にも経済的にも意図して咲けた人びと、それが大衆小説作家であり時代小説作家だということもできるでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）&lt;br /&gt;
　実際、大正時代の大衆は、躍動感と野放図さをないまぜにした独特の空気を日本社会にもたらしました。「大正デモクラシー」とは、民主主義への傾きと衆愚政治への傾きとの際どいせめぎあいだったといえます。現代にちょっと似ていますね。古い、江戸・明治的モラルは捨て去られ、しかるに時代に対応する新しいモラルはいまだ見出せない、そういう人心の混乱期は明治末年からすでにはj待っていました。&lt;br /&gt;
　司馬遼太郎は日露戦争を「坂の上の雲」で書きました。それは、官・軍・民一体となって長い坂を登るような、国民の創生の物語でした。しかしその登りつめた「坂の上」に広がっていたものは、経済と欲望が人々を支配する雑然とにぎやか、かつ騒々しい世界でした。持ち路戦争後、「国民」はそのまま「大衆」になりかわったのです。&lt;br /&gt;
　鴎外が歴史小説を書きはじめたのはそういう時代です。自由は規律とモラルがあって、初めて謳歌され得る、野放図な自由は自由の名に値しない、それはただの自堕落と、むきだしのエゴの突出に過ぎない、そう鴎外は考えました。その結果の歴史小説です。&lt;br /&gt;
　そこには、封建期を未開の遅れた時代とみなす時代の気分への強い反感がひそんでいました。江戸時代をなんら学ぶべきものの無い時代と考え、そう教えていた度合いは、現代より明治の方がはなはだしかったのです。（後略）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　大陸アジア、中華文明圏では、連綿たる血のつながりのなかに自分の場所を見出し、人は安定するのだと申し上げましたね。日本は中華文明の外延ですからそうはいかない。しかし近代的自我意識だけでは心の安定を得るにはとうてい不十分だということは、昨今の現代文学を読めば、いや、あなたがた自身の心のうちをのぞいてみればわかるでしょう。なにかのつながりの中にいないと不安でしょう。だから、終始メールでつながりを確認するのではありませんか。&lt;br /&gt;
　人間は宿命として社会的生物なのです。鴎外は、そのうえに歴史的生物という考えを持ち込みました。歴史のつらなりのうちに位置する自分を発見するとき、心は安定する。相手はとうに死んだ人たちで、その人の業績と心事に寄り添うわけですから喧嘩などしない。しないというより、できないわけです。その人が生きていれば気になる癖も無視できる。相手の返信を待ちくたびれていらいらすることもない。まことに、歴史にはたのみ甲斐があるというものです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　いいかえれば彼ら（小説に登場する武士）は未来の人々を信用しています。歴史の連続を信じているといってもいい。彼らは現在に生きて死ぬのではなく、死んで未来に生きようとしたのです。歴史認識を持つということは、だいいちに過去を差別しないということですが、それはとりも直さず未来にあらかじめ失望しないということでもあるのです。過去を自己都合によって解釈すること、またその解釈を他者に押し付けることが歴史認識では断じてありません。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
　鴎外の歴史小説、史伝は、文学の主流と思われていた純文学にではなく、大衆小説、時代小説と呼ばれた系譜のなかに受け継がれてゆきました。昭和初年以来のその読者たちは、アナクロニズムやレトロで時代小説を愛したのでは必ずしもないと思います。それは、「進歩」や「改造」を疑うセンスが普通の人々のあいだに伏流していたからであり、「進歩」や「改造」を奉じる人たちのようには過去を差別せず、過去から未来への連続性というものをなんとなく信じていたからではないでしょうか。そうして、この本でとりあげてきたような作家たちによって時代小説が多く書かれ、また読まれてもきたのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/59842256.html</link>
			<pubDate>Tue, 31 Aug 2010 15:06:51 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「おじさんはなぜ時代小説が好きか」　関川夏央　①</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/259743/07/59839207/img_2?1283331129&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_221_320&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『おじさんはなぜ時代小説が好きか』　
★著者　関川夏央
★発行　岩波書店
★発刊　2006年02月21日
&lt;/pre&gt;

　著者の名前とタイトルに魅かれて、つい手に取り、つい読みふけってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　著者がまだ有名になる前なのだが、70年代に漫画アクションという週刊誌があり、漫画雑誌なのにコラムが充実していた。呉智英なんぞも書いてたのだが、関川の文章に関心してた。後に、確か巨人の投手で韓国プロ野球の監督となった在日を描いたノンフィクションで世間に認められたはずだ。さらに80年代に入り、ビッコミに連載された明治時代の文豪を描いた漫画の原作でも何か賞を受賞した。新聞などで在日であることを知り、その博識と「日本」に対する理解の深さに驚いた。まあね、驚くこともないわけで、最近でも姜尚中なんて学者もいるのだ。&lt;br /&gt;
　読みながら、何度も本を伏せて黙考する。中でも、「合鍵を持った歴史観」という表現に強く同感する。個人的に言ってきたことだが――太平洋戦争の背景理論として批判される「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」について、あのような時代にあのような「理想」を構築したことは評価されるべきなのだ。実際には日本のアジア侵略に結びついたとはいえ、欧米列強の植民地主義に対するアジア的思想として誇ってもいいだろう。&lt;br /&gt;
　いろいろ考えさせられる書籍なのだが、抜粋だけをしておく。後日、書き足していくつもりだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　時代小説がどの時代を描くかというと、一般論としてですけれども安定していたと認識された時代をえがきます。つまり江戸時代ですね。そして、270年もある江戸時代でも、さらに安定した文化成熟期を舞台に採ることが多いのです。文化、文政と天保年間です。（中略）……時代小説は安定した社会の安定した暮らしをえがくのが目的だから、そぐわなくなってしまうのです。&lt;br /&gt;
　かつ、小なりと言えども日本型文明は、文化・文政年間に完成している。それは超エコロジー型の安定した、基本的に飢えのない社会です。この時代こそ現代人のセンスの故郷です。（後略）&lt;br /&gt;
　つまり、より現代人の原型と現代人の母型をナマに、またウブにえがいても違和感はない。その意味で、ほとんどの時代小説は現代小説だといえます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　一般に時代小説作家は、近代外国文学と外国映画の影響を強く受けています。彼らが直接的に影響を受けないのは、日本近代文学です。しかし結果として、「樅ノ木は残った」は近代文学的書き方を時代小説で踏襲する作品となりましたが、彼らが距離を置きたがるのは夏目漱石や森鴎外ではなく、大正期以降の文学です。理由はそれが学校文学、旧制高等学校の文芸部出身の　大正期は大衆化の時代であり、同時に教養主義の時代でした。いいかえると、すでに身分差別はなく、ただ学力と学歴のみで貧乏人の子でも出世できるとということです。そのような大衆の教養主義的気分の飢えを満たす小説家という職業が生業として成立しました。小説家はもう新聞社の社員作家とならなくても生きていくことができるようになりました。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
　社会がこのような空気のなかにあった大正時代に、芳川英治や山本周五郎など時代小説の作家たちが作家的出発をしたという事実は重要です。教養を求めつつも官僚や大会社の社員にならず、あるいは官僚や大会社の社員になれず、市井にあって自活しようと苦闘していた彼ら、芳川英治の8歳年長の長谷川伸も含め、時代小説とは、教養主義の洗礼を受けた大衆のうちの文学的かつ野心的であった人びとが、難解さと西洋哲学の直訳調を排除しながら発想した新しいジャンルだったのです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　宮本武蔵については、山本周五郎だけでなく藤沢周平、司馬遼太郎など、他の有力な作家たちも書いています。それは吉川「武蔵」を誰もが読んでいるという前提のもとに、吉川「武蔵」のイメージをひっくり返したり、吉川英治とは別の角度から武蔵に光をあてようと試みたもので、それほど吉川「武蔵」の存在は大きかったのです。&lt;br /&gt;
　藤沢周平は、技較べをしようと出向いてきた若い武芸者とは、正面からの戦いを避け、策を弄して殺してしまう初老の武蔵をえがいています。ここには、天才的剣客もまた一般人のように加齢し老衰するというリアルな主題が見えます。&lt;br /&gt;
　司馬遼太郎の場合は、武蔵の天才は認めつつ、天才であるがゆえにその技術を普通の人には伝達できないというジレンマをえがきます。「教育」という手段で伝達できるものだけが技術の名に価するという司馬遼太郎の確固とした思想がここにはあります。「教育」になじまない「天才」には意味がない、それは所詮芸術にすぎないという考え方です。二人の偉大な作家が、吉川「武蔵」から発想して、自分の本質をあらわにしています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　作家が彼の生きた時代の価値によってではなく、その主人公が生きた時代の価値でえがこうとした小説は、たとえば森鴎外の作品です。「殉死」とか、名誉を守るために一族あげて藩主と闘争し、全滅するといった、近代価値では理解できない行動をえがいた「安部一族」などは、史実に即したという意味だけではなく、当時の人間の行動を現在の目で批判していないという点で、時代小説ではなく歴史小説と呼ばれます。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　過去を裁くのは、歴史の結果を知っている限り、かなりやさしいのです。福田恆存のいう「合鍵を持った歴史観」ですね。いかに裁判官にならずに歴史をえがけるかが問題です。その実践のひとつが司馬遼太郎の「坂の上の雲」ですが、すぐれた大衆小説はつねにそういうことを目指しています。「おじさん」が時代小説を好む理由のひとつでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　『真説宮本武蔵』で彼（司馬遼太郎）は、伝達できない技能は技能ではないと強調しつづけます。だから「天才」宮本武蔵に司馬遼太郎は興味がない。、宇佐市の「天才」は所詮一代の技にすぎないからです。ひるがえっていえば、「天才」の伝達も思想の伝達も不可能だが、方法の伝達はできるはずだし、それが「教育」であるということです。つまり、教育できないものは文化ではない、一瞬の芸にすぎない、という考えが彼のなかには濃厚にありました。反芳川「武蔵」ですね。司馬遼太郎が近代的作家、なかんずく戦後的作家と称されるゆえんです。&lt;br /&gt;
（中略）&lt;br /&gt;
　重ねていいますけれども、才能と志と方法論を持った個人が他者に影響を与え――すなわち教育――それがやがて多くの人をまきこみながらうねりとなって歴史をつくる、屹立したひとりの天才は孤立した病人にすぎない、こういった考えが司馬遼太郎には徹底してあり、それこそが司馬遼太郎が広く読まれるひとつの理由です。近代文学はある意味で天才主義でしたから、その意味では反近代文学の部分を、彼ははっきりと内包しています。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　司馬遼太郎がより司馬遼太郎になるのは、「坂の上の雲」からです。「坂の上の雲」は1968年から72年まで書かれました。左翼的気分が社会を覆い、とくに青年層はそれを前提としていたような時代に、当時は侵略戦争の先駆けとみなされていた日露戦争の話をあえて書くのだから、司馬遼太郎は戦闘的な作家でした。そして事実、彼はその作品によって戦後の固着した日露戦争観、また進歩的歴史観によって「暗い」とされていた明治のイメージを大きく揺るがしました。&lt;br /&gt;
　もうひとつ重要なことは、それまで文学の対象ではないと考えられていた政治と軍事をあつかったことです。「坂の上の雲」は、明治18年、東海散士の「佳人之奇遇」以来の政治小説であるとも、また全体小説であるともいえます。文学に多くを期待し、飽くことない事実への接近努力と言語表現の技術とをもってその期待を0実現化したという意味で、いわゆる純文学作家より、いわゆる大衆小説作家のほうが果敢であり、文学の幅を広げたといっていいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　小説は何も立証する必要はない。何も教える必要はなく、政治運動や社会運動と何も関係もない。小説家は文学の職人であればよろしい。これがポピュリストの純粋小説論で、彼らの戦闘語は、だから（小説のための小説）ということになる。&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　――「北ホテル」の解説、訳者：岩田豊雄（獅子文六）&lt;br /&gt;
　小説は自分のような読者のためにある、と考えた彼（藤沢周平）が実作者となったときには、他者――読者――を強く意識するようになるわけです。小説は小説家のためにあるのではに、読者のためにあるのだ、ということです。この、生と死の境界線である療養所で、小菅留治は藤沢周平になりかわる第二のステップを踏んだのでした。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（前略）サラリーマンや小役人、すなわち普通の暮らしを営んでいる人を決して見下さない、普通とは、むしろ努力によってのみ維持される得がたい状態なのだと考える、そこに藤沢周平文学の本質があり、「おじさん」たちに愛される理由があるのだと思います。&lt;br /&gt;
　苦学生、教員生活、療養生活、サラリーマンを経たことがかれの文学に含蓄を与えました。その意味で44歳での出発は幸運でした。早いデビューは多くの場合不幸です。書くことと生活することのバランスがとりにくいからです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　人間はときに勇気ある存在であるとか、名誉のためには命を惜しまないとか、あるいは愛は文字通り無償の執着であるとか、そういうことを書くために作家は時代小説を選ぶことがあります。また、読者には文学になにかピュアなものを探そうとする本来的な性向があり、それを人生の慰安としたがる傾向があります。「おじさん」の時代小説好きの理由のひとつはそれでしょう。&lt;br /&gt;
　乱暴で残酷な時代小説は誰にも愛されにくいのです。古くさくてピュアなものがリアリティと説得力を持つのは、過去の物語として、現在から一度断ち切られる必要があるようです。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/59839207.html</link>
			<pubDate>Mon, 30 Aug 2010 15:47:21 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「鬼平犯科帳　２０」　池波正太郎</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/1462822/76/58616376/img_0?1283133690&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_168_240&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『鬼平犯科帳　２０』
★著者　池波正太郎
★発行　文藝春秋（文春文庫）
★発刊　1991年04月10日
&lt;/pre&gt;

　あははは、前巻に続き細川峯太郎の災難が「二度ある事は」で書かれている。今回は、事前にちゃんと長谷川平蔵に断りを入れて墓参りすることになるのだが、またもや事件に巻き込まれ（？）、失態を見せることになる。行かなくてもいいところまで足を伸ばし、見てみぬふりせずに盗賊を追っかけるから、しなくてもいい失態をしてしまうのだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;（さて、どうしたものか……？）&lt;br /&gt;
　細川は、今日のことを長官・長谷川平蔵へ報告していない。&lt;br /&gt;
　瀬川の友次郎一件の小間物屋は、お長の茶店のとなりにある。&lt;br /&gt;
　今日のことを告げれば、自分が、お長の茶店へ近づいたことを平蔵にさとられてしまう。それが怖い。&lt;br /&gt;
　報告しようとして、しきれなかった。&lt;br /&gt;
　だが、報告をしなければ、見張り所を設けることもできぬ。&lt;br /&gt;
　いまの細川峯太郎は、平蔵のお供をすることもなく、単身で深川方面の見廻りを受けもっていた。&lt;br /&gt;
（どうしよう。おもいきって、申しあげようか……いや、そうしなくてはならぬ。たとえ、お叱りを受けようとも、そうするのが、おれのつとめだが、なれど怖い。あの長谷川平蔵に睨まれるかと思うと、寒気がしてくる……）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　不審な細川の態度から気づいた鬼平は、盗賊どもをひっとらえ、縛り付けた後に役宅に運び込む。そこに細川を呼び出し、荷車の中から盗賊を引きずり出す。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　中から転げ落ちたのは、手足を縛られた三雲の利八以下5人の盗賊どもである。&lt;br /&gt;
　細川峯太郎は、目を白黒させ、五体をふるわせて言葉もない。&lt;br /&gt;
　その細川を、じろりと睨んだ長谷川平蔵が、&lt;br /&gt;
「細川、ついてまいれ……」&lt;br /&gt;
　と、いった。&lt;br /&gt;
　その瞬間、細川峯太郎は意識をうしない、くずれるように敷石の上へ倒れ伏してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　本書で笑ったのはもう1箇所あり、「顔」に書かれた岸井左馬之助をからかう場面なのだが、この転記は省略する。妻の久栄「何が、おもしろいのでございます？」「ま、いやな笑い様をあそばしますこと」「「おやめあそばせ」と再三再四、とどめても言うことを聞かない。平蔵（池波）のユーモアは、加虐的な側面を持っている。平たく言えば……意地悪い。あははは。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;※初出：「オール讀物」昭和54年8月号～10月号、55年2月号～5月号に連載した七編。単行本は55年6月に刊行。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/58616376.html</link>
			<pubDate>Tue, 01 Sep 2009 14:33:26 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>「鬼平犯科帳　１９」　池波正太郎</title>
			<description>&lt;p class=&quot;img&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-89-0c/makoton243/folder/1462822/51/58612651/img_1?1252054962&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_168_240&quot;&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;pre class=&#039;wiki&#039;&gt;★題名　『鬼平犯科帳　１９』
★著者　池波正太郎
★発行　文藝春秋（文春文庫）
★発刊　1990年10月10日
&lt;/pre&gt;

　雑に読んではいけないと思うのだが、これだけシリーズが続き、まだ後（残り）があると思うとイッキ読みしてしまう。読んだ後にメモするために再度、部分的に拾い読みするのだが、「丁寧に」読んでいるとは言い難い。&lt;br /&gt;
　読んでる最中に付箋（ポストイット）したのは1箇所で、その理由はハッキリしている。ココって前に読んだ覚えがあるのだ。情けないことに、イントロで再読に気づかず「濡れ場」で思い出すのだから、うむ、欲求不満なのかしらん。&lt;br /&gt;
　つまり、本書は初読ではなく再読であって、それが何時ごろかは覚えてない。池波に珍しい「濡れ場」記述であり、さすがに時代小説の大御所らしく、時代がかった記述であるから記憶に残ってたようだ。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;quote&#039;&gt;　石畳の上へ畳を4枚ほど敷き、屏風で囲った中で、おりつは何日もすごしてきたのである。&lt;br /&gt;
（ああ……このままでは、気が狂ってしまう……）&lt;br /&gt;
　おりつは、ほとんど手入れもせぬ髪の毛を掻きむしった。&lt;br /&gt;
　そのとき……。&lt;br /&gt;
　切穴の口があき、大きな男の影が団梯子を音もなく下りて来た。&lt;br /&gt;
　片眼の浪人だ。&lt;br /&gt;
　片眼は、いつものように屏風の内へ入って来て、身を竦めているおりつの背中にまわり、声をかけることもなく両腕をのばしてきた。&lt;br /&gt;
　おりつは、もうもがく気力も体力も失っている。&lt;br /&gt;
　いつものように、浪人の重い身体がのしかかってくると、目を閉じているより仕方もなかった。&lt;br /&gt;
　浪人の手が動きはじめ、おりつの身体から衣類が剥がれてゆく。&lt;br /&gt;
　浪人の手が、おりつの乳房を、肌身を嬲りはじめた、&lt;br /&gt;
　やがて、片眼の浪人の手が、足が、たくましい身体が凶暴な熱気をはらんできて、ついに、たまりかねたおりつの悲鳴が起こった。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;

&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　なぜ「時代がかった」という表現なのかと言うと、やはりジェンダーに規定（制約）されたマッチョイズムに支配されてる感じがあるからだ。別な表現で言うと、男と女の関係（情事）は「支配＝被支配」でありSMの色彩が濃くなることにある。&lt;br /&gt;
　江戸時代というのは、日本独特の「性に対しておおらかな」気運を儒教という輸入もんの戒律で縛ってた時代であり、「イエ」意識の強い武家階級や農工商の上層部で「（性ではなく）性交」が階級社会の重要な構成要素であったのに対し、下層階級や貧農などの地方社会ではあからさまな「性」や娯楽としての「性交」が認められていた。つまり、フリーセックスの社会があったということだ。&lt;br /&gt;
「イエ」意識とは無縁な階級社会では、祭りのような非日常的な時だけでなく、若衆宿といった若者の集まる場所があり、双方の気分がのれば何時でもセックスの機会があった（と読んだ覚えがある）。もちろん子供が生まれることもあるが、「父（てて）なし子」に対する社会的認知もおおらかであった（はずだ）。&lt;br /&gt;
　うろ覚えの記述はやめにするとして、時代小説、特に江戸ものを読んでて些かの不満が生じるのはそこにある。つまりだ、吉原や岡場所の存在や営業システムに対してアプリオリに存在肯定しながら、なおかつ家意識の支配する町人社会を是認する書き方(記述）が気に障るのだ。今はともかく、以前は書物だけでなく雑誌や映画たTVなどで江戸時代がステロタイプに描かれ、それをまともに受け止める風潮があった。それは今でも共通するものがあり、単なる「江戸回帰」（懐古趣味）で時代ものを読む輩も多いだろう。根強い時代小説人気というのは、そんな層で支えられているような気がする。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　まあね、エンターテイメント（大衆小説）なんだから、重箱スミやったり大仰に取り組む必要性もないんだけど。同じような構図の逆の展開が、今回の総選挙（解散⇒告示）でも見られ、何か不自然な方向で進んでいるような気もする。結果がどうであれ、「それなりの国民にはそれなりの政治家」だっけか、「それなり」の政権交代となって、未熟な民主主義を露呈することになるだろう。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;※初出：「オール讀物」昭和53年12月号～54年7月号まで連載した六編、単行本は54年12月に刊行。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/makoton243/58612651.html</link>
			<pubDate>Mon, 31 Aug 2009 18:16:54 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
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