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奈良県天川村洞川の旅館街から山の方に進んで行くと、母公堂(ははこどう)がありました。
山上ヶ岳(1719m)は、役小角(えんのおづぬ―634〜701年・伝)が開いた霊峰で、頂上に大峰山寺があります。
今も大勢の山伏が点在する行場で行を積んでいます。
修験僧の始祖である役小角の母親、白専女(しらとうめ)が、修行中の小角を訪ねてここまで来ました。
今ほど交通の発達していなかった時代に、女性がここまで来るのは大変だったでしょう。
母の愛ですね。
母公堂からさらに奥に進んで行くと、大峯大橋があります。
ここまでの道路は舗装されていて十分な道幅があり、橋の手前には広い有料駐車場があります。
ここが大峯山の登山口の一つなのですが、シーズン中はこれだけの駐車場が必要なのかと、認識を新たにしました。
橋を渡ると墓地で、その奥にまた「女人結界」の門があります。
しかし、ある説明文にはこう書いてありました。
「山上ヶ岳は女人禁制ですが、隣の稲村岳は女性登山客にも親しまれています。」
つまり、この門は入ってもいいんですね。
駐車場のあたりから大峯山の行場が見えます。
この尾根が大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の一部で、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されています。
逆光なので分かりづらいですが、設置してあった望遠鏡で見ると、龍泉寺宿坊(下のイラスト参照)も見えました。
帰り道の途中に、有名な「ごろごろ水」があります。
ごろごろ水は古くは「仏水秘水」と言われ、大峯参りの行者たちがのどを潤したそうです。
前を通るとなぜかゴロゴロという音が聞こえるので、いつしか「ごろごろ水」と言われるようになり、地元の皆さんによって大切に守られてきました。
環境省により昭和の日本名水百選に指定された「洞川湧水群」の中の一つです。
汲んで帰ろうと思ったのですが、時間が早すぎて駐車場が開いていませんでした。
仕方なく、近くにあった昔の湧水口で喉を潤しました。
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奈良県
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奈良県天川(てんかわ)村洞川(どろがわ)は、昔から大峯山山上ヶ岳(おおみねさんさんじょうがたけ)で修行する人たちの登山基地として賑わってきた「修験の里」です。
山上ヶ岳の頂上に建つ大峯山寺は、5月3日に戸開式(とあけしき)、9月29日に戸閉式(とじめしき)が行われ、大勢の行者さんや登山客で賑わうそうです。
今はシーズンオフなので静かな街かなと思っていましたが、失礼ながら意外にも、活気がありました。
ずらっと並ぶ旅館や陀羅尼助を売っているお店はオープンしてて、人が歩いています。
店先の植木を手入れしています。
小さな子供もいます。
なかなか立派な旅館街でした。
陀羅尼助とは・・・・・
Wikipediaより引用します。
陀羅尼助の由来は、強い苦みがあるため、僧侶が陀羅尼を唱えるときにこれを口に含み眠気を防いだことからと伝えられる。 下痢に効くお薬で、私は子供の頃これを飲まされて、苦くて苦くて、とても嫌だったことを思い出しました。
今は丸薬ですが、昔は板状だったと記憶しています。
硬くて真黒なのを小さく割って飲むんだけど、角が尖っててそれも嫌だったな。
下にあるのは、大きなほら貝。
吹くのが得意な人、いらっしゃいますか〜〜?
この写真の、左の方の山の中腹に白い柱があるのがお分かりいただけますか?
面不動(めんふどう)鍾乳洞の入口です。
ここが鍾乳洞の入口です。
入洞料400円。
まあ、何と言いますか、地味な鍾乳洞です。
お見せするほどの写真は写せませんでした。
ここで、1000年以上前の、テン、カワウソ、ニホンザルの白骨の化石が見つかったそうです。
二つの山に挟まれた、遠くの尾根が大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)で、紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産に登録されています。
左が吉野の方向、右が熊野本宮の方向です。
洞川自然研究路を反対側に向かって歩いて行くと・・・
「かりがね橋」・・・かりがねは、イワツバメのことだそうです。
長さ120m・高さ50m
ギシギシとよく揺れる橋でした。
イワツバメの飛ぶ姿に見えますか?
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4月3日、日本中が大荒れの日、奈良県の月ヶ瀬梅林に行きました。
ここは、何年か前までは月ヶ瀬村だったんだけど、いつの間にか奈良市に編入されていました。
・・・ということは、奈良市と三重県は隣接してしまったのね。
スミマセン、ローカルな話題でした。
ニュースによると、台風並みの低気圧で自動車もひっくり返ったほどの大荒れだったそうですが、幸い月ヶ瀬は雨も風も大したことはなく、観梅を楽しみました。
今年は、梅の花が大変遅れていて、4月3日にちょうど満開でした。
味のある売店の横から坂道を上がって行きます。
下に見えるのは月ヶ瀬湖(ダム湖)です。
雨は大したことなかったけど時折ぱらつくあいにくのお天気。
写真もきれいではありません。
梅の花、満開でした。
きれいでしたよ。
お天気さえよければ、さぞや・・・・・
月ヶ瀬梅林は、関西地方では古くから有名な梅林です。
なぜこれほど梅の木が多いか・・・それは、烏梅(うばい)を作るため。
元弘の乱(1331)の際に笠置から後醍醐天皇が落ち延びてきたとき、女官の一部が月ヶ瀬方面に逃げ、その一人姫若(また姫宮、園生姫)が滞留し、世話になった礼として烏梅の製法を教えたという。
また前田利家が浪々の身の折り、この地を訪れて天神社境内に多くの梅の実が落ちているさまを見て烏梅を作り、京都に送ったのに始まるとも言う。
(奈良市教育委員会HPより)
ところで、烏梅とは・・・・・
梅の実に煤をまぶして蒸し焼きにし、乾燥させたもので、紅花染めの触媒に使われるそうです。
紅花染めは、まずオレンジ色の紅花からアルカリ性の灰汁で紅色を分離して染めた後、
烏梅(クエン酸)を使って繊維へ定着させます。
染色は、化学変化を利用して行われるのですね。
(また、漢方薬としても使われるそうです。)
18世紀後半ごろから盛んに作られるようになり、平地の少ない寒村の貴重な現金収入になったとか。
しかし、明治時代中ごろには衰退し始め、現在も生産されているのはただ一軒のみになってしまいました。
その方は、国の文化財保存技術「烏梅製造」の保持者に認定されています。
詳しくはこちらをご覧ください。 ⇒ ここをクリック
下の方に烏梅の作り方の説明、写真がありますよ。
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奈良県宇陀(うだ)市松山地区にある、森野旧薬園に行きました。
松山地区は、古くから城下町として発展し、その町並みが今も生活の場でありながら景観を保ったまま残っている地区で、2006年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
古くは、飛鳥時代から「阿騎野(あきの)」と呼ばれる宮廷の狩場で、戦国時代には秋山城の城下町として発展しました。
江戸時代には天領となり、伊勢街道(参宮街道)の宿場町として栄えました。 今回訪れた森野家は、南北朝の時代に南朝に仕えたといわれるほどの旧家で、吉野葛を作っていました。
450年後の今も「森野吉野葛本舗」の暖簾を守っているのですが、第11代の当主賽郭(さいかく)は、本草学(薬草学)に詳しく、屋敷内の裏山にたくさんの薬草を植えました。
賽郭はこれらの薬草から漢方薬を作り、幕府に献上、八代将軍吉宗の御薬草見習いとして出仕し、国産の漢方薬を普及させるという国策に貢献しました。
明治以降は新薬がたくさん入ってきて、薬園としての役目は終えますが、現在も昔の面影そのまま、薬草を絶やさないように維持なさっています。
この建物を入って、工場を通り抜けて行くと、裏山に薬草園があります。
ここで、葛粉を作るそうです。
一段一段に、和紙のようなものが敷いてありました。
乾かしてない、葛粉です。
お豆腐みたい。
つついてみたくなる衝動をぐっとこらえて・・・
崩してみたくなる衝動をぐっとこらえて・・・
この工場の横を通って裏山に登って行くと、カタクリが咲いていました。
カタクリと言えば、片栗粉を採るので知られていますが、これも薬草です。
地下茎が、すり傷、できもの、滋養によいとか。
いただいたパンフレットには、フクジュソウの薬効は書いてありませんでした。
薬草ではないのかな?
あんちゃんに教えていただき、調べました。
有毒です。
しかし、強心薬としての薬効もあるそうです。
裏山から見た森野吉野葛本舗です。
楕円形のものが、葛粉を作る水槽。
遠くは、飛鳥時代「阿騎野」と呼ばれた宮廷の狩場があった所です。
パンフレットには、この山にある154種類の薬草とその効用が書いてあり、その他にも100種類以上の薬草及び観賞用植物があるそうです。
しかし、ほとんどの植物がまだ冬の眠りの中にいるようでした。
パンフレットによると、実に様々な植物に薬効があるのですね。
エビネ・・・育毛と書いてありますよ。^0^
トリカブト・・・猛毒だと思ってましたが、鎮痛・強心・利尿の薬効もあるようです。
さて、本草学に詳しく、国産の漢方薬を作った賽郭さんですが、裏山に植えた薬草を世話しながら観察をし、日本最古の原色の植物図鑑「松山本草全十巻」を書きました。
(1749年に家督を譲り、1767年に没。その間に書かれたはずです。)
これは、カタクリです。
色も、驚くほどきれいでした。
ここに、松山本草全十巻が収められていて、見ることができます。
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三重県の三多気の桜を見た後、お隣の奈良県まで足を延ばしました。
まず、仏隆寺(ぶつりゅうじ)の「千年桜」
この「千年桜」は、国道369号線から2kmほど入ったところにあります。
随所に案内が出ているので分かりやすいです。
日本昔話に出て来るような静かな田園地帯にある巨木。
周囲7.7m、樹高16m、樹齢900年を超える奈良県最大最古の桜で、県の天然記念物。
ヤマザクラとエドヒガンの雑種であるモチヅキザクラの一型だそうです。
堂々と咲き誇っている姿は見事で、存在感がありました。
続いて「又兵衛桜」
道の駅宇陀路大宇陀(うだじおおうだ)の近くにあります。
戦国武将後藤又兵衛の伝説と、後藤家の屋敷跡にあることから「又兵衛桜」と言われています。
* 後藤又兵衛・・・桃山時代の武将で、黒田長政に仕えた後浪人。その後大坂夏の陣で討ち死に。
周囲3m、樹高13m、樹齢300年を超える枝垂桜。
「瀧桜」ともいうそうです。
流れ落ちる滝のような枝垂桜で、あでやかな雰囲気でした。 私には、桜というと女性のイメージがあって、「又兵衛桜」より「瀧桜」の方がふさわしいと思います。
これらの他にもたくさんの桜を見てきました。
あちこちに見事な桜の木があって、目を奪われます。
里では、今の時期桜は終わっているけど、この辺りではまだまだ楽しめました。
特に、宇太水分(うだみくまり)神社の近くの「みくまり桜」、ちょうど見ごろで見事でした。
芳野川の堤防500mに約100本の桜が並んでいます。
時間がなく、ゆっくり立ち寄れませんでしたが、次回はここも歩いてみたいと思います。
三重県西部から奈良県にかけて、桜を堪能した旅でした。
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