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アップが遅れに遅れていますが、長野県駒ケ根市の駒ケ岳と伊那市のかんてんぱぱガーデンに、9月22日に行きました。
駒ケ岳に登るには、マイカーは麓の菅の台に駐車し、そこから路線バスで40分。
しらび平でロープウェイに乗り換え、標高差950mを一気に7分30秒で上がります。
車に弱い私には、山道を行くバスの40分は酔いそうで気持ち悪かったけど、
あっという間に標高2612mの山岳地域に行くことができて絶景が楽しめます。
ハイヒールで行ける日本で二番目に高い所とか。
因みに、一番高い所は、乗鞍スカイライン畳平の標高2702mです。
ちょっと雲が多かったけど、上々のお天気。
千畳敷カールの雄大な風景が広がっていました。
山の一番高い所をよく見ると・・・
ヒャ〜〜!
人がいます。
立ってるよ〜。怖くないのかな。
ナナカマドの実が色づいていました。
丸くくぼんだ所が「千畳敷カール」で、約2万年前の氷河期に氷によって削り取られた跡です。
千畳敷カールの遊歩道は木道が整備されていて、ぐるっと歩いて40〜50分。
再びロープウェイに乗って下山しました。
(駒ケ岳、宝剣岳にもいつか登りたいです。早く登らないと登れなくなるかも・・・)
バスで下山途中、カモシカがいると運転手さんがバスを停めてくださいました。
カモシカをこんなに間近に見たのは初めてです。
駒ヶ岳の後は、かんてんぱぱガーデンに行きました。
あの「かんてんぱぱ」の本社のある所です。
まず、お腹が空いたのでレストランひまわり亭に・・・
席に着くと、かんてんぱぱガーデンの畑で採れたナスの浅漬けがサービスされます。
新鮮でおいしかったです。
ミニソースカツ丼セット
せっかく信州に来たんだから、ソースカツ丼は食べたいと思っていました。
かんてんぱぱガーデンなので、かんてんのメニューも食べたいし・・・
両方がセットになったのがあったので、これにしました。
デザートも、かんてん。
黒蜜をかけていただきます。
お豆も甘くやわらかく、満足満足^^
これは、休憩所にあった試食品。
お腹いっぱいだったけど、もちろんいただきましたよ。
こういう時のために「別腹」というものを持ってるんです^^
かんてんぱぱガーデンの目的の一つ、「野村陽子植物細密画館」に行きました。
ボタニカルアートですね。
本当に緻密で素晴らしかったです。
人間業とは思えない。
茎に生えている細毛の一本一本まで丁寧に描かれています。
それを見るためのルーペも用意されていました。
全体のイメージの写真撮影はOKということで、入口の外から写させていただきました。
青野恭典氏のフォトギャラリーも素晴らしかったです。
感動しました。
お近くの方、機会がありましたらぜひどうぞ。
入園・入館料は無料です。
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長野県
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旧中込学校(きゅうなかごみがっこう)は、長野県佐久市にある小学校跡です。
日本最古の小学校の一つで、洋風建築(擬洋風建築)の校舎が現存。 佐久郡下中込村と今井村、三河田村の組合立小学校の成知学校の校舎として1875年に建てられたものです。 このオシャレな校舎の建設費は、ほとんどが村民の負担と村内篤志家の寄付で、あまり豊かではなく、藩校などの伝統もなかった3村に、なぜこのような洋風建築を建てるに至ったかは謎だそうです。 下中込村の市川代治郎の設計で、八角塔には太鼓をつるしてあったことから太鼓樓、また窓にはすべてガラスがはめられたことからギヤマン学校などとも呼ばれました。 竣工の翌年の1876年には同校は中込学校と名称を改めて、1919年まで使用されました。 現在の中込小学校の前身です。 太鼓楼を持つ、旧中込学校の校舎 一階の教室にオルガンが置いてありました。
弾いてみてくださいと書いてあったので、弾いてみました。懐かしいオルガンです。
私の祖母(1899年生まれ)のオルガンが、まだ実家にあるんですよ。これとほとんど同じです。
本当に懐かしい。私がピアノを習い始めたとき、最初に弾いたのは祖母の、足踏み式オルガンでした。
教室内の様子。
こんな木の机、知ってます。と言うより使ってました。小学生の頃・・・
二階の廊下です。ステンドグラスがきれいでした。 古い教科書を展示していました。 その中に、こんな楽譜を発見!
もちろん知らない歌ですが、この宗良親王の名は記憶あり! 後醍醐天皇の皇子で、建武の新政の頃に活躍。 建武の新政が崩壊し南北朝の対立が本格化すると宗良を名乗り、大和国吉野(奈良県)の南朝方として活躍をするようになる。 1338年(暦応元年/延元3年)には陸奥国へ渡ろうとするが、遠江国(静岡県西部)に漂着し、井伊谷の豪族井伊道政のもとに身を寄せる。 ・・・・・そうです。静岡県浜松市の井伊谷宮に、宗良親王は祀られています。 その記事は、こちらにあります。
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長野県佐久市にある城跡で、日本に二つある五芒星形の西洋式城郭のうちの一つです。 もう一つの五芒星形西洋式城郭は、お分かりですね。 ・・・・・そう、函館の五稜郭です。 龍岡城は、龍岡五稜郭や桔梗城とも呼ばれていて、国指定の史跡です。 Wikipediaより、画像をお借りしました。
信濃国と三河国に領地を持つ三河奥殿(おくどの)藩の藩主だった松平乗謨(のりかた)は、幕末の動乱期に拠点を田野口に移すことを決めました。
彼はは洋式築城での設計を幕府に届け出て許可を得、1864年(元治元年)、築城を開始。 1867年(慶応3年)一応完成したということで竣工祝いをしていますが、実際はほとんどできていなかったそうです。 松平乗謨氏は若くして和漢の学問を習得し、オランダ語・フランス語、火砲・特上技術も学んだ英明な人です。 幕府の鎖国政策による軍備の立ち遅れに危機を感じ、幕府崩壊をいち早く察知して、もはや築城どころではないと感じていたのでしょうか。 しかし、あえてこの洋風の城を手がけたということは、生涯に一度の夢を託したのかもしれませんね。 男のロマン・・・ということでしょうか。 因みに、函館の五稜郭は、1857築城開始、1866年に完成しています。 総面積はもちろん函館の方が広く、龍岡の約3.5倍。 明治4年、政府は城郭の取り壊しを指示、石垣は残されましたが残りは撤去されました。 今もお堀には水が湛えられています。 翌5年の学制発布で、城跡は小学校として使用されることになりました。
現在も、お堀・石垣に囲まれた敷地内に、田口小学校が建っています。 |
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<10月9日>
旧中山道の、追分の宿(長野県軽井沢町)と小田井(おたい)の宿(長野県御代田町)を尋ねました。 追分の宿に建つ灯篭。
「文政元 戌寅 年 十有二月吉日」と、裏に書いてありました。 1818年のものです。 中山道(なかせんどう)は、江戸時代の五街道の一つで、本州中部の内陸側を経由する路線です。 私は、古い街道歩きが好きで、古い街並みが残る所にはよく出かけます。 もちろんそこには地元の方々の暮らしがあるので、通らせていただく・・・という、謙虚な気持ちがないといけないと、常々思っています。 そこで思ったこと・・・ 古い街並みが残る地域は、田舎です。 高度成長期に、置き去りにされた地域・・・とも言えるかもしれません。 お叱りを覚悟で言わせていただきますと、日本が近代化して、どんどん発展した時期に乗り遅れて、家を建て替える余裕がなかったのかも・・・・・? しかし、しかしです! 私は、「豊かさ」を感じるのです。 何とも言えないおおらかな余裕というか、懐の大きさというか、底力というか、これがいいのだという確たる自信というか・・・・・ はっきり言って大半の所が田舎ですが、決して「寒村」という言葉は相応しくありません。 よく言われる日本の原風景・・・大抵、瑞穂の国の農村風景を連想されると思いますが、このような街道筋も、日本の原風景の一つではないでしょうか。 人は少なく寂しい通りかもしれませんが、私は、存在感のあるこの雰囲気にひたるのが好きです。 追分の宿にあった、250年は経っているといわれる民家。 何十年か前まで個人の方が住んでいらっしゃったそうですが、その後古物店、今は小物店です。 小田井の宿の本陣跡&問屋跡の安川家です。 現在も子孫の方がお住まいです。 同じく小田井の宿の尾台家。問屋さんでした。
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<10月9日>
霧ヶ峰で目覚めました。 一面の霧。 さすが、名前通りです。 ここは標高1675m、寒かったです。 この日は朝のうちに軽井沢に行かなくてはならないので、霧が晴れるのを待つ余裕はなく、出発! 霧ヶ峰、若いころから何度も行きました。 私の青春は、ここに大事に置いてあります。 だから、時々来て、私の青春を確かめなくちゃ。 うん、あるある・・・・・私の思い出・宝物。 でも、ゆっくり確認する暇はありませんでした。 残念・・・ また今度ね。 ビーナスラインを通り、七島八島湿原にちょっと寄り道。
誰もいませんでした。 と思ったら、シカが3頭。 あわてて逃げていきました。 驚かせてごめんね。 遊歩道を少し歩いて、七島八島の見える所まで行きました。 やはり、ここも霧でした。 でも、霧を透かしてすっすらと見える湿原、幻想的でした。 これです。
多分マユミで間違いないと思います。
よくしなるので、弓の材料にしたそうです。
だからマユミ。
マユミ、漢字で「檀」と書きます。
私の古い友人に、この字を書いて「まゆみちゃん」って子がいました。
女の子ですよ。でも、字だけ見たら男性のようなので、よく間違えられると、ぼやいていました。
そう言えば、檀ふみさん、同じ字ですね。
まゆみちゃんが檀さんと結婚したら・・・
この後、和田峠から国道142号線、旧中山道に下りて、軽井沢を目指しました。 |





