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昨日の続き・・・
昨日、記事をアップした後私の脳内暴走が始まり… 日本人なんだから英語の語源より日本語を知らないとだめだろう…と、漢字について考えてみた。もちろん子供のころから慣れ親しんでいるし、漢字の成り立ちも習ったが、ゆっくり考えてみるのは久しぶり。
甲冑文字は古すぎるのでパスして、象形文字は読んで字のごとく物の形の特徴から作られている。その他形に表せない言葉や記号の類ももちろんあるが、部首について考えてみると圧倒的に形からきているものが多い。
木、水、土、火、金、日、月、雨、田、石、谷、山、虫、王、人、女、耳、目、手 ・・・まだまだ。
数えられないものや状況は、 力、夕、心、欠、甘、辛、白、赤、老、西、風、長、高・・・などもう少しある。 行動を表すものには、
入、止、立、見、走、飛、用・・・まだあるかもしれないが、そんなにはないと思う。
形から出来た部首のほとんどが、自然界にあるものや身体の部分から作られているが、行動を表すものは必要最低限のようだ。対して英語の語源のラテン語を見ると圧倒的に行動・動作を表すものだ。もちろんアルファベットで物や形を表わすのは至難の技であり、象形文字で行動を表すのも難しいから当然と言えば当然なのだろうが、東洋的マインドの原型と西洋的マインドの原型は数千年に渡って毎日使う言葉の中に詰まっているということだったんだ〜と、今さらながら感心!西洋的ものの考え方を知るには、やはり語学からが一番。西洋人も漢字、日本語をもっと学んで欲しいところだが…ちなみに、英語脳になっている時と、日本語脳になっている時では、感性、行動力、人格まで変化してくる。これは、体験している人なら頷くと思うが…
ところで、漢字の発生は殷の時代というからBC.1300年頃、武丁時代になるが、武丁は賢人を重用し、殷王朝の中興を果たし、漢字も取り入れ、新しい時代を作っていったわけだから中国の歴史の中の賢帝の一人には間違いないと思うが、その頃の甲冑文字には「心」に関する文字はなかったらしい。つまり心が付く文字や「りっしんべん」で表される言葉がなかったということだから、快、悟、思、偲、忍、志、忠、恐、怒、恥、悲、想、悦、恋、慈、感etc.のような感性・悟性を表すのはどうしていたのだろう?感性、情緒を重んじる大和言葉の民族には理解し難いものがある。4000種もの漢字があったのに心がなかった??
心の付く漢字の発生は今から3000年前、周になってからと言われている。後半の東周末期に孔子が出ているが、孔子は「徳」を重んじる思想の方だから、徳という言葉はたくさん使っていたがその他の心の付く字はそうそう使っていないらしい。(漢字で読んだことがないから分からない…)そもそも実学的要素の高い孔子の時代でも、まだまだ「心」は足りていなかったということになりそう。そして、もっと使われている時代だったなら孔子の思想ももっと違っていたかもしれない。叱られそうな発言だが、孔子様のことだから、「心」はもっと違う言葉で表されていたに違いない、と言い直してみる。そのうちまた「論語」を読んでみよう。(もちろん現代語訳)というわけで、同じ漢字を使う民族でも中国(漢民族の)と大和民族とでは感性に大きな差があったり、大切に思うものに差があるのは当然なのだろう。日本は漢字の輸入と共に、儒学も取り入れて武家社会では基本的な教養ともなっていたわけだから(当時の人々は解釈だけでなく、漢詩ももちろん作ることができ、本場より優れているとも言われている。)大陸の感覚、心も多少は理解できるはずなので、孫子の兵法現代版でも考えて、もっと上手く外交ができないものか、と思う。
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目から鱗のような、東洋と西洋の違いです。
シナも孫文なんかは素晴らしい人のようですし、ほんの数百年前は仏教を厚く信仰していたわけで、おそらく共産党(漢族?)が、とにかく酷かったのだろう・・と思いますね。
2012/3/25(日) 午後 9:10 [ -- ]
hanakoさん こんばんは。
たま〜に良く考えると、いろいろな発見があって面白いですね。
孫文はクリスチャンでしたから、ちゃんと遺言に「神様を信じるように」的なことを残していたはずです。立場としては、「漢民族の国を取り戻そう」(満州族やそれを保護する日本やその他周辺民族−モンゴル族などから)の人なので、今の中国政府はその部分だけ「英雄」として使っているんでしょうね。国民には隠されている。
「言論・信教の自由」部分はは台湾にしか残っていません。台湾の人たちまでもが洗脳されないように、と祈ります。
2012/3/25(日) 午後 10:49 [ eva ]