12月8日、大阪商業大学商業史博物館に行ってきました。ちょっとゆうてみようかなって…。お時間のある方、お付き合いくださいね。 メタセコイアの紅葉が印象的なキャンパスに、古い校舎を利用した博物館がありました。大阪商業大学商業史博物館です。
今回の目的は、展覧会「明治黎明期の言論界―陸羯南・三宅雪嶺と上方の人々―」を拝見して、高木宏治先生のご講演「陸羯南とその周囲」を拝聴することにありました。
というブログがあります。
講演者の高木宏治先生が主筆をつとめる研究会のブログで、活動報告や研究成果の公開をされています。
ナゾでした。
高木先生のお話は、映像を取り入れて、わかりやすい講演だったんです。
で、日ごろの疑問も解きほぐしてくださいました。
司馬遼太郎さんと青木彰さんはともに産経新聞社の記者で、長い時間をかけて友情を育んで来られた間柄だったそうです。
後に、司馬さんは作家としての道を歩まれました。
青木さんは編集局長を経て筑波大学で教鞭をとられ、多くの学生を育てられました。
青木さんは司馬さんがお亡くなりになる時も病院に付き添っていらっしゃったとか。司馬遼太郎記念財団常務理事として、司馬文学顕彰の道筋も作って、ようやく青木さんは永眠されたそうです。
深い友情の物語……
まるで明治期の男のものがたり……? 錯覚してしまいます。
青木先生の学生さんたちは各界で活躍されていらっしゃいます。その綺羅星のごとき学生たちの中の一人が高木宏治先生だったのです。
司馬さんは生前、青木さんにおっしゃったそうです。
……ってね。
さらにその話を、青木さんは自分の学生たちにおっしゃった。しかし、司馬さんも青木さんも「陸羯南と新聞『日本』の研究」を果たされないまま亡くなってしまわれたのです。
…ってということで、青木先生の学生さんたちの中から「陸羯南(くがかつなん)研究」が立ち上がってきたということのようです。
銀行、テレビ局…などなどそれぞれ職場で激務を抱えていらっしゃるはずなんですが、恩師と恩師の親友の遺志を継ごうと、奮闘していらっしゃる……。凄い!本当に凄い!
高木先生のお話に感銘したことは多々あるのですが、ここでは一々書きません。
自分のことでお恥ずかしいですが…ookini_nekoの研究テーマの一つに、鈴木虎雄の漢詩があります。(→『近代漢詩のアジアとの邂逅』)
陸羯南は、鈴木虎雄の義理の父。
そして、新聞『日本』は最初に勤めた勤務先です。
「陸羯南と新聞『日本』の研究」」について発言できるようになれたらいいなぁ……虎雄の漢詩という視座から……。 そんな壮大なことを、ちょっぴり思ったりしてしまいました。高木先生が「熱い!」方だからでしょう。
たぶんその「熱い!」が多くの方を呼び寄せるんでしょう。
陸羯南のひ孫にあたる方もいらっしゃいましたし、青森で羯南研究をされている方も、はるばる大阪まで見えられました。
もちろん、青木先生の教え子の方もいらっしゃっていました。
講演会のあとは、青森からいらっしゃった方や陸羯南研究会の皆様方と一緒に、司馬遼太郎記念館へ。
司馬さん、青木さんの思いがつまった場所で、高木先生のご講演の余韻にひたりました。
大阪も12月に入り寒くなっているのですが、河内小阪だけは妙にアツイ日になっていたように思います。
高木先生、ありがとうございました。
高木先生について詳しく知りたい方は、次の新聞記事もご参照くださいね。
展覧会「明治黎明期の言論界―陸羯南・三宅雪嶺と上方の人々―」は12月21日まで。
原敬の書など掛軸が中心ですが、陸家にあった、家紋入り桐のタンスも展示されています。お近くの方、ふらっとお尋ねください。
ご高覧くださり、ありがとうございました。
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