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わたしは城跡を見るのも好きですが、その回りの地形を観察するのが 好きですね。理由は、地形を見ているといろんな共通点が見えます。 3方向が川に囲まれていています。 今度は地形図でまわりの起伏を見てみると、南側以外は山に囲まれています。 この南側、九戸城の大手門正面に豊臣軍の蒲生氏郷が陣を張ったんですね。 パンフレットに掲載されている古絵図。一番下に蒲生・・・、右側に浅野・・・て 書いてあります。 |
九戸政実
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2008年10月16日の日付が入っていますね。 興味のある内容が書かれていたので撮らせていただきました。
記事掲載の内容は下記の内容です。
二戸市教育委員会が行っている同市福岡の国指定史跡・九戸城跡の二の丸 発掘調査で、幼児の頭骨が見つかった。年代や背景などは不明だが、出土 状況から城郭時期のものとみられ、九戸城が1591年(天正19年)に 豊臣秀吉軍によって落城した際の犠牲者だった可能性もある。 頭骨は東北大で詳しく分析・調査される。 この頭骨は9月25日、地表から1メートルほど掘り下げた土杭底部から 見つかった。その他の骨は出ていない。 記事後半に、1995年、今回頭骨が見つかった場所から南側に50メートルほどの 円形土杭墓から首のない人骨十数体が見つかっている。 これらの人骨は成人男性が中心で、刃物による無数の殺傷痕や刺突痕が確認された、 と書いてあります。 どうしてこのようなことが史実として表舞台にでてこなかったんでしょうね〜。 やっぱり、勝者の論理で「苦戦したことは隠したい」ということなんでしょうね。 |
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どんな心境だったんでしょうね〜!
騙されて開門し、そのあと城内にいた人達が殺されて・・・ この時代は許されたんでしょうかね、こんなやり方が。
ガイドさん(浪岡さん)が持っていた資料を撮らせてもらいました。
ちなみにこの骨は女性のもの、とのことでした。 |




