九戸政実のNHK特集映像がありました。 歴史は嫌いではなかった。大学受験も日本史を選択して
いたのでそれなりの知識は持っていたのだが、・・・知りません
でした。
九戸にある〝九戸政実の供養碑”
〝九戸政実”という武将・・・十年までにはならないが
NHK特集で初めて知った。
その後高橋克彦著〝天を衝く”を読んですっかりはまって
しまった私たち。
このNHK特集を〝いつか再放送してくれないかな♪”と
話しをしていたらMr.Xさんが〝政実”つながりで訪問して
くれた。
記事を拝見したらその中に以前放映された〝九戸政実”の
NHK特集がYoutubeにアップされていることが分かり
〝感謝”でした。
いつでもYoutubeで観れるようにURLを貼りつけました。
南部藩の歴史は当然勝者に依る記述なので史実を正確に表現している
事はないハズ。
今に伝わる〝九戸政実”がその地域、地域で捉え方が異なるのでしょうが
東北にこのような武将がいたと云う事実は間違いないですね♪
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九戸政実
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「長牛城跡」を探しに行ったが、行けばすぐ分かるかなという思いとは
裏腹に、中々見つからずちょっと苦労した。 時代を四百年から五百年遡った場所を訪ねると二つのパターンがある。 きちんと手入れが施されているところ、草が生い茂って手入れが殆ど されていないところです。 どちらも自分のイメージを膨らませられるのでいいですね。
空堀の跡でしょうか!暗くて分かりませんね。
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市町村合併で栗原市となりましたが、旧栗駒町岩ヶ崎に九戸公園があります。 「九戸政実の首級清めの池」の東南100m程度の距離にありました。 椿の木と石碑が印象的でした。 石碑にはこのように書かれていました。 この地に豊臣秀次や石田三成達が本陣を張っていたのは、丁度同じ時期に 築館の東南方向にある迫町佐沼城で一揆勃発していたので動けなかったの ではないか? 会津若松の蒲生氏郷は九戸政実の反乱鎮圧に向かい、米沢から来た伊達政宗は 佐沼城の一揆鎮圧に向かっていた。 仙台からの地形を考えて、もし多賀城経由で豊臣軍が進軍したとすると、 仙台平野を通過して岩ヶ崎に来るまでは丘陵は数ヶ所越えるものの殆ど 平坦地。 ところがここから北に向かうとすぐに山道に入り、一関に行くまで 峠を何ヶ所か通るはめになる。 ー(ここから勝手な想像で失礼!)ー もし、豊臣秀次たちが岩ヶ崎に本営を置かずに、この峠越えをして伊達政宗が 佐沼からUターンして後ろから秀次達を攻める。 ム〜、厳美渓を過ぎるまでは逃げ道がないな〜! 政宗は蒲生氏郷と折り合いが悪く、氏郷のほうは伊達政宗と 九戸政実がうらで繋がっているとのでは、と疑問視されていたので 身の安全と伊達政宗の牽制の為に岩ヶ崎を本営にしたのかな? 源頼朝は平泉を攻めるときは多賀城経由でこのルート、戻るときは 岩出山から仙台の西、根白石経由でしたね。 この道は松尾芭蕉も平泉から岩ヶ崎経由で岩出山、山形の立石寺に 行っています。 ここで九戸政実達は首を刎ねられたのでしょうね。 九戸公園入り口にこのように書いてありました。 |
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宮城県栗原町にこのような説明板がありました。 ここから数キロ東に行くと、八甲田山で遭難した後藤伍長の 実家とお墓があります。 永禄、天正年間は激動の時代でしたね。 無念だったでしょうね、騙されて打首。ム〜、蒲生氏郷か!
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二度目の三戸城。坂道をクルマで登っていく途中、
「え〜、こんな高いところにあったんだけ?」と思いながら 三戸城本丸到着でした。 あした、天気が良ければ秋田駒ケ岳登ってきます。 「てるてる坊主作ろうかな!」 ・・・ム〜。 |




