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東北の関ヶ原(8)
歴史
[ 歴史の真実を世紀ごと学ぶ ]
2018/9/2(日) 午前 9:47
天正17年(1589年)、豊臣秀吉は側室の淀殿との間に鶴松が産まれ、後継者に指名する。
同年、後北条氏の家臣・猪俣邦憲が真田昌幸家臣・鈴木重則が守る上野名胡桃城を奪取したことをきっかけとして、秀吉は1590年に20万の大軍で関東へ遠征、後北条氏の本拠小田原城を包囲した。
後北条氏の支城は豊臣軍に次々と攻略され、本城である小田原城も3か月の篭城戦の後に開城された。
秀吉は黒田孝高と織田信雄の家臣である滝川雄利を使者として遣わし、北条氏政・北条氏直父子は降伏した。
北条氏政・北条氏照は切腹し、氏直は紀伊の高野山に追放となった。
秀吉が東国へ出陣すると最上義光、伊達政宗ら奥羽の大名も小田原に参陣し、奥羽両国の平定も大きく前進した。
小田原開城後の7月26日、秀吉は下野宇都宮城に入り、奥羽の領主に対する仕置を行った。
葛西氏・大崎氏など小田原に参陣しなかった領主は改易とされ、総無事令を無視して蘆名氏などを攻めた伊達政宗には減封の処分が下され、最上義光ら小田原に参陣した領主は所領を安堵された。
奥羽仕置の完了をもって、秀吉による天下統一は達成された。
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