ゆうてみよかな

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はずかしながら

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「だって本」(詳しくは記事で)と「カイコウ本」(詳しくは記事で)についてお問い合わせをいただいたことについてお答えするとともに、取材過程で見たこと、聞いたことをお話させていただきます。
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雪といえば「雪」

 
 
 
 
京都で残雪を見たのは先日のことでした。
それ以降、雪を見ていません。
2月にまた降るかも知れませんけれど……
さてさてどうなるのでしょう?
豪雪のニュースが流れると、大変そうだなと思います。
雪の少ない土地に住んでいる者の想像をこえる気がします。
 
 
 
 
「雪」や「黒髪」。地歌の名曲で、地歌舞もよく知られていますね。このような地歌を漢詩で味わってみたい。
そう思った一人の女性がいました。彼女は自分で漢詩訳を作りました。飛騨高山出身の女性漢詩人です。
 
 
ご興味を持ってくださる方は、ご一読ください。
 
 
 
彼女についての拙論を、
雑誌に載せていただきました。
 
私が、白川琴水について最初に触れたのは、
『近代漢詩のアジアとの邂逅』の序章の中。
この著書では、彼女の漢詩を引用することができませんでした。
今回は、彼女の作品も味わっていただくことができます。
また、
彼女が描いた絵画、挿し絵なども
掲載していただきました。
 
 
ご協力いただいた所蔵者さまに篤く御礼申し上げます。
 
 
 
 
 
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お問い合わせくださる場合は、申し訳ありませんが、以下へどうぞ。
 
住所:540-0035 大阪市中央区釣鐘町1-6-6 大手前ヒルズ209
電話番号:06-6920-3480
 
雑誌について詳しいことは
 
定価:1890円(税込)
 
 
・・。; ++;。・・。; ++;。・・。; ++;。・・。; ++;。・・。; ++;。・・
 
 
御高覧くださり、どうもありがとうございました。
 
『赤い鳥』を紹介したホームページのこと、ちょっとゆうてみようかなって記事にしました。
お時間が許せばおつきあいください。



ノーベル賞と『赤い鳥』


湯川秀樹(1907-1981)著『旅人――湯川秀樹自伝』(角川文庫)にも次のようなくだりがあります。
鈴木三重吉のものにも熱中した。小学校上級生になって、「赤い鳥」が発行されると、私はこの雑誌の熱心な愛読者になった。

ご存知のとおり、湯川秀樹博士はノーベル物理学賞をもらった科学者として有名な方です。
ノーベル賞受賞者9人の偉業(国立科学博物館)

彼が熱中した雑誌『赤い鳥』は大正7(1918)年に創刊されました。
この児童雑誌を世に送り出したのは、広島市出身の鈴木三重吉(1882-1936)でした。





広島出身の鈴木三重吉


広島市立図書館のホームページ鈴木三重吉と『赤い鳥』の世界をご訪問ください。

鈴木三重吉と『赤い鳥』について詳しく知ることができます。


イメージ 1


お薦めは、「WEB de読もう」
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、「杜子春」、「アグニの神」や、島崎藤村・林芙美子・新見南吉の作品などが置かれています(PDFファイルです)。

拙著〈だって本〉で、「杜子春」のことにも触れました。


読者の方から、『赤い鳥』の本文で全篇を読みたいという要望をいただいたことがあります。

この広島市立図書館のホームページに行っていただくと、ご自宅で読んでいただくことができます。
お試しください。




。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。


御高覧いただき、ありがとうございました。

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2010年の眠狂四郎

アーティスト・GACKTが
独自の世界観と感性を
駆使し
全身全霊をかけて創り出す
「新たなる眠狂四郎伝説」


GACKTさんが、今年、舞台で眠狂四郎役をされるのだそうです。

上記は、公式ホームページNEMURI GACKT×PROJECTからの引用です。




「新たなる眠狂四郎伝説」


ホームページによると、東京、大阪、名古屋の三都市で公演されるみたいです。

東京 5月14日〜5月28日 日生劇場
大阪 9月28日〜10月20日 新歌舞伎座
名古屋 11月20日〜12月3日 中日劇場


ファンの方がたくさんいらっしゃるので、どの劇場も予約の段階で満員御礼になってしまうのでしょう。

1966年、新歌舞伎座で眠狂四郎を演じたのは故市川雷蔵さん(2009年没後40年でした)。
(新歌舞伎座は難波にありましたが、今夏より上本町で新劇場がオープンするんで劇場は異なりますが……。詳しくは、大阪新歌舞伎座へお立ち寄りください。)

クールな狂四郎が、大阪に再来するなんて、2010年は好い年ですねぇ。
円月殺法……いったいどんな風に演じられるんでしょう?

NEMURI GACKT×PROJECTでブログパーツが提供されていました。(載せることができたわけは追記をご参照ください。)



初めの狂四郎


以下の画像は、『眠狂四郎無頼控(一)』(新潮社、1956年)の初版本。
(画像がぼんやりしているのは、撮影が下手なだけじゃなくて、パラフィン紙のカバーがかかっているためです。ご容赦を……)

イメージ 1





















よく知られたことなので、言うまでもないことですが、
初めのはじめ、眠狂四郎を描いたのは、日本画家の鴨下晁湖

晁湖は、雑誌連載の最初の挿絵担当者でした。
作者柴田錬三郎が文章で表現した狂四郎を、最初にビジュアル化したのです。
この単行本でも、晁湖の挿絵がストーリーを盛り上げています。














不死鳥のごとき眠狂四郎


眠狂四郎を演じたといえば、市川雷蔵さんがいちばん有名でしょう。
ドラマの田村正和さんもよく知られています。

いったいどれぐらいビジュアルの狂四郎がいるんだろう?

そう思って、表を作成しました。

「可視化され続ける眠狂四郎」という表を、拙著に載せた(「だって本」第五章)のですが、挿絵に始まり、映画、舞台、ドラマ、漫画……いったいどれくらいの眠狂四郎がいるんだって思うくらい。

全部載せるぞと思っていたんですが、限られたスペースのために、けっきょく載せきれませんでした。


2010年の狂四郎役者については触れることができなかったなんて、一年待てば良かったか……??
ちょっと悔しいような……。







。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。

御覧くださり、ありがとうございました。

表現など不適切なところがございましたら、ご指摘くださいますようお願い致します。







追記

Wiki文法での、眠狂四郎ブログパーツの載せ方を
山下さんのブログ記事Wiki文法で眠狂四郎 (NEMURIxGACKT PROJECT) カウントダウンブログパーツも設置できるばい!で勉強させていただき、載せることができました。
山下さんどうもありがとうございます。(2010.1.10)



誤字があったので訂正しました。(2010.1.19)

おばあさまの歌声

今春出版させていただいた“だって本”にまつわるエピソード、はずかしながら一つご紹介させていただきます。


祖母が歌をうたったんです…


イメージ 1



この曲、知ってる?
そう言って、祖母に歌詞を示したんです。
すると、歌いだしたんです。
めったに歌わない、いいえ、歌うのを聞いたことがないかも…
でもね、歌ってくれたんです


“だって本”には、〈蘇州夜曲〉の一番の歌詞を引用しています(掲載に当たり著作権料を納めました)。
ご存知のとおり、西条八十(さいじょう・やそ,1892-1970)の作詞したものです。
Mさんは上記のような内容の話を書いて、私に渡してくださいました。
受講終了後、小課題の答えなどを書いて提出していただくのです。
その用紙のすみっこに、わざわざ書き込んでくださったのです。

“だって本”に掲載した歌詞を、Mさんは、おばあさまにお見せになったんだそうです。
念のために申しますが、楽譜はつけていません。

おばあさまは80歳を過ぎていらっしゃるとか、
孫が差し出した歌詞に、メロディーが思わずよみがえったのでしょう。



Mさんの大発見


わかったんです

何事かと思いました。
後日、Mさんが、今度は話しかけに来てくださいました。
Mさんは、ぬけるように白い、美肌の持ち主なのですが、ほほを紅潮させておられたのが印象に残っています。

おばあちゃんの歌ってたのは李香蘭バージョンでした…


Mさんのような20歳前後の受講生の方は、平原綾香〈蘇州夜曲〉の方がぴったり来るみたいです。
「着ウタにしてます」って方もおられます。

ゆったりとのびやかに歌う李香蘭〈蘇州夜曲〉
おばあさまが思い出されたのですから、それは昔に覚えた歌い方で、つまり李香蘭風に歌われたことでしょう。
知っている方々にとっては当然と思われるでしょうけれど、
知らない人には、びっくり!!なのです。

当たり前のことですが、歌は歌い手さんによって違って聞えるし、アレンジによっても違った曲のように仕上がります。
Mさんは、そのことを、頭でわかるっていうだけでなく、肌身で実感されたのでしょう。
彼女にとって、発見は意味があったにちがいありません。




西条八十


年末ですから、私の祖母(母の母)のことを少し書かせていただきましょう。
大正三年生れだった彼女は、今春、亡くなりました。
二冊目の本である“だって本”が世に出て、母の十七回忌が終わった後のことです。享年95歳。

〈浦島太郎〉
〈早春賦〉
〈青い目をした人形〉……子どもの頃、色々な歌をうたって聞かせてくれました。
子ども相手だったせいでしょうか。唱歌が多かったような気がします。
特に繰り返し歌ってくれたのは、〈かなりあ〉、でした。
詞を作ったのは西条八十です。

西条八十について語ると、祖母を思い出してしまいます。
逆に言えば、祖母を思い出すきっかけを、西条八十はこれからも与え続けてくれるのだと思います。


おばあさまの歌われた〈蘇州夜曲〉を、Mさんは忘れずにいるんだろうな……。
切ないような、ほっとするような、そんな気持ちになりました。

。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。

Mさん、すてきな話を、ありがとうございました。
出版に関わってくださった皆様方、ありがとうございました。
その後のエピソードをまた一つここにお伝えし、感謝の意を表したいと思います。

。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。



画像は、李香蘭(山口淑子)のCD。
SP盤レコードを音源としているもの。
音が不安定なところもあります。それもまた味があるんですよね。
流行した当時のアレンジや歌い方で聞くのは、ひとしお趣き深いものです。



。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。・・。。


御高覧いただき、ありがとうございました。






“だって本”につきましては、お手数ですが、
書庫「はずかしながら」で探索いただければありがたく存じます。
この記事は、「蘇州に領事館があった」の追記です。


「蘇州に領事館があった」では、蘇州に残る旧日本領事館址についてお伝えしております。



イメージ 1




蘇州の開市

蘇州は、3000年の歴史のある古都。
その古い文化に憧れて今も日本人が訪れます。

けれども、

日本人が領事館を建てた街でもあるのです。


山室信一『日露戦争の世紀』(岩波新書、2005年)51頁には次のように書いてあります(ルビや参照指示は省略しました)。
ご存知の方がほとんどでしょうが、簡にして要を得た文章なので、引用させていただきます。

下関での日清講和条約によって日本は遼東半島と台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金二億両(邦貨約三億一○○○万円)、重慶・蘇州・杭州などの開市・開港と揚子江の航行権などを得ました。


周知のように、遼東半島の割譲は、三国干渉によって実現せず、遼東半島還付金を清朝が日本に支払うということに代えられました。
けれども、蘇州の開市はそのまま実行され、日本の大陸進出の拠点のひとつとなったのです。
蘇州に日本領事館があるのは、この蘇州の開市によるものです。



日本人の蘇州へのこだわり

ヨーロッパ諸国が中国進出の時には、注目しなかった街に日本人がなぜこだわったか?

蘇州が日本人にとってむかしからアコガレの土地だったからではないか、
江戸時代から蓄積された蘇州への憧憬を無視できないのではないか、

近代日本人の漢詩を視点として、そのことについて、以前少し書かせていただいたことがあります。




拙著には、2枚写真を載せました。→Bensey_HP

ブログ記事「蘇州に領事館があった」に挙げたのはボツにした写真たちの一部です。

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