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札幌に用があり、帰りにちょっと寄り道をしました。
北海道大学を散歩して、構内にあるクラーク博士の像を見てきました。 クラーク博士の像と言えば、コートの裾を翻し、片手を伸ばしている全身像が有名ですが、あれは羊ヶ丘にあるものです。 それからもう一箇所、クラーク博士にゆかりの場所へ… 北広島市の島松という所にある、島松駅逓跡。 内部の様子です。 本当は4月29日からだそうですが、お掃除をしていらっしゃったので見せていただきました。 駅逓とは、長距離を移動する人のために駅舎と人馬を備えて、宿泊と輸送の便をはかるもの。 この駅逓は、松前藩の時代から明治の中頃まであったそうです。 任を終えてアメリカに帰るクラーク博士を、学生たちはここ島松まで見送りに来て別れを惜しみました。 そして博士は、ここで学生たちにこの有名な言葉を残したのです。 Boys be ambitious. 駅逓の横にクラーク博士の記念碑がありました。 西を向いて立っているため、朝には完全に逆光。 何が書いてあるのか分かりませんね。 上の丸い所に博士の横顔のレリーフがあります。 その下に、Boys be ambitious.と横書きで書いてあります。 さらにその下に、縦書きで「少年よ大志を抱け」と書いてあります。 |
北海道・・道央・道北
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4月24日、石狩川河口のマクンベツ湿原に、水芭蕉を見に行きました。
駐車場から川縁まで、一直線に木道がついています。 木道の左右に、たくさんの水芭蕉がありました。 目の届く限り、広がっています。 さすが北海道の水芭蕉、本州の人工的な水芭蕉園とは、趣も規模も全く違います。 あるブロ友さんの受け売りですが、水芭蕉は北から南に咲いていくそうですね。 なるほど、尾瀬の水芭蕉は6月が見頃。 夏が来れば思い出す花。 |
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ご無沙汰してました。
皆様、お元気ですか?
私は元気ですよ。あちこち飛び回っていました。
まずここに行きました。
そうです、札幌です。
雪まつりを見に行きました。
度々北海道に行くことはあっても、なかなか日程が合わず、20年くらい前に「プレさっぽろ雪まつり」を見たきりです。
それは、ツアー代を安く抑えるために、製作途中の雪像を見るツアーでした。
本格的なものは初めてです。
今年は伊勢神宮の式年遷宮なので、伊勢からも出店していました。
包紙の文字は、「ぶたすて」と読みます。
伊勢では有名な肉屋さんのコロッケ。
「おかげ横丁」に行ったら外せないコロッケです。
ここで食べられるとは・・・
伊勢神宮の式年遷宮に因んで、神宮の雪像があると聞いたので楽しみにしていました。
これがその雪像。
ちょっと想像とは違っていました。
なかなか良くできていましたが、実物を知ってる者の目で見たら、違っているのは当たり前ですね。
でも、とても大きくて立派でした。
夜のすすきのも歩きました。
ライトアップされた氷像がきれいでした。
ビールの試飲もあったりして、昼間とはちょっと雰囲気が違っていました。
翌日、支笏湖氷涛まつりに・・・
ここは初めてです。
予想していたより大規模で立派でした。
支笏湖は不凍湖なんですね。
十勝に戻り、とある森で犬の「たる」とスノーシューで遊びました。
たるは、雪が大好きです。
雪原を思いきり走り回って、楽しそう。
私も楽しかったです。
そうこうしてるうちに、なぜか千歳に行き、気付いたら飛行機に乗っていました。
では、クイズです。
これから私はどこに向かうのでしょうか?
ヒントは、3月12日に、史上700年ぶりという大きなことが起こる所です。 |
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3月10日のことですが・・・・・
スキーに行きました。
本州で3月ともなると、雪はベタベタでとても滑る気になれませんが、さすが北海道。
キュキュキュの雪で、最高でした。
行先は、占冠村のトマムスキー場です。
下の写真に写ってる二本の塔、トマムのランドマーク的なホテル、ザ・タワーです。
トマムにもいろいろ事情があって、占冠村も大変だったそうですね。
今の状況は分かりませんが、この巨大なホテルが満室になるほどの賑わいがあることを願っています。
これは、第1ペアリフトを上がった所。
ポツポツお客さんは乗っていますが・・・
長さ2500mのアルファキャビン(4人乗りのロープウェイ)で上まで行きました。
いいお天気で、長めも最高!
向かい側の山の際を、JR石勝線、道東自動車道が通っています。
頂上からゆったりと下ってくる、シルバーベルコース。
ロングコースで、さほど急斜面もなく、お気に入りのコースになりました。
見てください、この雄大な風景、人の少なさ。行ったのは土曜日ですよ。
(写っているのは、関係者です。 実は、後ろ向きに滑っています^^)
中腹にあるレストラン「コンコ」で、ランチを・・・
さすがに、トマム、メニューも雰囲気もオシャレです。
ラーメンでもカレーでもよかったんだけど、そのような庶民的なものはなく、このビーフシチューをいただきました。
とてもおいしかったです。
スキー場で美味しくないものを食べたことはありません。
空腹は最高の調味料なり・・・かもね。
・・・このシチューは、本当においしかったですよ。
北海道のスキー場の上級コースは、とんでもなく上級コースですよ。
本州の上級コースとはレベルが違います。
私は、上から覗いて、スッゲー!!と叫び、迂回して下って来ました。
本州から行かれる方は、どうぞお気をつけあそばせ・・・ |
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美唄の中心部から道道美唄富良野線を約10km登っていくと、炭鉱メモリアル森林公園があります。
当時ここで採炭されていた場所で、今は立坑、開閉所、原炭ポケットが残っています。
大正7年には57万トンの出炭を記録し、夕張炭鉱に次ぐ石狩炭田第二の炭鉱に成長しました。
昭和19年には戦前最高の189万トンを記録。
しかし、エネルギー革命の影響で昭和47年4月に閉山しました。
左側の立坑:上風坑
坑内からの排気や人員搬入などに使われました。
右側の立坑:下風坑
坑内への入気や石炭・資材・ズリの搬出に使用されました。
道内で2番目に古いリベット打ちの中型立坑で、鮮やかな紅色が印象的です。
坑内で採掘された石炭が、坑外に運搬され選炭されるまで貯蔵される施設です。
現在、道内で現存する原炭ポケットの中では最大規模のものです。 この施設では地区内の炭鉱関連施設や設備機械類の主要電源が総合的に管理されていました。
開閉所内部の様子
(上の写真の右のドアから覗きました)
きれいに整備され、建物の一階はガラス貼りのレストルームとして地域住民に一般開放されています。
明治の初めに調査・試掘された美唄炭鉱、大正時代に本格的に採掘が始まりました。
ピーク時の昭和19年には、189万トンもの石炭を産出しました。
しかし、昭和30年ごろからのエネルギー政策の転換により、昭和38年三井美唄炭鉱閉山。
その後も中小の炭鉱で掘られていましたが、それらも相次いで閉山。
昭和47年、最後の三美炭鉱、北菱我路炭鉱も閉山しました。
ここに、美唄におけるヤマの歴史は幕を閉じたのです。
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