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撮影日:2007年6月5日(火) 海蔵寺「底脱の井」にて。
 
扇ガ谷・海蔵寺
 
イメージ 3
山門下にある
底脱の井(そこぬけのい)」
イメージ 1
 
ここもとっても小さな井戸
 
文字が磨耗して見えにくいですが、
「千代能がいただく桶の底ぬけて 水もたまらねは月もやどらず 如大禅尼」
…と刻まれた石碑が建っています。
 
傍の解説板
イメージ 2
 
【解説板文】
この井戸は、鎌倉十井の一つです。
中世の武将安達泰盛の娘・千代能が、ここに水を汲みに来た時、
水桶の底がすっぱり抜けたため、
「千代能がいただく桶の底抜けて、水たまらねば月もやどらず」
とうたったことから、
この名がついたといわれています。
 
井戸の底ではなく心の底が抜けて、
わだかまりが解け、悟りが開けたという投機(解脱)の歌です。
 
平成11年12月
社団法人鎌倉青年会議所 
創立20周年記念事業
創立35周年記念事業
後略(草に隠れて見えず…)
 
 
千代能(野)をウィキペディアで調べたところ、
明治時代の画家・月岡芳年の作品に描かれていました。
 
イメージ 4
 
↑これ、まさに「底脱」シーンですよね…
 
頼朝の近臣・安達盛長以来、代々鎌倉幕府の有力御家人だった安達氏でしたが、
千代能(野)の父・泰盛が霜月騒動で一族もろとも滅ぼされ、
夫の北条顕時(金沢流北条氏)も騒動に連座して失脚し、下野国に蟄居。
千代能(野)は出家して無学祖元の弟子となり、
法名を「如大禅師無着」と号しました。
『仏光国師語録』によれば、「越州太守夫人」(千代能〔野〕)が、
無学祖元に対して釈迦像と楞厳経を求めた記録があります。
 
詳しいことはわからないのですが…
これだけでも、波乱の人生を送った女性だったように思われます。
 
なお、夫・顕時との間に生まれた娘(釈迦堂殿)は、
足利貞氏の正室となり、嫡男高義(足利尊氏・直義の異母兄)を産んでいます。
※嫡男だった高義が早世したため、尊氏が家督を継いだようですが、
高義が遺した娘たちは二橋上杉家や甲斐武田家に嫁しています。
詳しくは「足利高義」ウィキペディアにて。
 
 
 
「底脱の井」の名のまた別の由来として…
室町時代に上杉家の尼が修行をしていたとき、
水を汲むと桶の底が抜け、その瞬間、悟りが開け、
「賤(しず)の女(め)がいだく桶の底脱けてひた身にかかる有明の月」
と詠んだからといういい伝えもあるようです。
鎌倉観光文化検定公式テキストブックより
 
 
解説板文には「千代能」説が記されていますが、
文末に「上杉家の尼」のエピソードがくっついているような感じですね。
 
千代能(野)のウィキペディアに、
「同じ無学祖元の弟子で、京都景愛寺開山となった無外如大(別号:無着)は、
千代野ではなく上杉氏の関係者で、足利氏との関連から千代野と混同されたもの
と見られる。」という一文もありました。
 
「心の底が抜ける」瞬間…いいな
 

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