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ドンデン山とは、佐渡の北側、大佐渡に位置するタダラ峰(標高934m)の愛称。
ドンデンも変わった名前ですが、タダラも変わった名前ですね。 ドンデンの山頂部はなだらかな高原になっていて、牛が放牧されているそうですが、残念ながら見ることはできませんでした。 新・日本百名山、花の百名山にも選ばれています。 大佐渡山脈を縦走するトレッキングコースの起点でもあり、アウトドア派にも人気がある一方、車で訪れる事も可能で、ちょっとしたハイキングコースとして自然を散策する事もできます。 これは、新潟県公式観光情報サイトからの引用です。 はい、確かに車でも行けます。 それは間違いありません。行きましたから・・・ しかし、すごい道です。 クネクネクネクネクネクネクネ・・・・ 右に左にハンドルを回し続けて、腕が疲れました。 これでも県道81号線、佐渡縦貫線なんですね。 佐渡島の右上の湾「両津湾」と、山を越えて日本海側の「外海府」を結んでいます。 以前は大佐渡ロッジが建っていたところで、2004年にドンデン山荘になりました。
外壁工事中でしたが、営業していました。
山荘をベースにトレッキングルートがあり、山に登ると佐渡島がほぼ全部見渡せるそうですが、今回は山荘の前から南の方向を眺めました。
10月14日の写真です。
今は、きっと紅葉で全山真っ赤に燃えていることでしょう。
両津湾と、姫崎。 お天気がいいと本州の山並みも見えるそうですが、ちょっと残念。 両津湾と加茂湖。 手前の丸い山は、大滝山。 今は、きっとこのようになっていると、想像します。
写真では霞んでいて見えないかもしれませんが、真野湾が見えたのです。
佐渡島の左下の湾ですね。 とても自然豊かなところでした。
しかし、ナラの木がたくさん枯れているのが目につきました。
なぜだろうと思っていたのですが、最近ニュースで、ナラ枯れという現象が問題になっていると聞き、ああ、あれがナラ枯れだったのかと・・・
里山に人の手が入らなくなったのが主な原因だそうです。
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新潟県
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大野亀と二つ亀、この変わった名前の島(?)山(?)半島(?)は、外海府の北の端、つまり佐渡島の最北部にあります。
大野亀は、海に突き出た高さ167mの岩山。 これは大きな一枚岩で、日本三大巨岩の一つと言われているそうです。 三大巨岩のあとの二つはどこだろうと思い、Best 3 in Japanというページで調べてみたら、「三大巨岩」の所には「大野亀」一つしか書いてありませんでした。 いったいどういうことでしょう??
大野亀の「亀」は、「神」、アイヌ語の「カムイ」に通じ、神聖な島を意味するそうです。 頂上には石塔があり、航海の安全を守る竜神が祀られていると、看板に書いてありました。 初夏に、一面に咲くカンゾウの花でも有名です。 ここが一面黄色になる、そんな風景も見てみたいですね。 大野亀から車で数分のところに、二つ亀という島があります。 これは、大野亀から見た二つ亀。
この位置から見ると、その名の通り、島が二つあるのが分かりますね。
この島は、干潮時には陸続きになり歩いて渉れるのです。 大野亀から二つ亀を見ると、今まさに陸続きになっているのが見えたので、急いで行きました。 陸続きになった二つ亀。 左に少し見えている階段を下りて、この細い砂州を歩いていきました。 時々、ザブーンと波が来てオットット・・・・・ 島にタッチして、砂浜に名前を書いて、海水に手を浸けて、戻りました。 ゆっくりしすぎて、潮が満ちてきて渉れなくなるといけませんからね。 島の中には人の近寄れない深い淵があり、洞窟が口を開けているそうです。 夏には牛を放牧すると看板に書いてありましたが、この急斜面を牛さん、登るのでしょうか? この浜は、夏は海水浴場になるそうです。 二つ亀から見た、大野亀。 大野亀と二つ亀の間は、海岸沿いに歩くこともできるそうです。
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佐渡島の北西部、金山のある相川地区から北に、日本海側にある海岸が外海府です。
日本海の荒波に削られた奇岩や、美しい風景が続きます。 千畳敷
平根崎の波蝕甌穴(はしょくおうけつ)群。 波の力で、長い年月をかけて岩が削られ、穴になったもの。
伊勢・二見の夫婦岩のようにしめ縄をかけた大岩。
入崎の千本鼻で見つけました。説明看板はありませんでした。
岩屋口の巨岩 巨大な岩でした。 墓地の左に、岩の隙間があるのがお分かりいただけますか? これです。
木食僧が修業したとも伝えられる岩屋です。
中に入ると、きれいな水が湧いて池になっていて、コウモリがたくさんいました。 道路を挟んだ向かい側が海なのですが、驚いたことに波の音が岩の方から聞こえてきました。 巧い具合に、巨大な岩のカーブがちょうどいい反響板になっていたんですね。 押出岬より相川の方角を見たところです。 遠くに集落が見えると思いますが、それが岩屋口の集落。 相川方面から来て最後の集落で、1日6本のバスもここまでです。 (このバス、朝は通学の小学生で賑わっていました) ここにはユースホステルもありますよ。 集落のこちら側、道路の左側の山裾に、岩が見えていると思いますが、そこが岩屋のあるところ。 海岸近くの田んぼ
稲刈りが済んでしまってちょっと残念でした。
こんなに海の近くに田んぼがあるのは、初めて見ました。
塩害は大丈夫なんでしょうね。 珍しい風景、美しい風景でした。
日本の風景は、実にさまざまで見飽きないな、だから旅はやめられないんだ・・・・と、つくづく実感。 **オマケ**
トンビの奥さん
「ねえ、あなた、あの人たち、私たちのことをじっと見てるわ。」
トンビのご主人
「ウム、まあ気にスルメェ。
俺たちの方が強いのはアタリメェのことだから。」
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復元された佐渡奉行所です。
奉行所自体は、かなり規模は大きいと思いましたが、まあ、普通です。 ここで面白いものを見つけました。 鉛板です。 これがどう面白いのか? 説明書にこう書いてありました。 (一部要約します) 平成7年10月、発掘調査中の佐渡奉行所跡から、172枚の鉛板が出土しました。 面白くないですか? 私は、とても興味深く、これを読みました。 どんな理由で埋めたのか分かりませんが、埋めた鉛板の一部が見つからなかった。 どこに行ったんだろうと、必死で探したと思います。 尺貫法はよく分かりませんので単純に掛け算して、172枚×40kg=6880kg
約7トンが見つからなかったのです。
大変な事態ですよね。
金属探知機もない時代ですからね。 それが、338年の時を経て、今ここに出てきた。 面白いですね。 私がさらにすごいと思うのは、その記録があること。 きっちりしてたんですね。 当時の世界中のどの国よりも善政だったと言われる江戸幕府、隅々まで、きっちりが行き届いていたんですね。 埋蔵金ならぬ、埋蔵鉛のお話でした。 |
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江戸時代や明治以降の坑道が公開されている地域から、約1kmほど下ったところに、北沢地区があります。
外国人技術者の手を離れた明治18(1885)年、初代佐渡鉱山局長に就任した大島高任は、ここに選鉱・精錬施設を建設します。 選鉱場から港までの約1キロを結ぶ日本初の架空索道(空中ケーブル)が建設されるなど、当時最先端の西洋技術が導入されました。 昭和12(1937)年以降、国策による増産に備えるため、大改修が行われます。 (この年、盧溝橋事件が起こっています) 現在、この北沢地区に残っている遺構は、主にこの時期に作られたものです。 佐渡金山(佐渡鉱山)を三部に分けてご紹介しましたが、時の幕府・政府の都合で翻弄されて、大変だったんだな・・・と思いました。 特に昭和12年、日華事変に備えて増産せよ。 昭和18年、太平洋戦争の真っただ中で、金よりも銅の方が必要だから、銅を増産せよ。 しかし、いち早く近代化を進め、時代の最先端を走ってきた佐渡鉱山が成し遂げた 精錬所跡 ここでは月間7万トンの鉱石処理が可能だったそうです。 あまりの大きさに圧倒されました。 右には、レンガ造りの火力発電所(明治41年建設)もあり、高所から荷物を運びおろすインクラインも残っていました。 発電所の後ろを斜めに通っているのが、インクラインです。
発電所の建物は現在も使われていて、写真展をやっていました。 シックナー跡 シックナーって、何?ですよね。 鉱石を砕いて粉にして水・薬品を加え、攪拌等によって鉱石と水分・薬品を分離して精鉱を回収するための水槽・・・だそうです。 これも大きかったです。直径50mあるそうです。 鋳造工場跡 機械部品を製造・修理する工場。 鋳型に溶けた鉄を流し込みいろんな部品を作ります。 佐渡鉱山は、自前の鋳造工場を持っていたことが強みで、機械加工にも高度な技術を持っていたそうです。 キューポラ(鉄を溶かすための溶銑炉)が残っています。 これらの施設は、昭和27年まで使用されました。 その後は選鉱を中止し、含金珪酸鉱として香川県の直島銅製錬所へ直送しています。 そして、平成元年3月、佐渡金山・佐渡鉱山の、約400年にわたる長い歴史に幕を下ろしました。
また、この地域は平成20年に整備され、国指定史跡に指定されました。 そして、世界遺産登録をめざし、現在暫定リストに記載されています。 |


