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愚者の税金?
田村正之

 2月から今年最初のジャンボ宝くじ「グリーンジャンボ宝くじ」が販売された。一等賞金が1億5000万円、前後賞合わせると2億円があたる可能性もあるだけに、「もしや」とつい期待してしまう。しかしそもそも宝くじというのはどれくらいの確率で当選するものなのだろう。

 まず特徴的なのが、他の公営ギャンブルに比べた還元率の低さだ。宝くじの場合は賞金として還元されるのは購入者が支払った金額の46%に過ぎず、半分以上は自治体による公共事業費や手数料に使われてしまう。
 ちなみに同じ還元率で見るとスポーツくじ(toto)は50%、競馬など公営レースは75%、パチンコは97?98%、シャモ賭博は90%だという。宝くじがいかに不利なギャンブルか、一目りょう然だろう。ちなみに株の場合、手数料はすでにネット取引なら0・1%程度に下がっているので還元率は100%近いと言える(自分に返ってくるか、別の投資家に返っていくかは別だが)。

 宝くじは還元率が低いので、当然ながらあたる確率も低い。年末ジャンボ一枚あたりの一等が当たる確率は千万分の一なので〇・〇〇〇〇1%。二〇〇一年に交通事故で亡くなった人が八千七百四十七人、日本の人口が一億二千七百万人なので、僕たちが一年以内に交通事故で死ぬ確率は0・00六九%。宝くじの一等があたる確率はそれよりはるかに低いわけだ。
 これほど割りの合わないギャンブルは極めて珍しいだけに、識者の中には「宝くじは、当せん金で楽して人生の一発逆転を願う人の、弱みと無知につけこんだある種の税金。言葉は悪いが、愚者が払わされる税金」とまで言う人もいる。

 まあ、それでも好きで買うのだから仕方がないかもしれない。しかし、それが回り回って経済の活力をそいでいる可能性すらある。冒頭も述べたように、販売額の多くが、決して効率的に使われているとは思えない自治体の公共事業費などに消えていくからだ。
宝くじの年間販売額は一兆円を超えていて、これが市場で使われていたなら、その分だけ消費や雇用が大きく増えていたかもしれない。そう考えると、宝くじの罪は国民経済的にも大きいとさえ言える。

しかし考えてみると、僕らは実は、こうした「愚者の税金」を宝くじ以外にも払っている。日銀の資金循環表から算出すると、個人の金融資産のうち4割強が、国債や財政投融資に回され、道路や橋、役人の天下り退職金など、非効率な使われ方をしているからだ。
「4割強」というと、自分はそんなに国債を買っていない、と思う人が大半だろうが、預貯金などに投じた部分が間接的に国債や財政投融資に流れていっているので、その合計が最終的に4割強になるという話だ。

本来、資本主義の成長のエンジンは企業だが、企業の株式にはそうした間接的な投資を含めてもあわせて15%程度しか国民の資金が使われていない。国債や財投に向かう比率は米国などより高く(多分、10%ポイント以上は高いのではないか)、企業の株式に向かう分は米国などより低い。日本経済の低迷の大きな、そして致命的な要因は、こうした資金配分のシステムの非効率性にあって、しかもそれはここ数年はより悪化している。こんなことを繰り返しているのだから、そりゃあ経済の低迷も長引くだろうし、財政も破綻するだろう。
一方、米国があれほど貯蓄不足でありながら経済が成長することについてグリーンスパンFRB議長は「資金を効率的に配分できるマーケットを我々は持っているからだ」と発言している。最近、安易な日本復活論が再び台頭しているが、人口減と資金配分の非効率を考え合わせた場合、やや楽観的に過ぎるだろう。

 そんなことをぐだぐだ書きながら、実はこれを書いている僕も、何回かに一度はつい宝くじを買ってしまう。楽をして一発逆転をしたいという甘い気持ちがどうしても消えないからだ。まあ、そのへんが「愚者」たる所以なのだろうが。 

どうする?公的年金

世を挙げて年金問題が語られています。
「老後の生活」などまだまだ先の話と思っていた私でさえ(今42歳ですが)、あれこれと気になります。

なぜいま国民は年金に不安を感じるのでしょうか?
ここではいまの年金制度が抱えるいくつかの問題について考えてみます。

問題その? 年金を払う人が減っている!
そもそも公的年金制度は「賦課方式」によって成り立っています。
この「賦課方式」、聞き慣れない言葉ですが一言で言えば、「あなたの年金は、あなたの後に生まれてくる加入者が払ってくれますよ」という制度です。
それに対して民間の生命保険は「積み立て方式」を採用しています。自分の将来に向けて自分が積み立てるというものです。民間では他人が自分の将来受け取る分まで支払ってくれるなんて方式は、ありえませんから。
では、なぜ公的年金はそんなことができるのでしょうか?
公的年金は、「国民に対して加入を強制できる」からです。

しかし、この賦課方式は今二つの点から、機能しなくなっています。
一つはその強制力がきかなくなったこと。
現在国民年金をちゃんと支払っている人の割合は6割ほど。
なんと、4割の人は未納で、しかもその割合は年々増え続けています。
「国の強制力」が、無くなりつつあるのです。
もう一つはこの国の「少子高齢化」。
賦課方式というのは「後の世代が前の世代の年金を払う」方式なのですが、少子高齢化社会では後の世代が減る一方で、受け取る世代はどんどん増えていきます。
ですから、現役世代への負担が永久に増え続け、いずれ制度そのものが崩壊してしまう可能性があるということです。

そして問題その? 年金運用の失敗!
ここ数年、公的年金の運用の失敗例が後をたちません。
「サンプラザ中野」「スパウザ小田原」・・・いずれも公的年金の資金で「福利厚生」のため作られ、結局運用難から二束三文でたたき売りされた施設です。
さらに、この10年以上にわたる株価下落で、運用失敗による累積赤字は数兆円にのぼるといわれています。
もし生命保険会社が同じ状態になったら、すぐ契約の解約が殺到して倒産となっているでしょう。
しかし公的年金は「契約者」が解約することはできません。もちろん倒産することもないはずですが・・・

問題その? 増す不公平感!
さらに、制度が社会の構造変化に適応しなくなったことから、加入者の不公平感が増しています。
国民年金加入者と厚生年金加入者、専業主婦と兼業主婦の間にある負担差によって不公平感が増えています。いわゆる「1号、2号、3号問題」です。

国民をたった三つのカテゴリーに種類分けするなんて、そもそもおかしいと思うのですが、制度がつくられた時点では誰もそう思わなかったのでしょう。
しかしこうした種類分けも、特にこの10年ほどの社会の構造の大きな変化によって、明らかに無理が出てきています。

その1 不況と終身雇用制度の崩壊!
まず第2号被保険者、いわゆる2号というのは厚生年金に加入するサラリーマンと公務員です。
この人たち、かつては、終身雇用・年功序列という制度に守られて、最も安定した職業といわれていました。
しかし、長引く不況と終身雇用制度の崩壊、さらに定年の引き下げと受給開始年齢の引き上げで、もはや「自分の身は自分で守らざるをえない」状態に追い込まれています。
さらに2号は、基礎年金のほかに報酬比例部分(いわゆる2階部分)も払うため「重保険料感」がある一方で、保険料は源泉徴収されるのでいやがおうにも支払わざるをえません。そういう意味では「年金の優等生?」と言えるかもしれませんが。

では比べて第1号被保険者はどうでしょうか?
1号はサラリーマンと公務員以外のすべての人たち(2号の専業主婦を除く)で、国民年金に加入しています。
いわゆる自営業の人たちですが、職種は弁護士や医者から学生、フリーター、そして無職まで、渾然一体となっています。
しかしそれだけ所得にばらつきがあるのにも拘わらず、支払いは誰でも月額1万数千円です。所得が低くなればなるほど、保険料の負担が増す制度といえます。
これだけでも何か釈然としないものを感じますが、さらにこの1号の加入する国民年金は、未納率が4割となっています。
どんな保険でも、4割の未納があればまちがいなく破綻するでしょうが、なぜか国民年金は破綻しません。
その未納部分は、厚生年金の2階部分で補填していると思われますが、実態はどんぶり勘定すぎてよくわかりません。
ただ、1号、2号ともに、今の状態はとても理不尽なものと感じているのは事実だと思います。

その2 女性の社会進出!
そして第3号被保険者。サラリーマンの専業主婦で、130万以上の所得のない人たちです。所得がない分年金は支払いませんが、サラリーマンの夫が支払う厚生年金によって、将来的には基礎年金を受け取ることができます。
しかし一方で働いて130万円以上稼いでいる女性は、主婦であろうとなかろうと、2号となって年金を払い続けます。
同じ主婦でありながら働くと年金を払い、働かないと年金を払わないがもらえるという制度設計が、今不公平感を広げています。
そもそもこの制度ができたころには、ここまで女性が社会に進出し働くということが全く予測されていなかったと思います。
さらに言えば、「家庭は女性が守り、男性は働くもの」という社会通念が当たり前の時代であったため、制度もそれをもとに設計されたということでしょう。

ここまで挙げてきたさまざまな問題を抱える年金制度。
ではこの将来不安と不公平感を解消する方法はあるのでしょうか?

私は「保険料をやめて消費税にする」しかないと思います。
保険料負担が現役世代に集中すればするほど、社会の活力は失われます。
さらに、今の制度設計では世代間のみならず職業間でも不公平感が増します。社会の活力がなくなり、制度への不信が広がれば、やがて年金制度は崩壊するでしょう。これは遠い将来ではないのです。

負担を公平でわかりやすいものにするためには、保険料から消費税への移行がもっとも現実的ではないでしょうか?老若男女すべてが公平に負担しますし、しかも「未納」ということがなくなります。
受け取りも生活保障を基本とした基礎年金部分のみとすれば、あとは国民一人一人が自らの老後の人生設計にあわせてお金を使ってゆくことになります

では制度の変更によって、今までの制度の中で現役世代が支払っていた保険料や、受給世代が期待していた年金はどうなるのでしょう?
現在国が持つ年金の積立金は130兆円にのぼるそうです。
ある移行期間を設けて、これを取り崩し分配していく制度をつくることが、最も現実的ではないかと思います。

よく「年金は社会福祉なのか?それとも老後に向けた資産運用なのか?」という議論があります。
私は社会福祉だと思っています。
働いてお金のある世代が働けなくなった世代を助ける福祉だと思いますし、だからこそ公平に皆がそのコストを負担する制度が必要だと思います。
そもそも国家が個人の資産を運用する必要などないですし、それは国民が個々にリスクをとって行えばいいのです。

司法制度改革に見る日本型改革の緩慢さ
田村正之

司法試験を目指している30歳台前半の若い友人がいる。3年前に勤めていた会社を辞め、勉強に専念している。この間久しぶりに電話してみたところ、3年連続で短答式試験で落ちてしまい、論文試験にさえ進めない状況だという。今年の夏には応援してくれていた母親を病気で亡くし、随分落ち込んでいる様子だった。どんなにか、生前に合格を連絡してやりたかっただろうかと考えると、こちらまで切なくなった。
友人の不運に少し感情的になっているのかもしれないが、ふと疑問に思うのは、やっと動き始めた司法制度改革の内容だ。2004年に法科大学院(日本版ロースクール)を創設、毎年の合格人数を現在の3倍にあたる3000人に拡大しようというもの。小泉首相は2年前、これを打ち出した司法改革審議会の答申に対して「最大限尊重する」と表明、かねてから指摘されてきた法曹人口の拡大に道を開くものとして、日本版構造改革の先行事例として評価する声もあった。
しかし、ちょっと待ってくれ、と言いたい。あまりにも改革の内容が緩やか過ぎるのではないかと思うのだ。弁護士、裁判官など法曹一人あたりの国民の数は、米国二百九十人に対して日本は六千三百人。二十分の一以下だ。先進国の中で法曹人口が最も少ないフランスと比べも四分の一に過ぎない。
これがどれほどの弊害を生んでいるか。国境を越えたM&Aが増加する中で、今や企業のニーズに答えるには法律分野の強化が不可欠。企業の組織再編やプロジェクトファイナンス、海外企業との訴訟、コーポレートガバナンスの強化など法曹の専門家へのニーズは高まるばかりだ。経済競争力を支えるインフラとしてあまりに脆弱であるばかりか、普通の市民生活の上でも司法サービスを気軽に受けづらいことが様々なひずみを生んでいる。
そして友人のような司法試験受験生は、合格率3%という「人生を賭けたクジ」のような試験に挑み続けなければならない。
合格者増という司法改革の中身は前向きには違いないが、問題はそのスピードだ。マスメディアはほとんどこれについて指摘していないが、実は年間3000人では、人口比でフランス並になるだけでも実は20年近くかかる。あまりにも緩やか過ぎる改革というしかない。それまで貧しい司法インフラで我慢しろということなのか。合格者数は倍の6000人でも少なすぎるくらいだろう。
なぜこれほど骨抜きの改革案になったのか。法曹人口が増えることを嫌がる日弁連への配慮だろう。日弁連は今回の法曹人口の緩やかな増加に対してさえ、「ほとんどつかみ合いのケンカ」(出席した弁護士)のような総会でやっと認めたという。既得権益を守るギルドと化した業界に対して自民党が歩みより、国民が不利益を受け続ける構図は、道路や医療、農業だけでなく、司法の領域でも同じなのかもしれない。
つまり司法制度改革は、日本における他の様々な構造改革と進み方がなんだか似ている。ようやく改革に着手したのは事実だし前進なのだが、スピードは遅く、内容も既得権益に配慮しながらの緩やかなものであることだ。経済のインフラとしての司法の再生は、もしかして間に合わないのではないかとも思ってしまう。

こう書くと「司法のような重要な領域で、数をむやみに増やすと質が落ちる」という反論が決まって出てくるが、もはや「入り口」で国が選別するのではなく「市場において競争によって淘汰させるべき」であるのが成熟した社会のあり方だろう。
「質が落ちる」などという議論は、国民の命にかかわる医療の分野で、ある程度の財力があるだけで医者になり自由に診療をさせるという、恐ろしい状況を放置している中でなされるべきではないと思う。

2003/11/4
少子高齢化と移民政策

先日の日経新聞で道路公団民営化委員会の川本裕子さんが、「少子高齢化」についてインタビューにこたえていました。
その中で、年金制度を支えるために移民受け入れが必要だという議論に対して、彼女は「それで少子化を補正できるというのは錯覚」とおっしゃっていました。

この議論について同じように違和感を覚えている者として、私も「移民受け入れ政策のリスク」について述べたいと思います。

私は「人種のるつぼ」といわれるニューヨークに4年ほど住んでいたことがあります。
当時米国は、「開かれた国家」として移民受け入れ政策を取る一方で、そこから生まれる人種・宗教・言語・生活習慣上の様々な軋轢や、雇用・教育・治安へのコスト負担に苦しんでいました。そしてそれは今も変わらないと思います。

移民を受け入れるためにまず国がやるべきことは、様々な人種や宗教に対して寛容さを持つということだと思います。
そして国民が、日本人としての確固としたアイデンティティを持つことも必要です。
そうでない状態のまま異文化の流入を受け入れると、国民全体に排他的な精神が広がりかねません。

さらに国家として彼らの生活安定のために、雇用や教育・治安対策の膨大なコストを払う覚悟も必要となります。
そうした認識を今のこの国が持っているとは思えませんし、そうした環境や教育に接した経験がある国民はほんの一握りだと思います。

そもそも年金制度の崩壊は、少子高齢化への対策を先送りにしてきた政治と行政のつけと見るべきです。
年金制度の再構築という「痛み」に対して政治決断を先送りし、安易に「移民の受け入れ」のような議論がなされることを、私は危惧します。
まだ年金制度自体に入れるべきメスはあるし、「移民問題」は別のステージで(例えば知識流入など国家戦略として)語られるべきだというのが私の結論です。

次回は少子高齢化と育児コストの問題について触れたいと思います。

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