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宮城県の歴史
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伊治城跡発掘調査の記事 数日前新聞記事に“伊治城跡発掘調査”の記事掲載。
秋口後半はヘビ・クマなどの心配もないので発掘調査をするのに
最適な時期なのでしょうか♪
宮城県の新田柵・城山裏土塁跡、岩手県の白鳥舘遺跡発掘と
連続して新聞に掲載されている。
780年、大和朝廷側に反旗を翻した現在の栗原郡の有力者、
伊治 呰麻呂(これはり/これはる の あざまろ)!
伊治城で牡鹿郡大領の道嶋大盾と紀広純を殺害し、蝦夷と
大和朝廷軍との何年にもわたる戦いが始まった。
その城跡を発掘調査していたのですね
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ツタヤで借りてきた大河ドラマ「独眼竜政宗」を観る前に宮城県内の
城柵跡をプロットしながらネットで見つけたコンパスを使い、多賀城を
中心に直線を引いてみた。
・・・つぶやき・・・
“きのう5巻まで返却しに行って6巻目から借りようとしたが
ツタヤは借りられていて、次にGEOにも行ってみたがここも
借りられた後だった!(人気があるんですかね〜(ギョ!)”
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多賀城を中心に最初は半径30㌔から50㌔の円を描いて城柵を
プロットしたのだが、今度は直線で挑戦、面白いですね〜
直線の方がいろいろ重なって見えてくる
伊能忠敬がかなり正確な地図を書いたと云うが奈良時代の人たちは
地図とコンパスを持っていたかのように城柵・都市が直線状に描かれる!
・・・ もっとも奈良時代には大陸からコンパスは伝わってきたと云うのだが
東北歴史博物館で“覚鱉城は推測するとどの辺でしょうね?”と
尋ねたら“北上川の流れなど変化しているので中々特定には至って
いない”と云うコメントだった。
しかし、この時代の城柵は傾向として直線状に配置されているように
見えることからやはり覚鱉城は上沼八幡周辺ではないでしょうか!
多賀城から北東方向に直線を引くと遠野にピントピッタリ、
遠野出身の盛岡在住の方、遠野に古墳はあったのでしょうか♪(笑)
桃生城跡・涌谷土塁跡と 神室山、鳥海山を直線で結ぶと
“にかほ”に到達、ここも何か古墳はなかったのかな
・・・推理小説を読むより楽しい作業でした。
伊治城跡はここです。そして、続日本紀に伊治 呰麻呂は殺害された、
と云う事も書かれていないことから“伊治 呰麻呂一族の墓”といわれる
古墳も近くにあります。
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