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せたな町の海岸沿いにある、標高95mの立象山から見たせたな港
防波堤の所に一本立っているのがローソク岩。 右の方にある二本と、半分隠れている一本を合わせたのが三本杉。 この港から、ハートランドフェリーが奥尻島に向けて就航しています。 この日は残念ながら奥尻島は見えず。 国道229号線、通称追分ソーランラインをさらに北上すると、次々と奇岩が現れます。 目に映ったものをそのまま写真にできないもどかしさ。 荒々しい海岸線を後に内陸に入ると、この美しい姿の山が出迎えてくれました。 |
北海道・・道南
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茂辺地から朝一の列車に乗って、函館に。
函館山に、徒歩にて登りました。 いろいろ登山道はあるのですが、護国神社の裏から登る、旧登山道を行きました。 道はよく整備されていて、随所に案内板もあります。 50分程度と、案内板にありました。 遊び遊び登って、ゆっくり歩いて、往復3時間で下山しました。 登り始めて間もなく、ゴジュウカラがお出迎え。 足元の先1m程の所にいて、泥を丸めていました。巣材にするのかな? 右上にいるのですが、見えますか? このアングルの函館山は珍しいしょう? 函館は、やはり暖かいのでしょうね。 山路にはいろいろな花が咲いていました。 |
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ゆうは、元気にしてます。
十勝の寒い冬を乗り切って、やっと動き出しました。 春の陽気に誘われて、函館まで来てしまいました。 JR北海道江差線に、ちょっとだけ乗りました。 函館観光の近くの茂辺地から函館まで、約30分のローカル線の旅です。 |
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7月22日、えりも町の豊似湖(とよにこ)に行きました。
このひっそりとした湖が好きで、よく行きます。
(紅葉はきれいだったんだけど、前のカメラで写した写真は、きれいじゃないです)
未舗装の林道を9km走らなくてはいけないのですが、がんばって行く価値があると思います。
駐車場から200mほど山道を登った所に、豊似湖はあります。
この湖は、上空から見るとハート形なんですよ。
上の写真の対岸の、何となく出っ張って見える所が、ハート形の中央の窪みの部分。
せっかくのハート形だけど、鳥にならないとその形が分からないのは残念です。
周囲に遊歩道があり、一周できます。
対岸まで歩きました。こちらは砂利で浅いです。
よく見ると、水の中にニホンザリガニが・・・
アメリカザリガニやウチダザリガニに駆逐されて、今や貴重となったニホンザリガニ。
環境省のレッドリストに指定されています。
更によく見ると、お食事中の魚が・・・
口に何か咥えています。
それを横でじっと見ているのがいます。
横取りするつもりかな?
湖に沿って、もう少し歩きました。
写真の左の出っ張りが、ハート形の中央の窪みです。
遊歩道はこんな感じ。
一部草が茂ってるけど、歩きやすいです。
遊歩道でハート形の石を見つけました。
湖の周囲の森は、こんなに素敵。
あら、今気づいたけど、上の写真の左下にも小さなハートが・・・
豊似湖を後にして、襟裳岬に向かいます。
これは、国道336号線の「えりも黄金トンネル」
2011年2月2日に 開通した、全長4941mの道内最長のトンネルです。
工事中に通ったことはありましたが、完成後は初めてです。
襟裳岬に着きました。
相変わらず風が強いです。
ここは、北海道の背骨と言われる日高山脈が海に没しているところ。
・・・・と聞くと、私は、ここは尾てい骨・・・と思ってしまうのです。
遊歩道をどんどん歩いて・・・
尾てい骨の先に着きました。
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奥尻島でたっぷりと遊ばせていただいて、せたな町 → 奥尻島 → 江差町 のコースで北海道本土に戻りました。
このコースだと(逆も可)、条件を満たせば帰りの航路のフェリー代が無料になるキャンペーンをやっていたので、距離のある方を「帰り」にしました。
江差町に上陸、ここでもフットパスを歩きました。
有名な鷗島や横山家・中村家などには行ったことがあるので、今回は丘の上の方に上がって街中を散策。
丘の上からフェリーターミナルを・・・
写っている船は、奥尻から来て、また奥尻に向けて出航していく、ハートランドフェリーです。
左下の黒っぽい豪邸が、道指定有形民俗文化財の横山家住宅。
いわゆる鰊御殿で、この建物は1893年に建てられました。今も横山さんが暮らしていらっしゃいます。
まち歩きマップに従って歩いて行くと、「百印百詩」の碑がありました。
そりゃ、一体何ぞや?
幕末の文人に「頼 三樹三郎(らい みきさぶろう)」という人がいました。
京都の生まれで、父は、儒学者の頼山陽。
彼は、蝦夷地などを探検した、伊勢の国出身の探検家・松浦武四郎とここで出会って、大親友になりました。
そこである日、お遊びでこんなことを言い出しました。
三樹三郎 「松浦クン、君が1日に100の印を彫るならば、私はそれを題にして100の漢詩を作ってみせるよ。」
武四郎 「ほう、それはおもしろそうだね。そのようなことを敢えて日の短い冬至にするとなれば、後々話の種にもなるだろうから、11月14日(旧暦)の冬至の日にしないかい?」
その言葉の通り、弘化3年(1846年)11月14日の未明から始まり、夜が更けて少したった頃に終わりました。
二人の思惑通り、この「百印百詩」は江差の人々に語り継がれ、記念碑も建立されました。
そして、ゆうのブログネタにもなったのです。
碑を見ながら少し進むと、鷗島の見える高台に出ました。
島の手前やや左寄りに、三本のマストが見えますか?
それが、旧幕府軍の軍艦「開陽丸」のマストです。
幕末に座礁沈没したのですが、復元されて海に浮かんでいます。
さらに歩いて行くと、護国神社があり、戊辰の役戦没者の墓所があります。
鳥居の左奥の少し高くなってるところには、こんな碑がありました。
「幕府軍艦開陽丸遺物」と書いてありました。
何が埋められているんでしょうね?
気になります。 鳥居の右の、白い柵のある所が墓所です。
このように区画に区切られています。
なぜかというと・・・・・
このように、各藩別に祀られているんですね。
(他にもたくさんの藩がありました。)
開陽丸の話が出たついでに、この写真を・・・
この建物は、旧郡役所 兼 警察署庁舎として、明治20年(1887年)に建てられたもので、北海道で唯一現存する郡役所。道の有形文化財です。
なぜ開陽丸と関係があるかというと、前庭にあるねじれた松、この松が関係あるのです。
明治元年11月15日(西暦1868年12月28日)、江差沖で座礁し沈みつつある軍艦開陽丸を見つめる新選組の土方歳三は、悔しさのあまり、この松の木のコブをたたいて嘆いたと言われています。 ちょっと視点を変えた、江差のまち歩きでした。 |


