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鉄道廃線 その後

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三弦橋

三弦橋(さんげんきょう)は、夕張市のシューパロダムのダム湖に架かる、旧森林鉄道夕張岳線の橋です。

長さ約382m、1958年に完成しました。


この画像は、Wikipediaからお借りしました。

イメージ 1



三弦トラスという構造で、ピラミッドをたくさん並べて、上に一本棒を渡した形。
とても珍しもので、鉄道橋としては国内唯一、世界的にも数少ないそうです。

森林鉄道としては最大級で、美しい姿は地元の人に愛され、郵便局の風景印にもなったそうですが、1963年に森林鉄道の夕張岳線が廃線となり、わずか6年間しか使われませんでした。

この鉄道橋が、下流の夕張シューパロダムの完成によって水没するとの情報を得て、急遽行ってみることにしました。

これが、2014年4月26日の様子です。

イメージ 2


わずかに上部を残すのみ。
あの美しい姿は見られませんでした。
もう一週間早かったら…
残念です。

地元の方にとっても思い出深いだったらしく、大勢の方が別れを惜しんでいらっしゃいました。

開く トラックバック(1)

北陸トンネルが開通する1962年6月10日まで使われていた、旧北陸本線敦賀以北の跡を走ってきました。
現在は主に、福井県道207号線です。
 
北陸本線は、まず滋賀県長浜駅から福井県敦賀港駅以南を、東海道線の支線として日本人技術者の手で建設され、1889年に開業しました。
その路線は後に柳ケ瀬線になり、1964年廃線。
現在は県道に転用されています。
 
      ⇒  柳ケ瀬走行記は、こちらをご覧ください
 
敦賀駅以北、 福井駅までは1893年に着工され、1896年に開業し北陸線と命名されました。
この時、敦賀駅 - 今庄駅間は険しい山地を避け海側の杉津(すいづ)駅経由で建設されました。
しかし、25‰の急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッチバックが連続する難所で、「北陸線の盲腸」とまで言われたそうです。
 
余談ですが、1962年に北陸トンネルが開通し、杉津駅経由の旧線は廃止されたのですが、その間一度も事故を起こすことなく、その歴史を閉じました。
 
 
 
今回は今庄から敦賀に向けて南下するルートを走ってきました。
 
万葉の昔から、都から北陸・東北に行くには、ここ山中峠(標高389m)を越えたそうです。
 
 
イメージ 1
山中信号場 待避線跡地
 
多くの人が行き交った峠ですが、蒸気機関車にとっては難所で、ここでスイッチバックをして峠を越えました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
当時12ケ所のトンネルがありましたが、今回10ケ所確認。
すべてのトンネルが片側交互通行です。
敦賀に近い方は、北陸自動車道のため地形が変わっている所もありましたが、約20kmに渉ってほぼ当時の姿のまま保たれています。
 
 
イメージ 2① 山中トンネル
 
かなり長いトンネルです。
信号はありません。
直線のトンネルなので見通せますが、はるかかなたに小さく出口が見えるだけ。
もし車が見えたら、行くべきか行かざるべきか、多分迷うと思います。
 
最初のトンネルなので、高さ制限のバーがあります。
制限高さ3.5mです。
 
 
 
トンネル内部イメージ 7
 
120年近く前の物なんですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
② 伊良谷トンネル
 
このトンネルは曲がっています。
よって、ありがたいことに信号機あり。
待ち時間3分。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9トンネル内部
 
どのトンネルも漏水がひどいです。
バイクの方はご注意を・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6③ 芦谷トンネル
 
向こうが見えてます。
安心して入れますね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10
④ 曲谷トンネル
 
その名の通り、曲がっています。
先が見えない。信号はない。
ドキドキでした。
 
丸く白っぽく見えているのは、レンズの汚れか太陽の反射です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11⑤ 第二観音寺トンネル
 
このトンネルの印象は、あまりないんです。
スミマセン。ドキドキわくわくして走ってたので・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 12⑥ 第一観音寺トンネル
 
短いトンネルです。
少し曲がっていますが、ご覧の通り半分くらい見通せます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 13⑦ 杉津トンネル
 
すごい! どこが入口か分からない。
照明すらありませんでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
⑧ 曽路地谷トンネル
 
第一観音寺トンネルより少しカーブはきついですが、ほんのちょっぴり、辛うじて先が見えます。
照明はありません。
 
でも、これで対向車は来ないと確信できるかしら?
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
⑨ 鮒ヶ谷トンネル
 
これだけ先が見えてると、安心ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5⑩ 葉原トンネル
 
ここには信号機がありました。
待ち時間5分。
 
少しカーブしていて、かなり長いトンネルです。
 
このトンネルが、敦賀側の最後のトンネルです。
トンネルを出たところに、高さ制限のバーがありました。
 
 
 
 
 
 
⑦の杉津トンネルを過ぎたあたりから、旧線跡の道は北陸自動車道とほぼ並行しています。
やがて国道476号線にぶつかって、楽しい廃線跡道路走行はおしまい。
 
今回はあまり時間がなく、トンネルの写真を写してきただけですが、駅の跡なども少しですが残っています。
また、いかにも鉄道の跡らしい様子もあちこちに見られて、楽しいドライブでした。
柳ヶ瀬線(やながせせん)は、かつて北陸本線の木ノ本駅と敦賀駅を結んでいた日本国有鉄道の鉄道路線です。
 
明治2年に、新橋―横浜などと共に計画され、明治13年に着工されました。
これは日本人技術者だけによる工事では、史上2番目です。
 
削岩機や空気圧縮機も併用されましたが、大半は多数動員された生野銀山や石見銀山の坑夫による手掘で、作業速度は1日に1〜1.5mほどだったそうです。
 
苦労の末作ったトンネルですが、 地形も気候も悪条件が重なり、事故が多発。
大変な難所でした。
 
  急こう配のため、トンネル内で立ち往生したり逆行したり・・・
    その結果、排煙により乗客・乗員が窒息。死亡事故も起きています。
    また、一旦停まると再発進できず、せっかく通過してきた平地の駅まで戻って再発進。
  豪雨の際はトンネルが排水路に・・・
  豪雪地帯のため、雪崩による被害は毎年のこと。
  異常繁殖したヤスデが線路を覆い、運行不可能。
 
そんな訳で、新・北陸本線の建設が急がれました。
しかし、太平洋戦争の影響もあって計画はなかなか進まず、ようやく昭和32年、東側に深坂トンネルが開通したのに伴い、旧北陸本線は柳ケ瀬線になりました。
 
柳ケ瀬線の営業成績は、営業係数1145前後と非常に悪く日本一の赤字線といわれ、昭和39年廃線。
線路跡は一部国道365号線、滋賀県道・福井県道140号線になって、今も立派に生きています。
 
国鉄時代、ここには曽々木・小刀根・刀根・柳ケ瀬の4つのトンネルがありました。
曽々木トンネルは消滅。
柳ケ瀬・刀根トンネルは改修され、県道140号線のトンネルとして使われています。
 
 
「柳ケ瀬トンネル」入り口です。
単線の線路の幅しかない、延長1352mの一車線・交互通行のトンネル。
右は北陸自動車道。
入口には信号機があり、安心して進入できます。
イメージ 1
 
 
トンネル内部
イメージ 2
 
 
 
 
続いて、敦賀市指定文化財の「小刀根(ことね)トンネル」
柳ケ瀬線にあった4つのトンネルの中で、唯一当時のままの姿を残しています。
明治14年に開通した、日本最古の鉄道トンネルです。
 
敦賀市側
県道140号線の道路わきに車を停めて、そこからすぐ近くです。
イメージ 3
 
 
長浜市側
トンネル内部は素掘り。岩盤が露出しています。
トンネルを抜けた先(長浜市側)は原っぱ、農地などで、行き止まりです。
イメージ 5
 
こちら側の上部に「明治十四年」と書いた銘板があります。
イメージ 4
 
小刀根トンネルを撮影したのは翌日です。
 
 
実は、ずっと以前柳ケ瀬トンネルを通ったことがあるのです。
1990年ごろでしたか、おもしろいトンネルがあると聞いて行ってみたのです。
当時は入口に信号などなく、対向車が来たらどちらかが待避所までバックしなくてはなりませんでした。
対向車が来ないことを祈りつつ、度胸と気合で行くしかないトンネルでした。
今調べてみたら、1987年に一般開放されているので、解放後間もなくだったんですね。
その時は、こんな歴史があったなんて知りませんでした。
 
長野県木曽郡上松(あげまつ)町の森林鉄道のご紹介を少々・・・

上松町は、木材産業が中心の、森林の町です。
西には国内森林浴発祥の地として有名な赤沢自然休養林(国有林)があり、そこでは森林鉄道の保存を行なっていて、特定の期間、乗車体験が可能です。

良質な木曽ひのきを産出する町として、かつて上松駅には森林鉄道の集積地も隣接していました。

1910年(明治43年)
明治3年から計画されていた中央線が開通。上松駅開設。
木曽森林鉄道着工の目処が立つ。

1916年(大正5年)
森林鉄道開通。昭和50年まで、木曽郡内総延長は上松を基点に約540kmに及ぶ。

1975年(昭和50年)
5月末、上松〜王滝村の王滝線を最後に、国営の森林鉄道が姿を消す。
さよならイベントを前にして観光客の乗車が抽選となり、町内にテント村が出来るなど、全国から多くのファンがつめかけ、別れを惜しんだ。


ざっとこのような歴史を辿った森林鉄道ですが、現在は寝覚ノ床の町営駐車場の奥に、ひっそりと展示されています。
訪れる人もなく、忘れ去られたようです。

イメージ 1

イメージ 2




続いて、長野県木曽郡南木曽(なぎそ)町で見つけた森林鉄道です。

この機関車は、南木曾町の国有林で運転されていたものです。
上松町より遅れること11年、昭和2年に開通。
 
南木曽町内の森林鉄道は、3本の主要路線(延長33.7km)と、 4本の支線(延長36.0km)がありました。(総延長69.7km)

その後昭和42年までの間、40年間にわたり運行されました。
木材を運ぶだけでなく、「林鉄」の愛称で親しまれ、山で暮らす人々の生活物資を運んだり、沿線に住む人達の足として利用され、地域山村の生活に密着していました。 

このようにかつては愛された林鉄ですが、錆ついて、傷みが目立っていました。
このまま置いておくと、朽ち果てる一方だと思います。

イメージ 3

旧国鉄岩内線は、岩内と函館本線小沢(こざわ)駅を結んでいました。
総延長14.9km。大正元年開業、昭和60年廃線。

岩内の西約10kmの共和町にある幌似駅の跡を、昭和63年「幌似鉄道記念公園」として整備されました。
ところが、旧岩内線の線路跡が道路になり、この公園は平成19年に移設されました。

それゆえ、とても新しい感じで、きれいでした。


イメージ 1



左の建物は倉庫か何かです。
イメージ 2



待合室・切符売り場
イメージ 3



裏から廻れるようになっていました。
ガラス越しなので見づらいですが、切符売り場を内部から見た写真です。
イメージ 4



駅事務所の後ろには、宿直室が。
四畳半くらいの和室でした。
イメージ 5



運賃表と時刻表です。時刻表は、誰かが消そうとしたのでしょうか?
「おいおい、ちょっと待て、これも残しておこうよ・・・」と・・・
イメージ 6

イメージ 7



ホーム側から見た駅舎。
イメージ 8



2両連結の列車が残されています。
イメージ 9



客車内部です。
まだ使えそうな感じがしますね。
イメージ 10



こちらは、錆が出て、痛んできています。
イメージ 11



気動車の中にあった、これはストーブでしょうね。
イメージ 12

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